第4話 桶狭間の予言、信長の好奇心
永禄三年(1560年)五月。織田信長にとって、人生最大の危機が迫っていた。駿河の今川義元が、二万五千もの大軍を率いて尾張に侵攻。一方、信長の手勢はわずか二千ほど。誰もが今川の勝利を疑わず、織田家臣団の間には動揺と絶望が広がっていた。そんな緊迫した空気の中、藤吉郎はいつものように、小一郎から聞いた話を信長に進言した。
「信長様! 今川義元は、夜陰に乗じて桶狭間で休息を取ると、弟の小一郎が申しておりまする。そして、彼の本隊は油断しており、奇襲すれば必ず勝てると…」
藤吉郎の声は、緊張でやや上ずっていた。しかし、その言葉に、信長はいつになく鋭い眼差しを向けた。信長は、藤吉郎の才覚を認めつつも、その裏にある小一郎の存在に、漠然とした興味を抱き始めていたのだ。草履を温めるという奇抜な発想や、軍議の場で藤吉郎が時折口にする、この時代にはないような論理的な思考。それらは、決して藤吉郎一人から生まれたものではないと、信長は直感していた。
「ほう…その小一郎とやらが、そう申すか。たわけたことを。」
信長は口ではそう言ったものの、その表情には微かな興味の色が浮かんでいた。小一郎は、桶狭間の戦いの前に信長が今川義元を討つことを予言し、藤吉郎を驚愕させていた。未来の知識を持つ小一郎にとって、これは歴史の大きな転換点であり、決して外すことのできない「史実」だった。彼は藤吉郎に対し、今川軍の進軍経路、休息地、そして義元本陣の位置まで、詳細に伝えていた。
「兄上、今川軍は油断しています。この時代の常識では考えられないことですが、義元は自らの武運を過信し、深入りするでしょう。信長様は、決して正面からぶつかってはなりません。嵐を利用し、地形の利を活かし、そして何より、義元本陣を一点突破するのです。」
小一郎の言葉は、まるで戦場を上空から見下ろしているかのようだった。その具体性と、一切の迷いのない口調は、藤吉郎に確かな自信を与えた。
信長は、家臣たちの猛反対を押し切り、嵐をついての奇襲を決断する。その夜、信長は少数の兵を率いて清洲城を飛び出した。桶狭間に迫る織田軍は、豪雨と雷鳴に守られ、今川軍の警戒網をすり抜けていく。そして、藤吉郎が、そして小一郎が予言した通り、今川義元は桶狭間の狭間に本陣を置いて休息を取っていた。
突如として現れた織田軍に、今川軍は混乱に陥る。泥に足を取られ、豪雨に視界を奪われた今川軍は、為す術もなく潰走した。そして、信長は、まさに史実通り、今川義元を討ち取ることに成功した。
この奇跡的な勝利は、信長を天下に知らしめただけでなく、藤吉郎の評価を決定的に高めた。そして、信長の心には、藤吉郎の背後にいる「見えざる弟」への、抗いがたい好奇心が強く芽生えたのだった。小一郎は、信長が自身を「天命」と信じるようになる、その重要な契機を、未来の知識によって作り出したのである。
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