第6話 再演の儀式

 週末の午後。

 響は都心の一角にある、予約制の「死別体験プログラム施設」へと足を運んでいた。


 ――佐伯京子からの、最後の依頼だった。


 


 そこは、合法的に“擬似死”を体験できる場所だった。

 暗い個室。棺に見立てたカプセル型のベッド。

 冷却システムによって肌がわずかに冷たくなり、微弱な麻酔で意識を曖昧にする。

 生きながらにして“死に近づく”ことで、精神の浄化や死生観の再構築を図る――という建前だった。


 


「岸本響さん、ですね」


 案内係の女性が、マスク越しに優しく声をかける。


「本日は、30分間の“終末体験”をご希望とのこと。

 ご本人の同意書と、依頼主の演出リクエストを確認しております」


「……“演出”?」


「はい。今回は、依頼主様から、特別なプランが用意されています」


 女性は微笑み、タブレットの画面をちらりと響に見せた。そこには、奇妙な文字列があった。


 


■演出タイトル:「贖罪の部屋」

■リクエスト内容:

・棺内で聴覚刺激(少女の泣き声)

・周囲に女性の影を3体投影(追跡・接近パターン)

・終了後に、本人へ記録映像を提示しないこと


 


「……なんでそんな……」


「“最後の記憶”にふさわしい“苦しみ”を、とのことです」


 


 響の喉が音を立てて鳴る。


 彼はそのとき、初めて恐怖を感じていた。


 自分の意思で“終わらせたい”と思っていたはずなのに、

 今、目の前にあるのは――他人によって用意された“死”だった。


 


***


 


 一方その頃、真帆は都庁の面談室にいた。


 目の前には、響のカウンセリング担当だった民間施設の心理士が座っていた。

 30代後半の女性。目の下にクマができ、話しながらも何度も指先をこすっている。


「……本当に、“何も聞いてない”んです」


「何も、というのは?」


「彼の記憶です。“思い出せない”のではなく、彼自身がそれに触れた瞬間、人格が変わるんです。

 別人みたいな声を出して、自分を“ヒロキ”と名乗ったことがあって……」


 


 その名前を聞いた瞬間、真帆の心臓が跳ねた。


 


「それ、いつの話ですか?」


「去年の冬です。雪が降ってて、彼が急に『あの子、まだ凍ってた』って呟いたんです。

 “どの子のこと?”って聞いたら、ものすごい声で叫び始めて……

 “俺じゃない”“殺してない”“ずっと閉じ込められてた”って。

 でも、そのあと何も覚えてなかったんです、彼は」


 


 真帆は、言葉を失った。


 


 その名前。

 その反応。

 その凍った“あの子”。


 ――響は、確実に“過去”の中で、何かを失っている。


 そしてそれを、佐伯京子は知っている。


 


***


 


 擬似死カプセルの中。


 響は目を閉じていた。


 肌寒い空気が、皮膚を撫でる。

 装置の音が止まり、音響が始まる。

 暗闇の中、スピーカーから女の子の泣き声が、静かに流れ始めた。


 


 「……やだ……だれか……たすけて……」


 「いたい……いたいの……あし……ちぎれそう……」


 「おにいちゃん……どこ……?」


 


 その声に、響の喉が無意識に動いた。


 


「やめろ……それは……おれじゃない……」


 


 頭の中で、鍵がひとつ、開いた。


 朽ちた階段。割れた窓。寒い冬の日。

 暗闇に、ずっと誰かが倒れていて。


 


 彼は叫んでいた。

 助けを呼んでいた。

 なのに、誰も来なかった。


 


 “あの子”が死んだ日、響はまだ“名前のない子供”だった。


 


 


 そして今、佐伯京子は――

 その子供を“加害者に再構築”しようとしている。

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