第9話


 下校中、背後から視線を感じました。じっとり、梅雨の時期にアジサイを這うナメクジみたいな、粘度が強い視線……。思わず後ろを振り向きました。


「見城さ~ん……ボクと一つになろ~……み~し~ろ~さ~ん」

「ひぃぃっ」


 修羅です。修羅がそこに居ました。女子にしか見えない男子、鎌谷霧。彼のふわふわショートカットは、今やメデューサの髪のごとくうねっています。暗黒のオーラを出すその姿は、道行く誰もが振り向き戦慄します。


「見城さ~ん。なんで返事してくれないの?」

「人違いです」

「色白であなたのことを『お兄様』と呼んでくれるお嬢様幼女を連れてきたんですけれど」

「その娘は私が保護します」

「あ、やっぱり見城さんだ」


 まんまとトラップに引っかかってしまいましたね。でも、そこに幼女が居ると言われたら、嘘でも保護(意味深)するのが私の役割なのです。それに関しては反省も後悔もしてません。


 私が反応した途端、霧は鬼の形相から一転して、向日葵の花が満開になったかのような明るい笑みを浮かべます。そして、私から少し離れた位置に居たのから、たったったと私の隣まで駆け寄ってきました。


「ボクの予想通り、見城さんは従順でけなげな義理の妹系幼女が好きなんだね。ボクはお金持ちのお嬢様じゃないけれど、それ以外の項目は割と当てはまっていると思うな。ね、お兄様」


 急に声をか細くして私の名前を呼ぶ霧。た、確かに色白ですし目も大きく可愛らしいですし不覚にも萌えてしまいました。心の中で、『トゥンク』という音がしました。ときめき音です。


「でもあなた男でしょう……」


 だけどこの人は男だという認識がそれを阻止します。幼女じゃないんです、この人。


 霧は、ちっちっちっち、と人差し指を振って否定します。挑発してるんですか。


「違うよ。ボクは両性具有」

「いや、あなた日によって性別が異なるって設定だったでしょう」

「ふたなりっ」

「『おかわりっ』のテンションで言われても」

「もっと可愛い幼女の画像を、おかわりっ」

「確かにオカズをおかわりしていますね」


 ナニに使うんでしょうねえ……。


「あははっうまいねっ」


 と、明るくテンションの高い霧ですが、この間の威圧的な告白シーンを見てしまったからか、どうしても深い闇を感じてしまいます。


「そういえば、私、この間美術室の前で男子に告白されているあなたを見たんですけれど、あれは一体……」

「忘れて」


 一気に声が氷点下まで冷える霧。


「いや、でも、かなり巻き上げて」

「忘れろ」


 命令形になっただけでこんなに怖さって増すものなんですね、言葉って。


 死んだ目をしている霧を見ていると、妙な恐怖感が湧いてきます。思わず、本能的に駆けだしてしまいます。霧から逃げるべくして。


「ちょ、見城さん?」


 いきなり走り出した私に驚いてか、霧は調子を崩し、素に戻ります。とにかく逃げるのです。私は五十メートル走十秒台と中学二年生にしてはちょっと、いやかなり足が遅いですが、逃げ足は速い……気がするんです! 気がするだけですけど。


「見城さんゲットだぜ」


 本当に気がするだけだったー。捕まってしまいました。火事場の馬鹿力という言葉は私には適用されないんでしょうか。


「いやあ、今日はムシムシするね、見城さん」


 霧はなんか世間話をしだしてしまいました。さっきの話題はいいのでしょうか。いいんでしょうね。触れちゃいけません。


「えーっと、本当ですねー」


 一応相槌をうっておきます。


「いやあ、今日はミシミシするね、ムシロさん」

「逆です。あと、ムシロさんはちょっと虫っぽいのでやめてください」

「じゃあ、ミシシッピ川さん」

「ミシしか合ってないじゃないですか」

「ミツツッピ川さん」

「字が汚かったんですね」


 テストでこの間違いをしてしまうのはとても惜しいことですので、字は綺麗に書きましょう。


「ねえねえ見城さん、かまってかまって」


 霧はしつこく私に絡んできます。何ですかあなた、テレワーク中にパソコン占領しちゃう猫ですか。可愛いですね。いや可愛くねーよ。可愛いけど。どっちだよ。可愛いよ。


 違う違う、確かに霧は可愛いですが、私が言いたいのはかまってちゃんな行動は人間がやるとちょっとうざったいなあということでして。


「もう、あんまりしつこいと無視しますよ。ムシロさんになっちゃいますよ」


 忠告をすると、霧はしゅん……と眉を垂れさせ、俯きました。ちょっと言いすぎてしまいましたかね。でも流石に「ムシロさんになっちゃうぞ」なんて笑われても仕方ないくらい柔らかい注意の仕方だったと思いますけど……。


「ボク、見城さんといっぱいお話がしたいだけだったのに……ううう……」


 霧は涙目で私をじっと見つめてきます。何だろうこの罪悪感。私はただつきまとわれているだけなのに。しかも結構わざとらしい仕草なのに。


「わ、わかりました。付き合ってあげますから、涙を拭いて下さい」


 ポケットからハンカチを取り出し、霧の頬に一滴伝った涙を拭こうとします。


「あ、他人のハンカチとか使いたくないからしまって」


 ……。

 ……しまいましたよ。


「うん、これで見城さんといっぱい喋れるな」


「……そうですね。気持ちはわかりましたから今すぐダッシュで私の元から離れてください。できれば学校でも話しかけずストーカーもせずなおかつ今後一切私に関わらないでください」


「もう、要求が多すぎるぞ、見城さん☆ 人付き合いは一方的な気持ちを押し付けるだけじゃ成り立たないものなんだよ」


「あなたがそれを言いますか」


 シンプルにそれしか言えません。


 霧はきらきらとウインクをしたまま、一向に私の隣から離れようとしません。どうやら私と話したいという気持ちは本当のようです。真っ直ぐな気持ちを持って私に接してくれること自体は、まあ、悪い気はしません。やり方はどうであれ、彼は彼なりに私を好いてくれているのですから、ぞんざいにあしらうのはやめましょうか……。


「あ、見城さん。再三言うようだけど見城さんのこと恋愛対象としては見てないから。いつでもみんなの霧ちゃんで居たいから」


 理性を保つことには相当な精神力を使う。今まさにそれを学びました。


「はぁ……もういいです。もうあきらめたので、とりあえずずっと気になっていたことを質問してもいいですか」


 ため息混じりに霧に話しかけます。霧は「なにかなっ」と無意味にその場で一回転して最後に裏ピースをしてみせました。イギリスでは裏ピースって「かかってこいよゲス野郎」って意味なんですよ。何も知らないで使っているはずなのに、霧がやけに憎く見えてきます。


「かかってこいやっこの下郎」


 知ってて使ってるんですか。罪深すぎやしませんか。あと日本風にアレンジしなくてもいいでしょう。下郎って。


 もう会話する気が失せてきましたし、ぐったりしてきましたが、とりあえず質問をします。


「霧は私をどこで知ったんですか? そして、どうしてストーキングしようなんて思ったんですか」


 私が訊くと、霧は一瞬真顔になった後、急に深刻そうな顔を浮かべました。もしかして、何か過去に因縁があったんでしょうか……。


「ボクがまだ小学生のころ……あの日は雪が降っていた。この地域では、初雪だったかな」


 深いドラマがありそうですね。私も去年の初雪の日を思い出してみます。あれはたしか十二月の……。


「近くの学校の小学生たちが、中学校見学に来た時のことですね」

「そうそう。そこでボクも見学してさ。それで最後、学校を一周して、体育館で在校生が校則を紹介するとき、壇上に登る一人の女子生徒が居たんだ。長い黒髪をなびかせ、毅然とした態度で歩く、美人さん。みんながざわめくほど、その姿は神聖だった。言うまでもない、見城さんのことだよ」

「……」


「見城さんは、最初の内は校則を淡々と読み上げていった。登校は徒歩でのみ、とか、八時十五分までに登校、とか、そんな当たり障りのないものだった。だけ

ど、途中で変化が起きる」

「……」


「異変その一。ところどころではぁはぁという息が入る。異変その二。小学生の集団に向かって手を振りだす。異変その三。変な口パクをしだす。あれは後で解析してみると、『ちなみちゃんみてる? ちなみちゃーん』と言っていたことが判明した」

「……」


「そして決定打は水泳の時の水着の話……水泳の時、水着はビキニ型はダメとか、ブーメラン型はダメとか、そこまではいい。中学校らしい校則だ。だけど、見城さんはそれ以上に喋っていた。あの時のことは印象的だったなあ、今から完全再現するから見てて。


『最近は女子はみんなセパレートタイプの水着を着ていますが、私はワンピース型が一番だと思います。水着にもいろんなタイプがあって、旧型と新型とあるけ

ど、どっちも愛でるべきものです。特に胸のところにゼッケンがあるのは最高ですよ。より小学生感が出て。だから皆さんも水着はワンピース型をぜひ選ん』


ここで見城さんはステージの脇から出てきた二人の女子生徒に両腕をがっちりホールドされ、闇へと消えていった……」


「いやぁぁぁ、もうやめてください、ずっと黙っていましたがもう限界です! 黒歴史をほじくり返さないでください!」


 そう、これは私が人生で一番やらかした出来事……当時スク水モノにハマっていた私は、勢い余って熱弁してしまったのです。そしてその日から私は陰で『スク水の女帝』と呼ばれるようになってしまい、女子からやや冷たい目で見られることになりました。もともと友達が少なかったのをこじらせてしまったのです。みよりちゃんは大笑いして、「よくやったぜよ。最高だべ、見城さん!」とちょっと坂本龍馬風に私の肩をぽんぽんと叩いたのですが、実は笑い事ではなかったんですよね。本当に。


「見城さんの勇姿(笑)を見て、小学生の集団の中で一人落ち込んでいる女の子が居た。その子が瀬田千波と言う名前だっていうことを、ボクが知るのは入学してすぐのことだった……」


 ごめんなさい……本当、なんとなく口パクで話しかけたり千波ちゃんが来ているという興奮で息を荒くしてしまって申し訳ありませんでした。


「まあ、それはともかく、ボクは見城さんのあまりの変態っぷりに思わず感嘆しちゃったんだよ。その日からこの中学の前に張り込んで、見城さんの後をつけたりした。家を突き止めたりもしたんだ」


 そんなくだらない理由でストーカー行為に走らないでくださいよ……。


「陰ながら、ボクはあこがれの見城さんの姿に感動して、ここに入学したら絶対見城さんに話しかけよう、と思っていたんだ」


 にこにこ笑いながら、本当に幸せそうに語る霧を見ているのは、なんというか、少し照れてしまいます。動機はどうであれ、私の背中を追いかける(物理的にだけど)霧の姿は、ひねくれている割に子供っぽい子が多い中学の中で、いい意味で、まっさらで、子供っぽく映ります。


 私だって子供っぽい中の一人にすぎないけれど、ここまでの白さはとうの昔に捨て去ってしまいました。これから先、私が大人になる中で、もっともっと疲れて、汚れていくんだろうけれど。何故だろう、この霧の笑顔の輝かしさは、一生霧の中に根付いて消えないんだろうな、と直感します。


「ボクは、割と一人で居ても平気なんだけどさ。見城さんと居ると、『人は一人でも生きていける』だなんて幻想なんだなって思うんだ。人に興味を持って、人とかかわりを持つ。それがどれだけ日々の潤いになるのか、あらためて実感したよ」


 霧には、少し鬱陶しいな、とか、ちょっとどうなのかな、とか思うところがあります。しかし、それは霧の一面なだけであって、きっと霧の心の底に一本通っている芯というのは、どこまでも続く一本道のようなものなのでしょうね。


「それでね、今日見城さんに話しかけたのはさ、一人がちょっと寂しかったからなんだ。今までずっとボクは一人で帰っていたんだけど、前に見城さんと根来先輩と一緒に帰ったことがあったじゃない?」


「ああ、コスプレを見てほしいってあれ……」


 つい最近のことですね。私としては、霧の存在を認識したのはついこの前のことなのですが、霧からすれば私はずっと強く意識していた存在なんですよね。不思議な感覚です。


「そうそれ。一人で帰らない帰り道を知っちゃうと、一人で帰るのが途端に味気なく思えてくる。そんなもんなのかもね」


 そしてそれは、一緒に帰った帰り道が幸せだったっていう証拠でもある、と霧は笑いました。


「……それなら、今度からは一緒に帰りますか?」


 思えば、こうして誰かを自分から誘ったのは初めてな気がします。この言葉は、今この時のためにとっておいたのかもしれない、なんて思ってしまいます。ちょっと気恥ずかしいです。


「最近、千波ちゃんはよく一条先輩に付き合わされていて、あんまり帰り道で出くわすこともありませんし、その、退屈、していたんです。みよりちゃんも部活があるし。だから、まあ、退屈しのぎに一緒に帰っても、良いかなって」


 気恥ずかしいついでに言い訳じみた言葉を並べます。誰かときっちり約束して帰るのも、初めてだったかもしれません。


 霧は、私の言葉に、一瞬目を見開き、その後、ふっ、と柔らかく笑いました。


「だね!」


 ただそれだけ元気に言って、少しだけ私との距離を詰めてきました。肩が触れるか触れないかくらいの距離です。ぷにぷにしたほっぺたがすぐそばにあります。これで男とか、ちょっと信じられませんね。いや、本人曰く、両性具有ですか。


 なんて思いながら彼を見つめていると、ふとあることに気づきます。


「そういえば、霧がスクール水着を持っていたのって、もしかして……」

「うん! 見城さんが熱くスク水について語っていたからだよ!」


 自分で自分の首を絞めてどうするんですか、過去の私は。


 スク水を着ることについて何の抵抗も示していない霧の姿を思い出し、気分が萎えます。


 やっぱり、一緒に帰ろうだなんて言ったのは失敗だったかもしれません……。

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