第8話 悠
夜中。悪夢を見てしまって目が覚める。一人でいるのがつらくて、ふらふらと外に出る。
夜の灰狼町は静かで、けれどどこか息苦しい。
しばらく歩いた先、道の端でしゃがみ込んでいる男の姿が目に入った。
彼は傷んだ顔でタバコを吸い、そのまま地面にこすりつける。
「はい」
私は彼の前にしゃがみ込み、携帯灰皿を差し出す。
彼は驚いたように顔を上げた。
「……美咲」
「これ以上、この町を汚さないでよ、悠」
灰狼町の道には、吸い殻やゴミがいくつも落ちている。
それを見て見ぬふりするほど、私たちは鈍感になりたくない。
「……ごめん」
悠はバツの悪そうな顔をして、火の消えたタバコを灰皿に捨てた。
「タバコのこと、ミツキたちには内緒にしてくれる?」
「……吸っちゃダメって言われてるの?」
「ちょっと体が弱くてさ。……まあ、俺は自分の体がどうなろうと、どうでもいいんだけど」
言いながら、悠は新しいタバコを一本取り出す。
まだ新品に近いライターを使っているその様子だと、普段はやめていたのに、耐えきれずに買ってしまったのだろう。
「……話、聞こうか? 私でよければ」
私は悠の隣に腰を下ろし、彼のタバコをすっと奪った。
タバコを咥え、シガレットケースから自分のライターを取り出して火をつける。
「……美咲、吸うんだ?」
「吸わない。今、初めて吸ってみた。……コホッ、うわ、何これ……不味っ」
思わず咳き込むと、悠が吹き出した。
「なにそれ。……美咲って、やっぱり変わってる」
悠は私の手からタバコを奪い取って、自分で咥えた。
ずるい、と思う。
火をつけたのは私なのに、そういうところだけちゃっかりしてる。
私はそっと視線を逸らした。
――しばらく無言で並んで座っていると、悠がぽつりとつぶやいた。
「絶対に傷つけたくない人がいるのに、何しても傷つけちゃうんだよ」
「え……?」
悠は立ち上がって数歩進むと、こちらを振り返った。
「……うち、来る?」
一瞬戸惑う。でもその声が、本当に辛そうで。
私は黙って立ち上がり、彼の背を追った。
*
カラコンを外すと、鏡の中に青い瞳が現れた。
「……美咲、その目……」
悠が驚いたように私を見て、私は少し照れたように笑う。
「……私、多分ハーフなんだ。顔立ちは日本人っぽいけど、目だけ青いの」
「気づかなかった」
「目立つから、普段はずっとカラコンしてるんだ」
私はソファに座ってテレビをぼーっと眺める。
悠がふと笑って言った。
「……俺より美咲のほうが苦しそうだけど? 泣きそうな顔してる」
――さっき見た夢のことを思い出す。
誰かの笑顔、誰かの泣き顔、私の悲鳴。
笑いたくても、うまく笑えない。
胸の奥から、熱いものがこみ上げてくる。
悠がそっと隣に座って、顔を覗き込む。
「大丈夫?」
優しい声。ああ、もう――
「……全然大丈夫。でも、そばにいてほしい……かも」
「うん」
悠はただ頷き、何も言わずに、そばにいてくれた。
そのまま私は、彼のぬくもりの中で、少しずつ意識を手放していった。
*
朝。
先に目が覚めた私は、洗面所を借りて顔を洗う。
カラコンをつけ直して、化粧を整える。
変装は、私の鎧だ。崩れたままでは、ここにいられない。
ふと洗面台の棚を見ると、女物の歯ブラシや化粧水が置かれていた。
――そういえば、前に聞いたことがある。
「ニンファーの誰かと付き合ってるの?」と。
その時、悠は明らかに動揺していた。
もしかして、これ……
私はそっとスマホを取り出し、歯ブラシの写真を撮る。
「……美咲? 起きたの?」
物音に驚いて、あわててスマホを隠す。
「おはよ、悠。……すみに置けないね」
茶化すように笑って、歯ブラシを指差すと、彼はなんでもない顔で答えた。
「ああ、愛梨たちが前に来た時に置いてったやつだと思う」
そう言って、悠はその歯ブラシを無造作にゴミ箱へ捨てた。
「……えっ」
私は目を丸くした。
あまりにもあっさりと、何の未練もないような手つき。
「……よかったの?」
「もう、必要ないよ」
その言葉があまりに冷たくて、何か深いものを感じた。
きっと、触れちゃいけないものだ。私は黙った。
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