第6話 アレンの秘密


 迷宮の入口には、喉元を這い上がるような、ひんやりとした気配がまとわりついていた。


 太陽はすでに西に傾き、森の隙間を縫うように射し込んだ黄昏の光が、古びた石の門に影を落としている。


 その先にあるのは、闇が支配する世界だ。風の音すら届かない、密やかな静けさの中、俺たちは息を潜めるように足を踏み入れた。


「レオン、気をつけて。ここの魔物は、これまでとは何か違う」


 アレンの声が、妙に近い。


 振り向かずともわかる。まるで俺の影になったみたいに、すぐ横に寄り添っている。


 その距離の近さに、どうしても違和感がぬぐえなかった。


 最近のアレンは、まるで何かに怯えるように、俺の行動一つ一つを見張っているようにさえ思える。


 まるで、俺がこの世界からふっと消えてしまうと信じ込んでいるみたいに。


「……そんなに見張らなくていいって。俺、もう子どもじゃないんだから」


 冗談のつもりだった。でも、アレンは笑わなかった。


 光の乏しい横顔に浮かぶのは、不安と焦燥、そして――祈るように揺れる瞳に宿っていたのは、抑えきれない哀しみの色だった。



 

 俺たちのすぐ後ろでは、勇者と剣士カイルと僧侶のミレイが慎重に歩を進めている。


 パーティとしては、万全。


 ……それでも、俺の胸の底には、ずっと動かぬ疑問が重く横たわっていた。



 なぜ、アレンはここまで俺に固執する?


 幼馴染だから? それだけで命を張れるものか?


 ずっと胸に引っかかっていた違和感が、次第に言葉になって浮かび上がろうとしていた。




 ◇◇◇


 

 ダンジョンの最奥で、俺たちを待ち構えていたのは――


 体高二メートルを超える魔物だった。


 硬質な鱗に覆われた巨体、血走った目、狂気を宿した咆哮。


 その一つ一つが、俺の脳裏に「あの時の死」の記憶を呼び覚ます。

 ……こいつが“死”の相手じゃないと、頭ではわかっているのに。体が、勝手に震えた。


「来るぞ……!」


 咄嗟に魔法陣を展開し、雷の刃を撃ち出す。


 アレンが剣を構えて前へ出て、カイルが援護に回り、ミレイは回復の準備に入った。


 息が詰まりそうな攻防の中、バランスを崩したカイルを狙って魔物の爪が振り下ろされる。


 その瞬間、頭で考えるよりも先に、俺の身体が反射的に動いていた。


(ああ、また俺は……!)



 だけど、次に聞こえたのは――


「レオン、下がって!!」


 鋭い声と同時に、俺の身体が脇から激しく突き飛ばされた。


 重たい衝撃。肉が裂けるような音。そして、鉄のような血の匂い。


 地面に転がった俺が見上げた先には――


 

「……アレン?」


 

 腹を押さえ、膝をついたままの彼がいた。



「お前……なんで……っ! なんで身代わりみたいなこと……!」



 喉の奥が熱く詰まる。湧き上がる感情は、怒りでもなければ悲しみでもない。

 もっと、名もない何かが、胸の奥で溶け合い、どうしようもなく溢れ出していく。


 アレンはゆっくりと顔を上げ、かすれる声で呟いた。



「……もう、隠しておけそうにないや」


 低く掠れた声は、どこか壊れかけたガラスのように不安定で、それでいてーー鋭く、まっすぐだった。


「レオン、君のこと……ずっと見てきた。気づいてなかったでしょ? ずっと、君だけを……」


 そこから零れた言葉は、過去と今を繋ぐ、歪な真実。


「だから、今こそ……話さなきゃいけないと思ったんだ。信じられないかもしれないけど、僕はね、一度、君を失ったんだ。あの日、君が勇者を庇って死んで……すべてが崩れた。でも――気づいたら、五年前に戻っていたんだ」


 アレンの言葉は、一滴ずつ零れていく雫のように、静かに紡がれていた。

 それでも、その声の奥底には、揺るがぬ覚悟が宿っていた。


「……あれが夢じゃないってわかったのは、五年前の君にもう一度会えたときだった。僕だけが戻ったんだって、確信した」


 その言葉が意味を成すまでに、時間がかかった。


 まるで心臓の音が消えて、時間までもが凍りついたようだった。


「僕ね。君が死んだと知ったとき、気が狂いそうだったんだ。棺の中で眠る君を見て、僕の世界全てが終わったんだと思った」


 震える声は、隠しきれない感情の断片を次々と落としていく。

 その奥に潜んでいた、剥き出しの本心が、容赦なく胸を貫いた。


「だから、その日の夜、衝動のまま魔物に向かっていった。復讐でも、破滅でもなんでもよかった。君のいない世界に、生きている意味なんてなかったから。でもね……何でか気がついたら、五年前に戻ってて。ーーこの奇跡は、もう一度与えられた“僕への救い“なんだって思った」


 震える指が、そっと俺の手に触れた。


「今度こそ、絶対に君を守ろうって決めた。君が勇者を守るのなら、僕も一緒に。……君を、何があっても死なせないって、誓ったんだ」


 アレンの涙が、頬を伝って落ちていった。


 あまりにも綺麗で、静かで――なのに、今にも崩れてしまいそうなほど脆い表情だった。


「君を、もう二度と失いたくないんだ。……お願いだよ、レオン。僕を置いて死なないで」


 これまで感じていた違和感。

 アレンの過剰なほどの執着と恐怖。

 

 それらが、俺の中で一気に繋がっていく。



「……馬鹿かよ、お前」


 俺はゆっくりと立ち上がった。


「だからって、お前が俺を庇って死んだらどうすんだ。そんなの、違ぇだろ」


 自分でも不思議なほど、声は澄んでいた。


 けれど、その胸に一点の迷いもなかった。



「俺の運命は、俺が自分で変えるんだ。お前の犠牲で生き延びたって、何の意味もねぇよ」


 アレンが、息を呑んだ。


 瞳が、揺れていた。


「……レオン」


「俺はな。死ぬために旅に出たんじゃねぇんだよ。生きるために、お前と、みんなと、未来に向かって進むために、ここにいる」


 血に染まった剣を、もう一度握り直す。


 ――もう、守られるだけの存在ではいられない。


「だから……もう、二度と俺を庇って死にそうになるようなことはすんな。そんなの、俺が絶対許さねぇ」


 アレンの目に、新たな涙が滲んだ。


 だけどその顔は、ゆっくりと、微笑んだ。


「……うん」


 その微笑みは、あの日、はじめて出会ったときと同じだった。


 優しくて、あたたかくて――でも、ほんの少しだけ、痛みを孕んでいた。

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