第5話 疑念とすれ違い
朝の森は静かだった。
揺れる木漏れ日がまだ眠気を引きずったように淡く、焚き火の煙が細く空へと溶けていく。
俺は、ぼんやりとその煙を眺めながら、スープの入った鍋をかき混ぜていた。
背後では、勇者パーティの仲間たち――
剣士のカイルが剣を手入れしていて、神官のエリザが近くで朝の祈りを唱えている。
その少し離れた場所で、アレンが俺の寝袋を畳んでいた。
――そう、今はもう“二人きり”じゃない。
村を出て、アレンと一悶着ありながらも勇者パーティに加入した。
そして、いつの間にかアレンも同行者として皆に溶け込んでいる。
……いや、“溶け込んでいる”というより、“食い込んでいる”と言った方が正確な気がする。
「おはよう、レオン」
振り向くと、アレンが柔らかく笑っていた。
寝袋を抱えて、自然な仕草で隣に座る。スープの匂いを嗅いで、うれしそうに目を細めた。
「今日も美味しそうだね。レオンの作る朝ごはん、好きだよ」
「……お前、昨日も同じこと言ってたぞ」
そう言いつつ、こいつに褒められるのはまんざらでもない。
だが、そんな軽いやりとりのなかにも、微妙な違和感があった。
“わざと”、寄ってきている気がするのだ。
誰よりも早く声をかけ、誰よりも近くにいて、誰よりも俺に触れる。
何かを埋めるように――あるいは、確かめるように。
「アレン、ちょっといいか?」
鍋の縁を掬いながら、気づけば声が口をついていた。
呼びかけに、アレンの瞳が揺れる。
「……なに?」
「お前さ、最近……ちょっと過保護すぎじゃね?」
「え?」
「なんか、ずっと俺の世話してくれてるけどよ……もう村じゃねえんだぞ。そろそろ自分のことを優先しろって」
アレンは困ったように笑った。
「だって、レオンが心配なんだもん」
「心配しすぎだって。俺、子どもじゃねえからな」
それは軽口のつもりだった。
でも、アレンの表情はわずかに翳った。
「……それでも、もしまた何かあったらって思うと……怖くて」
「何かって……そんな、大げさだろ」
そう言いながらも、言葉の端に潜む“また”の意味が引っかかる。
まるでアレンは――すでに“何か”を経験したような言い方だった。
一緒に過ごした日々で危険だったことなんか一度もないのに。
アレンは鍋の中でぐつぐつ煮えるスープを見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……僕ね、ずっと君のそばにいたいだけなんだよ」
その声は、冗談みたいに柔らかくて、けれどどこか壊れそうだった。
俺は、何も言い返せなかった。
◇◇◇
昼を過ぎたあたりで、パーティは小川の近くで休憩を取ることになった。
浅瀬に手を浸せば、ひやりとした感触が火照った肌に心地いい。
「レオン、水汲んできたよ。……それと、はい」
差し出されたのは、手拭いに包まれた干し果実と、蜂蜜を垂らした硬パン。
アレンの小さな包みは、いつも俺用に味がひと工夫されている。
「……これ、お前が作ったのか?」
「うん。昨夜のうちに。疲れてるときは甘いものが一番でしょ?」
「……ありがとな」
自然と笑みがこぼれる。優しさが染みる瞬間だった。
けれど――その分だけ、胸がざわつく。
アレンは、いつだって“俺のことを一番に”考えている。
それが嬉しくないわけじゃない。むしろありがたい。
けど、なんでだろう――最近、その“優しさ”が怖い。
「アレンさ……旅に出て、後悔してないか?」
問いかけに、アレンは目を瞬かせた。
まるで“そんなの当然じゃないか”と言いたげに、笑う。
「レオンがここにいる限り、後悔なんてあるわけないよ」
その返事に、言葉を失った。
まるで“俺がいなければ後悔する”とでも言いたげな、どこか縛るような響き。
「お前、他に……夢とかねえのか?」
「あるよ。でもそれは、レオンと一緒にいられる未来のこと」
即答だった。迷いが一片もなかった。
俺が言葉を失っている間に、アレンは隣に腰を下ろし、小川に手を浸す。
「……水、冷たいね。レオンの指、こうして冷やしておかないと」
俺の手を取る仕草が、あまりにも自然だった。
当たり前のように俺の手を包んで、指先をさすってくる。
「昨日、ちょっと火傷してたでしょ。焚き火、無理してたの気づいてたから」
どこまで見てるんだよ――そう思っても、言えなかった。
ただ、アレンの細い指に触れられたまま、何もできずにいた。
「……あったかいな」
ぽつりと零すと、アレンは笑った。
「でしょ。僕の手、レオン専用だから」
そう言って、冗談みたいに笑う。けれどその言葉に、妙な真実味があった。
この笑顔の裏に、まだ見えない“何か”がある。
きっとそれは、アレンが口にしないまま抱えている“過去”だ。
俺の知らないアレン。
それでも俺を包もうとする、やさしくて、苦しい手。
俺はその手を、そっと握り返した。
けれどその問いを口にするより早く、カイルの声が飛んできた。
「おーい、そろそろ出発するぞー。レオン、また先制頼むな」
「了解ー」
慌ただしく立ち上がる。話の続きをする余裕もないまま、旅路を再開する。
馬に荷物を括りつけ、隊列を組み、薄曇りの林道を歩いていく。
途中、魔物との小競り合いもあったが、パーティの連携は上々で、大きな被害もなく進んでいった。
……にもかかわらず、俺の心は晴れないままだった。
その理由は、後ろを歩くアレンにある。
さっきまで隣にぴったり張りついていたはずのアレンが、今は少しだけ距離を取っていた。
――いや、あれは“気を使って離れている”んだ。
それがわかってしまうことが、余計に息苦しかった。
「……僕ね、ずっと君のそばにいたいだけなんだよ」
あの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
“だけ”じゃない。
その言葉の奥に、もっと大きな何かがある。
ただの幼馴染が口にするには、重すぎる。
手綱を握る指に力を込めた。
――俺は、何かに気づきかけている。
けれど、それが何なのかまではわからない。
アレンは、何も話さない。
隠している。
その瞳の奥に、ずっと何かを。
俺を見て笑うその顔が、たまに“泣きそうに見える”のは、きっと気のせいじゃない。
「なあ、アレン……お前、俺に何隠してんだ?」
そう問いかけた言葉は、風の音にかき消された。
だがアレンは、まるで聞こえたかのように一瞬だけ、歩みを止めた。
そして――何も答えず、また歩き出した。
レオンは、うまく言えないもやもやを抱えたまま、馬の背に揺られて空を仰いだ。
林を抜けた先、空はすこしずつ夕暮れの色を滲ませていた。
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