第3話 織田への出仕、影の軍師

永禄末年。尾張中村郷の貧しい農家から飛び出し、藤吉郎はついに織田信長に仕官する機会を得た。しかし、その門出は決して平坦ではなかった。雑多な足軽たちに混じり、草履取りという泥臭い仕事から這い上がっていく藤吉郎の傍らには、常に小一郎の姿があった。


「兄上、草履は少し温めておくと、信長様はより心地よくお感じになるでしょう。そして、この桶の湯は、ただの湯ではありません。足の疲れを癒すだけでなく、思考を明晰にする効果もあると、未来では言われています。」


小一郎は、さりげない日常の行動に、現代の心理学や生理学、そして細やかな「おもてなし」の精神を忍ばせた助言を与えた。藤吉郎は、その言葉の真意を深くは理解できなかったものの、小一郎の言う通りにしてみると、信長の機嫌が明らかに良くなることを肌で感じ取った。信長の草履を懐で温めるという奇抜な発想は、藤吉郎の機転として史実にも残る逸話だが、その発案の裏には、小一郎の緻密な計算があったのだ。


小一郎は決して表舞台には出なかった。彼は、あくまで藤吉郎の「弟」という立場に徹し、雑務をこなしながら、兄の動向を冷静に見守っていた。しかし、その頭の中では、常に未来の知識がフル回転していた。織田家中の複雑な人間関係、武将たちの性格、そして今後の戦の行方。それらすべてが、小一郎の脳内にある「史実」というデータベースと照合され、瞬時に分析されていた。


彼は藤吉郎に対し、直接的な命令や指示はせず、あくまで「提案」や「示唆」の形で助言を与えた。


「この道は、敵の伏兵が潜みやすい地形だと、昔の兵法書にありました。迂回する方が賢明かと。」

「あの砦は、兵糧の供給線が脆弱です。攻めるなら、その点を突くのが効果的でしょう。」


小一郎の言葉は、まるでどこか遠い場所から全てを見通しているかのような、恐ろしいほどの正確さを持っていた。藤吉郎は、次第に小一郎の助言なしには重要な判断を下せなくなりつつあった。弟の言う通りに動けば、不思議と良い結果がもたらされる。それは、単なる偶然では片付けられない、確かな「導き」だった。


藤吉郎が頭角を現し、信長から次第に信頼を得ていく過程で、小一郎は影の軍師として、その非凡な才能を遺憾なく発揮した。彼の知識は、単なる歴史の予言に留まらなかった。現代のロジスティクス、情報収集、心理戦といった概念を、この時代の戦術や外交に巧妙に組み込んでいったのだ。


小一郎は、兄がただの足軽頭で終わる人間ではないと確信していた。彼は、史実の流れを尊重しつつ、兄をより大きな成功へと導き、そしてその先にある日本の未来を、少しでも良い方向へ導くための確固たる礎を築き始めていた。藤吉郎の知らぬところで、彼の人生は、そして日本の歴史は、この見慣れぬ弟の到来によって、静かに、だが確実に、新たな航路へと舵を切っていた。その瞳の奥には、兄の未来、そして日本の未来を案じる、深い思慮が宿っていた。


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