第9話:タカハシ部長の「追憶」と過去の幻影
カフェ「ルナ・マーレ」は、いつも通りの朝を迎えていた……かに見えた。
しかし、ハルカの脳内では、昨日ナツミの「霊」たちが語った「多重衝突事故」の断片が、不穏なざわめきとして残っていた。
壁の古時計の針は、相変わらず停止したままだが、新たに浮かび上がった「歪んだ時間」を示す数字が、ハルカの視界の端で微かに光っている。
心のBGMは、その数字に呼応するように、不安定な震えを繰り返していた。
ミサキは、カウンターでコーヒーカップを拭きながら、ちらりと壁の数字に視線を送った。
彼女の心のBGMは、未解析のデータ群を前にした時のように、高速で情報を処理する音を立てている。
ユウトは、店の隅で新しい「霊感探知機」の構想を練っていた。彼の心のBGMは、新たな興味の対象を見つけた子供のように、期待に満ちた電子音を奏でている。
その日、タカハシ部長は、いつもの奥の席ではなく、カウンター席に座っていた。
彼の前には、飲みかけのコーヒーカップと、一冊の古びた手帳が置かれている。
彼の心のBGMは、いつもと変わらぬクラシック音楽だが、その旋律には、前回よりもさらに濃い「過ぎ去った時間への追憶」が織り込まれているようにハルカには感じられた。
まるで、遠い昔の記憶を辿っているかのように。
「部長、何かお探しですか?」
ハルカが、何気なく声をかけた。
ナツミが淹れたばかりの温かいシナモンティーを部長の前に置く。
ナツミの心のBGMは、相変わらず穏やかだが、ハルカには、彼女が部長の背後に何かを見ているような、微かな違和感が残っていた。
タカハシ部長は、ゆっくりとハルカの方を振り返った。
その瞳は、いつもの柔和な眼差しではなく、どこか遠くを見つめるような、憂いを帯びた光を宿していた。
「いや……ただ、少し、昔を思い出していただけだよ」
彼の声は、カフェの静寂に溶け込むように響いた。
その瞬間、カフェ全体が、時間の流れから切り離されたかのような、奇妙な静けさに包まれた。
その直後、カフェの店内に、透明な「泡」がいくつも浮かび始めた。それはシャボン玉のように漂い、一つ一つが、ぼんやりとした「光景」を映し出している。
「な、なんだこれ!? シャボン玉!?」
ユウトが目を輝かせて泡に触れようとするが、泡は彼の指をすり抜ける。
ミサキが、慌ててスマホのカメラを向けた。
「これは……過去の記録!? 見て、これ、部長だわ!」
ミサキの心のBGMが、興奮した解析音に変わる。
泡の一つに映っていたのは、若き日のタカハシ部長らしき人物だった。スーツ姿で、今よりもずっと鋭い眼光を放ち、何かについて熱弁を振るっている。その背景には、見慣れないオフィスのような場所が映っていた。
「私の……若い頃か」
タカハシ部長が、静かにその泡を見つめた。
彼の心のBGMのクラシック音楽が、一瞬だけ、懐かしさと、そして深い後悔のような音色を奏でた。
しかし、次の瞬間、別の泡が弾け、そこに映し出されたのは、先日のニュース記事の断片と同じような光景だった。
白い閃光、歪んだ車体、そして、混乱する人々の影。
それは、彼らがこのカフェに来る前に起こった、「多重衝突事故」の決定的な瞬間だった。
ハルカの脳内に、再び激しい頭痛が走った。
同時に、彼女の心のBGMが、まるで悲鳴のように激しく乱れる。
このカフェにいる全員の「バグ」が、この「記憶の泡」に強く反応しているのが分かった。
ユウトの周りには記憶の欠落を思わせる泡が、
ミサキの周りには「本心」を抑圧するような泡が、
そしてナツミの周りには、霊魂のような曖昧な泡が漂っていた。
タカハシ部長は、その事故の光景が映る泡を、まるで自らの過ちを償うかのように、苦しげな表情で見つめていた。
彼の心のBGMのクラシック音楽が、深い悲しみを伴う重々しい不協和音へと変化した。
「この泡は……このカフェに溜まった、『時間』の残滓……。君たちの『記憶』と『感情』が、過去の時間を引き寄せている」
リョウが、静かに目を開き、壁の「歪んだ時間」を示す数字に視線を向けた。
彼の心のBGMは、冷静な分析音の中に、切迫した警告音が混ざっている。
「部長、もしかして……このカフェって……この事故と関係があるんですか!?」
ハルカが、勇気を振り絞って尋ねた。彼女の脳内システムが、この真実を「現実」として認識しようと拒絶しているのが分かった。
タカハシ部長は、ゆっくりと頷いた。
その瞳は、まるで遠い過去を見ているかのようだった。
「……私は、このカフェ『ルナ・マーレ』の『管理者』を務めている」
彼の言葉に、全員が息を呑んだ。
「このカフェは、『時間を修正する場所』。本来、起こってはならない『歪み』を、調整するために存在している」
彼の言葉は、彼らが置かれた状況の核心に触れるものだった。
彼らの「バグ」も、このカフェの奇妙な現象も、全ては「時間を修正する」という目的のために存在しているというのか。
「つまり、俺たちがバグってるのも、このカフェが変なのも、全部その『歪み』ってやつのせいなのか!?」
ユウトが叫んだ。彼の心のBGMが、混乱と興奮でさらに高鳴る。
「では、私たちをここに呼び寄せたのは……?」
ミサキが、冷静さを保とうとしながらも、声の震えを隠せないでいた。
タカハシ部長は、もう一度、深く、悲しげに頷いた。
「君たちは……『時間』が最も大きく『歪んだ』地点にいた者たち。そして、その『歪み』を修正するために、この場所に『招かれた』のだ」
彼の言葉が、ハルカたちの脳内に響き渡る。
彼らがここにいるのは偶然ではない。
彼らの「バグ」は、この「歪み」によって生じたものなのか。
そして、彼らがこの「ルナ・マーレ」で経験する全ての非日常が、「時間」を修正するためのプロセスだというのか。
カフェの「記憶の泡」は、タカハシ部長の言葉に呼応するように、一層強く光り輝き始めた。その光は、まるで彼らの過去の記憶を呼び起こすかのように、眩しく、そして痛ましかった。
「では、あの事故は……私たち自身の……!?」
ハルカが、震える声で呟いた。彼女の脳内に、白い閃光と、タイヤの軋む音、そして、人々の悲鳴が、より鮮明にフラッシュバックした。
タカハシ部長は、その問いに直接答えることなく、ただ静かに、事故の光景が映る泡を見つめていた。
彼の心のBGMは、深い悲しみと、諦念、そして、未来への微かな希望を秘めた、重厚なクラシック音楽へと変化していた。
タカハシ部長は、コーヒーカップを静かに置いた。
彼の視線は、壁の「歪んだ時間」を示す数字に注がれていた。その数字は、彼らがこのカフェに来てからの時間を示しているのか、それとも、修正すべき「歪み」の大きさを表しているのか。
「……そろそろ、次の『調整』の時が来るだろう。君たちの『バグ』が、その鍵となる」
彼の言葉は、彼らに向けられたものか、それともこの世界の真実を示唆しているのか、誰にも分からなかった。
(つづく)
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