第7話 運命を変える戦いと選択



 足元の土が、不自然に柔らかかった。


 山道を外れて、谷へと下る小道の先。霧がうっすらと漂い、湿気を含んだ空気が肌にまとわりつく。高く茂った草木が音もなく揺れている──それは、風ではなく、大地を伝う“何か”の振動だった。


 ここに来た瞬間、胸の奥がざわついたのを覚えている。

 戦場の風、魔物の咆哮、そして……焼け焦げた草の匂い。


 忘れられるわけがない。


(ここだ。俺が前回“死んだ場所”だ)


 ゲームの記憶でも、前回でも、繰り返した結末。

 勇者パーティの一員として戦った末、俺は勇者を庇ってこの場所で死んだ。

 そう、“運命”として、あまりにも綺麗に物語は幕を閉じた。


 だけど──


「……そんな結末、受け入れられるわけあるかよ」


 喉の奥が焼けるようだった。


 激しい土煙が舞い、視界を塞ぐ。

 鋭い咆哮が大地を震わせ、戦場の隅々まで支配している。


 歯を食いしばる。

 指先が震えていたのは、恐怖のせいじゃない。


 ここが“運命の分岐点”だと、体が理解している。


(俺はもう、決めたんだ)


 今度こそ、生き抜く。

 今度こそ、この手で未来を掴む。


 そして──


「君は、絶対に死なせない」


 背後から聞こえた声に、心臓が跳ねた。


 アレンだった。


 真っ直ぐな視線が、熱を帯びて俺の背中を射抜いている。


「アレン……」


 その剣が風を裂く。

 閃く刃が魔物の喉元を切り裂き、血飛沫が大地を赤く染めた。


 ──強い。


 信じられないほどに。


 まるで“最初から戦士だった”かのような身のこなしで、アレンは次々と敵をなぎ倒していく。

 俺が一瞬でもその姿に気を取られたのは、明らかに甘かった。


「ッ──!」


 視界の隅、影が揺れる。

 巨大な魔物の爪が、真上から振り下ろされようとしていた。


 ──死ぬ!


 反射的に魔法を発動しようとするが、速さが足りない。


「──レオン!!」


 アレンの声が弾けた。

 次の瞬間、俺は強く抱きしめられ、地面へ押し倒される。


 ……衝撃。だが、痛くない。


 重なる体温。

 耳元で聞こえる、激しい息遣いと鼓動。


「ッ、アレン!!」


 驚きに目を見開いた俺の上で、アレンはしっかりと俺を抱きしめたまま、顔をしかめた。

 肩から、鮮血がぽたりと俺の胸に落ちる。


「お前、またなにやってんだよ……!」


 怒りと動揺が混ざった声が、自然と漏れた。

 なのに、アレンは痛みに顔を歪めながらも、微かに笑う。


「……言ったでしょ」


 その声は、俺の耳元で震えるほど近くて、どうしようもなく切実だった。


「君は……絶対に死なせないって」


 抱きしめる腕に、力がこもる。

 自分が流している血のことなんて、まるで意識していないかのように。


(こいつ……本気で)


 視線が絡み合う。

 その奥にあるのは、狂気にも似た、底知れぬ執着──


 ──違う。


 これは、“狂気”なんかじゃない。


 “覚悟”だ。


 アレンは本気で、命を懸けて俺を守ろうとしている。

 まだ俺が、この世界の理に半信半疑でいるあいだに、こいつは──もうずっと前から“抗い続けて”いたんだ。


「……お前──」


 問いかけようとしたその瞬間。


「レオン!!」


 勇者の叫びが響く。


「今だ! やれるか!?」


 前方。戦場の中心に鎮座する、魔物の長──“あいつ”を倒さなければ、この未来はまた同じように閉じる。


「……あぁ、もちろんだ」


 俺は魔法陣を展開する。


 “決める”。


 ──俺が、俺の手で運命を変える。


 雷鳴が、大地を裂いた。


 ⚡


 ◇◇◇


 戦いは終わった。


 焼け焦げた大地の向こうに、魔物の長の骸が横たわっている。

 煙の匂いと血の鉄臭さが鼻をつく。


 ──俺は、生きている。


「終わった、のか……」


 呆然とつぶやいたその瞬間。

 温かい腕が、俺を優しく包み込んだ。


「アレン……?」


「……君が、生きてる……」


 その声は震えていた。

 さっきまで戦場を駆けていた男とは思えないほど、か細く、頼りなくて──


「怖かった……怖くて……。また君が、僕の目の前から消えるんじゃないかって……」


「……アレン」


 俺を抱く腕に、さらに力がこもる。

 震えが、肌越しに伝わってくる。


「ああ……もう、どうしたらいいんだろう……」


 ──何かが引っかかる。


 俺は、アレンにとって“ただの幼馴染”だったはずだ。

 なのに、どうして。


 どうして、ここまで必死に俺を守ろうとする?


 友情にしたってこれは、何かおかしくないか?


「アレン、お前──」


 疑問を口にしかけたそのとき。


「お前ら……ほんっと仲いいよなぁ?」


 ──不意に、勇者の呆れた声が飛んできた。


「へ?」


「いや、普通戦闘後にそんな御伽話みたいな感動の抱きしめ合いするか? 俺もミレイも混ざっていい?」


「……はぁ!?」


 俺は慌ててアレンを押しのける。


「ち、違う! これはそういうのじゃ──」


「……レオン」


 アレンがぽつりとつぶやく。


「違うの?」


 その声に、思わず心臓が跳ねた。


「……」


 今までなら、“違う”ってすぐに言えたはずなのに。

 なぜか、言葉が出てこなかった。


 アレンの青い瞳が、まっすぐ俺を見ている。


 その意味を、まだ俺は知らない。

 けれど──


(……俺たちの関係って、一体なんなんだ?)


 初めて、その答えを探そうとしていた。

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