俺は今日、彼女に殺されるかもしれない

ゆー

俺は今日、彼女に殺されるかもしれない

「これ何」


ぽんっ。と何とも雑に床に放り込まれたそれを、俺は震える眼差しでただ見つめることしか出来なかった。

細い腕と長い脚を組んでベッドに座り、正座する俺を見下ろす彼女。肩の辺りまで伸びた少し癖のあるセミロングの茶髪。その前髪の奥の瞳に温度は無い。というか、基本いつも無い。


「聞いてるんだけど」


加えて抑揚も無い低いお声。大変耳触りの良いその透き通る声は、初見の人が耳にすればまず怒っているとしか思えない声だが、安心してほしい。今は間違い無く怒っている。苛立たしげに指をとんとんと動かすその動きからもよく分かる。


「ねえ」

「………………ちな本……です………」

「聞こえない」


畳み掛ける様に、俯く俺の耳に隠そうともしない舌打ちが視界の外から聞こえ、知らず知らずに肩が跳ねた。


「………ちょっと、えっちな本……です」

「『ちょっと』?」

「えっちな本です」

「へえ」


軽蔑。侮蔑。そして殺意。たった二文字でそれをありありと乗せた声を出せるその演技力に感嘆の意を感じながらも、しかしこれだけは言っておかねばならないと、俺は唾を飲み込み勇ましく顔を上げた。


「あの!!」

「…………………………」

「………………です、ね………」


想像以上にキツい視線がお待ちかねだったので早々に心折れかけたが、どうにかこうにか奮い立たせ、背筋を伸ばす。伸ばさないと、その圧に潰されて崩れ落ちかねないからだ。


「何」

「……その、……それは、……別にー……俺、僕、いえ、私の、私物では、なくて、……ですね?」

「だから?」

「だからその、決して、…私、わたくしが、そういう、趣味を、持っている、訳では、なくて………」

「趣味?『巨乳女子◯生、魅惑のイケナイ放課後レッスン』のこと?」

「……………」


表紙に描かれた文章を恥ずかしげも無く読み上げられ、つい俺の口が噤む。

それを満足気に眺め、ふっ、と自嘲気味に小さな溜息を吐いた彼女が唇を歪ませる。これでもかという皮肉の込められた歪な笑みだ。


「『巨乳』、ね」

「…………」

「悪かったわね?大して大きくなくて」

「いやまぁ、小さくもないし……」

「は?」

「何でもないです」


危ない。今のどすの効いた『は?』は抑えきれない『殺すぞ』の念が内から滲み出ていた。

無意識に胸元に吸い込まれかけた視線を慌てて戻す。わざとかたまたまか、腕を組み直して寄せて上げる様な姿勢になった彼女が、小さく鼻を鳴らして再度口を開く。


「百歩譲ってこれが貴方のじゃなかったとして」

「………」

「何で後生大事に隠されていたのかしらね?」

「……それは」


…男友達に押し付けられたからで、というのは言い訳にはならない。

間違い無く興味があったから、その場で返したりはしなかったのだから。

言葉につかえた俺を、彼女が目を細めて見つめている。


「認めていいわよ?使おうと思っていたんでしょう?」

「使……っ」

「散々お世話になっておいて、結局私じゃ不満な訳だ?」

「っそんな事は無い!」

「ふぅん」


相も変わらず刺々しい声色に変化こそ無かったが、その言葉に込められた想いは捨て置けなくて、すぐさま否定する。反射的な行動ではない。そこだけは疑われたくないのだ、彼女にだけは。


「可愛らしい人」


本を広い上げ、ゆっくりとページを開いた彼女がぽつりと小さく吐き出した。

下を向いているせいか、影の差す瞳に覇気は無い。


「ほら見て」


こちらにページを向けた彼女が、モデルの肌を撫でるようにして指を動かしながら、俺の顔を覗き込んでくる。


「笑顔が綺麗で、出るとこ出てて、素直さが滲み出てる」


「…私とは全然違う」


………。


…彼女は少々、というかまあ、かなり自分に自信が無いタイプである。

傷つきたくないから、傷つけたくないから、ならば最初から人を寄せ付けない。けれど、本当に困っている人にはつい手を差し伸べてしまう。とはいえ素直でもないから、差し伸べたにしては、その手が少々キツ過ぎて誤解を受けやすいところもあるけれど。

結果、クラスでも孤高の女王として明確に距離を置かれている彼女のその見えづらい優しさに、俺はいつしか惹かれていた。


ふとした時、彼女を目で追うことが増え、いつの間にか目が合うことが増え、一言二言会話する様になり、たまに一緒に昼飯を食べる様になり、冷たい視線をもらい、キツいお言葉をいただき、軽蔑と侮蔑を持って距離を置かれ、それでも諦めずに手を伸ばしたら、いつの間にか好きになっていた。


意外かもしれないが、先に告白してきたのは、彼女だった。


『……貴方のそのキモくてうざくて鼻につく偽善者っぷりが横に無いと、落ち着かない。…他の女性にちょっかい出して捕まっても面倒だから、私が傍で見てる』


……と、些か告白にしては棘があったものの、俺も彼女のその毒を浴びないと落ち着かない身体になっていたので、おあいこだろう。


「――」

「何」


彼女の名を呼ぶ。

返事はあれど、俯いた顔が上がることは無い。

放っておけば際限無くどん底に落ちていくであろう彼女を引っ張り上げるべく改めて姿勢を正すと、俺は深く深く頭を下げた。


「…その本に興味があったのは、間違い無く事実だ。すまなかった」

「そう。去勢、いつにする?予約してあげる」

「それはちょっと待ってください」


徐ろに端末を取り出して病院を探し始めた彼女の手を制し、そのまま包み込む。

ぴくりと、手で小さく反応を示した彼女が、顔を上げて俺を憎らしそうに睨めつける。


「興味があったし、読んだ」

「つまり私の手で直接潰してほしいの?」

「…読んだけど、直ぐに『違うな』ってなってやめたんだ」

「稚拙な言い訳」

「……どれを見ても、ふと君と比べてしまって」

「私を選ばなきゃよかった?」

「逆。君の方が可愛い」

「………」


『彼女の方が可愛い』。『彼女が来たら似合いそう』。『彼女とこういうところ行きたいな』。『彼女とこういうこと云々』。モデルの方には大変失礼ながら、読めば読む程、そんな感想しか出てこなくて。いつしか、興味も無くなって。


とりあえずこれは後日さっさと送り返すべきだな。けれども、もしこれが彼女に見つかったら、まず間違い無く面倒なことになるな。


そう思って、一先ず部屋の見つかりにくいところに隠したのに。


『…あそこ。昨日と配置が違う』

『……………………………はい???』


まさか、部屋に迎え入れての第一声がそれとは思い至る訳無いではないか。


「都合の良い言葉ばかり並べ立てる」

「ごめん」

「そんな安っぽい言葉で私が喜ぶとでも?随分お目出度いんだ」

「ごめん」

「最低」

「ごめ「最悪。悪辣。軽薄。下劣。愚劣。矮小。短小。早漏。絶倫。節操無し。呼吸出来るだけの猥褻物」……ん」


俺の胸倉を掴み、勢い良く引き寄せると、頭を胸元に押し付けた彼女が、くぐもった声で俺を責め立てる。

若干、心が折れかけたが、多分早くもないし小さくもないし、彼女自身がそれを既に認めているので、大丈夫だと思う。思いたい。


「馬鹿。馬鹿。大馬鹿」

「…どうしたら、許してくれる?」


いつしか語彙力の尽きたその細い腰に手を回して、もう片方の手で頭を撫でる。何度撫でても飽きないふわふわの髪だ。


「………」

「いで」


暫くは甘んじて受け入れてくれた彼女であったが、すっ、と突然身体を離すと俺を床に押し倒し、終いにははしたなくお腹に跨ってくる。

胸元のボタンを外しながら上から俺を睨みつけるその目の奥には、物静かな雰囲気には似合わぬ獰猛な炎。


「許さない」

「………」

「……全部、塗り替える。私以外の女なんてもう見えなくなるくらい、私に夢中にさせてやる……!」

「………お………」

「私以外に反応出来ないなら、ぎりぎり去勢も必要ないものね?」


それでも可能性はあるのか。


「貴方には私以外いらない。私には貴方しかいない」

「…………うん」


付き合ってから、少々依存気味になってしまったのは、致し方無いことなのだろうか。

願わくば、これから共に生きる中で彼女が己を肯定出来るようにしてあげたいと思うのだが。


「全部搾り取ってもう出なくなったとしてもやめない。どれだけ謝ったって絶対に離さないから。覚悟して」


…どうやら悲しいことに、願う間もなく、俺は今夜彼女に殺されるのかもしれない。


「優しくしてくれ…」

「貴方次第」


…それもまぁいいかな。











光の消えた瞳から涙を流しながら、呂律の回らない声で必死に許しを乞う彼女を上から見下ろしながら、俺は明日の朝日を無事に拝めることを心から願うのであった。

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