藩士鹿原源三郎が犬に取り憑いて祟ったこと

 承応26年のことだ。⚫︎藩士であった鹿原源三郎という男が裏垢で後水尾天皇を侮辱したので、死罪となった。


 源三郎はすでに実家を勘当されており、また父の鹿原伊諸が実直な忠臣であったことからお家取り潰しは免れたが、それでも大変不名誉なことである。


 源三郎の名は家系図から消され、死体は試し切りに供されたのち河原に捨て置かれ野犬の餌になったという。


 それから1年ほどした頃、奉行所に奇妙な報告が届いた。


 なんでも、“喋る犬”が出るというのだ。


 その犬は人の顔をしており、通行人に何かをくれとせがむらしい。藩内の小学校で児童の集団ヒステリーまで起きる始末で、皆頭を悩ませていた。


「江戸時代にも人面犬に関する伝承はあるが目撃談があるのは文化、文政と1800年代の頃、件という妖怪もいるがそれも流行ったのは19世紀ごろである。ちと承応に人面犬の話が流行るのは早過ぎはせんか?」


 奉行は首を捻った。だが、1人の与力がいった。


「人面犬と考えるから違和感があるのでは?私が代々世話になっている寺の住職から聞いた話ですが、常元虫というもののけは、死んだ常元という男の顔が羽根に浮き出ているとのことで、この虫は天正、読者にわかりやすくいえば1500年代ごろに現れたそうでござる。なればその人面犬も、死者の怨念が生んだものではありますまいか?」


「なるほど、平家蟹などもおるし、そう考えれば我々の生きている承応に人面犬のような噂がたっても違和感はない」


「というか承応が20年以上ある時点でこの議論意味ありますか?」


「早く明暦になってほしいよな」


 話し合いの末、では誰の怨念が原因なのかとよくよく調べてみれば人面犬が現れるのは源三郎が野晒しにされた河原だった。


 であればと伊諸が夜中、河原に行ってみると、やはり原三郎の顔がついた犬がいた。


 ただ、それは伊諸が思い描いていたのとは少し違う姿をしていた。


 犬の顔が人間になっているのではなく、犬の顔に重なって紙のように薄い人間の顔が浮かんでいる。


 そのペラペラの顔が、はくはくと口を動かしながら、「…してくれ…してくれ」と繰り返していた。


 この息子は死してなお人に縋り求めるばかりなのかと伊諸は情けないやら悔しいやらで、腰の刀をゆっくり抜く。


 えいや、と伊諸が原三郎の顔をした犬を切り捨てると、源三郎の顔は苦しそうに「出してくれ」とうめいて消え、犬の死体だけが残った。


 これで一件落着と思われたが、数日後、伊諸は急に自刃してしまった。


「江戸時代に裏垢などあるはずがないではないか!」


 それが最期の言葉であったと言う。


 以来、⚫︎藩の人面犬には原三郎と伊諸の両方の顔が浮かび上がるようになったそうだ。


(「⚫︎藩諸々事覚書」より)

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