第8話

 ⑧


 私たちはタクシーに乗っていた。

 助手席に高橋くん、後部座席に私と香里奈ちゃんが座った。

 息を切らして、高橋くんが来た時は驚いたけど、高橋くんなら有り得るかと納得した。

 


 怒りで我を忘れていたけど、そういえば、どこの海だろうと思ってたら、香里奈ちゃんがスマホの通話でどこ行きの特急列車なのか聞いてくれてたらしい。

 そこから、行ける海を探してくれた。

 本当に、香里奈ちゃんはすごい。すごく、かっこいい。



「ごめんね。高橋くん」

「えっ、いや」

「皆勤賞、あんなに頑張ってたのに」

「いや、いいよ。あの、あのさ」

「うん?」

「立花止めたら、言いたいことあるんだけどさ。……時間もらっても、いいかな?」

「え、うん?」

「じゃあ、私は立花を回収して帰るね」

「えっ、香里奈ちゃんも一緒に帰ろうよ」

「……それは、流石に」

 香里奈ちゃんは苦笑した。


「明日、遊ぼう」

「うん」






 季節外れの海は誰もいなかった。

 当たり前だよね。

 今は4月なんだから。






 人影を見つけた。

 ご丁寧に、靴まで揃えてあった。

 その中で、何かが光っていた。






 私は走る。

 私って、こんなに、足速かったんだ。






「立花くんっ!」




 立花くんはゆっくり振り返った。


 私は彼に、ビンタを食らわせてやった。

 それが予想外だったのか、立花くんは目を見開いた。

 立花くんは少しよろけただけだった。


 悔しい。

 私が高橋くんみたいに高身長なら、確実に倒れさせられたのに。



「な、なに?」

「なに! は! こっちのセリフじゃボケ!」

 私は二発目を逆側に打つ。


「な」

「好き勝手言いやがって! 海とか! ムカつく! 本当に! このクズが!」


 言葉がまとまらない。

 単語しか話せない。


 こんなのは、立野杏香のクローンらしくないかもしれない。

 でも、仕方ない。仕方ないの。私は、ママとは違う存在だから。

 私は、ママとパパの子だから。


「……僕の死に顔見に来たんだ。立野もだいぶ」

「私は貴方とは違う!」

 その言葉に、立花くんは傷ついた顔をした。

「はっ、そうだよね。僕なんか」

「最後まで聞いて! 黙れ! うるさい!」


 私は、立花くんの両肩を掴んでいた。

 私は、自分が海水に浸かってることに気がついた。靴下が濡れる。

靴は履き捨ててたみたいだ。


 どうりで、冷たい訳だ。

 でも、この冷たさが、少し、私を冷静にさせてくれた。



「私は! クローンなの!」

「……そんなの、知って」

「私は立野杏香のクローンだけど! 立野杏香ではないの! 人格を持った! 一人の人間なの! それは、貴方であっても否定はできない筈よ! いえ! 誰にもよ! 誰にも、私が私であることは否定できないし! させない! 私は意志のある一人の人間であることは! 貴方のコンプレックスは理解できる! 苦しみも痛いくらい分かる! でも、それは、私が理解できる範疇でしかなくて! だから! だからさ!」


 本当は、こんなこと言おうと思ってた訳じゃなかった。

 否定してやろうと思った。

 立花くんの全てを、否定してやりたいと考えた。

 でも、そんなのは、私のやり方じゃない。

 立花くんと私は違う。

 同じだと、私が思いたいだけだったんだ。




「頑張ろうよ! 一緒に!」




 ああ、そうか。私、傷付いてる立花くんを見ていたくなかったんだ。

 自分が、傷付いてることに、気がつきたくなかったから。




「結果的に、出来なかったとしても! 話し合おうよ!」

「……殴ったくせに」

「そりゃ、殴るよ! ムカついたから!」

「僕なんて死んじゃえばいいと思ってるくせに」

「思ってない!」

「思ってる」

「思ってないって言ってるでしょ!」

「そんな筈ない!」

「しつこい! 貴方がそう考えちゃうのは、貴方が死んじゃいたいって思ってるからでしょ! それを私に押し付けないで!」


 立花くんは絶句した。


「貴方は! 私に一体どうして欲しいの! 助けて欲しいの? 無視して欲しいの? 酷くして欲しいの? 助けて欲しいなら、素直に助けてって言って! 無視して欲しいなら、関わろうとしないで! 酷くされたいなら他を当たって!」


 また、頭に血がのぼる。

 鼓動がうるさい。

 波の音さえ聞こえない。

 海水さえ、暖かくなってしまったみたいに感じた。


「あんな! 縋るような顔で私を見るからっ! 振り払えなかったのッ!」


 立花くんは、何も言わなかった。


「貴方なんか大っ嫌い! 大嫌いだけど! 私は、それでも! 貴方に生きてて欲しいの! 貴方がクローンだからってのも理由だよ! それは否定できないよ! でも、ただの最低なだけのクローンだったら、ここまで出来なかったよ! 私は、私が、困ってる時に助けてくれたから! 助けてくれたと思っちゃったから! お医者さんいい人だし! 貴方もいい人だと思いたかったし! パパとママにも頼まれちゃったし! クラスの子達も好きだし! 貴方が私と違かったとしても! 私が思う貴方でなかったとしても! 生きて! 生きてほしくて!」


「……それで、僕が、苦しくても?」

「苦しくても!」

「はっ」

「この世界から貴方がいなくなるのは嫌!」

「……どんだけ、傲慢な訳?」

「傲慢で貴方が死なないなら、いくらでも傲慢になってやる」

 私は、前みたいに、立花くんに縋り付いていた。

「お願い、だからっ」


 どうか、届いて。

 届いて欲しい。

 お願い。



「馬鹿だよ」

「うん」

「……分かり合えたとしても、未来なんか、ないじゃん」

「ないなら作ればいい」

「そんな」

「無理かもしれない。でも、努力しないのは、違う、と思うよ」

「ムカつく」

「……うん」

「立野、立野は嫌な目にあっても、全然僕と同じになってくれない。僕と同じクローンのくせに」

「うん」

「お母さんがいてムカつく」

「……うん」

「お父さん、察しが良くてムカつく」

「うん!」

「今、嬉しそうなのもムカつくし」

「お医者さん、いい人じゃない」

「あはは!」

 立花くんは目を見開いて笑った。


「そう!」

 いつの間にか、私と同じように座り込んでいた立花くんは独りで大笑いする。

「賢吾は! 愛花が好き! 僕のことも好き! 僕が愛花のクローンだから!」

「賢吾さんはそんな人じゃ」


「そうだよ! 賢吾は最高で! 最高の父親で! 不器用なくせに優しくて! いつまでも料理が上手くならなくて! そのくせに、似合わないピンクのエプロンなんかして! ははっ! あれ、多分愛花のエプロンだ! 栄養バランスとか言うくせに、自分はエナドリばっか飲んでて! でも、僕が注意したら止めてくれて! 馬鹿みたいに反抗したのに、全然僕のこと嫌いになってくれなくて! 最初はいい子になろうって思って! 頑張ってたけど、僕は所詮最悪で! 賢吾に似てる人と沢山付き合って! 馬鹿がバラしやがったけど、その時、少しホッとしたんだ! これで、いい息子じゃなくて良くなるって! なのに、賢吾は、僕のことを絶対に責めない! 大人に騙されたんだって! 僕は! 僕が! クソッ! 危険だから、転校しようだってさ! はは! 完璧な対応だよ! 僕が一般的な子供だったら! 立野みたいなクローンだったら! 感動できたんだろうなぁ! いいなぁ! 皆、いいなぁあ! 立野、お前、父親と性的なことしたいなんて思ったことないんだろ! 普通はないんだろうね! そう! 可笑しいのは! いつも僕! 僕だけ! 僕だけがおかしくて! 気持ち悪い! あの会見、どう思ったって、立野聞いたでしょ? 教えてやるよ。羨ましい、だよ! 最低だろ! 人が強姦されてるのに! 僕は、そんなことを絶対にしない、いつも優しい賢吾が好きなくせにさ! 好きな筈なのに! 僕がそうならいいのにって! 思っちゃったんだよ! 僕は! 賢吾も愛花も愛してるのに! 愛してると思いたいのに! 最低にしちゃう! なら、死ぬしかないじゃん! どう足掻いても最低なら、さっさと死んだ方がいいじゃん! ここまでダラダラ生きちゃったけど! 愛花と賢吾が! 生きてて欲しいと思ってることも分かってるから! どう転んでも地獄! どうせ地獄なら、僕なんかいない方がいいんだよ!」


 立花くんが小さくなってる。

 本当は、こんなに小さな人だったんだ。


「生きなよ」

「死なせてよ」

「嫌だ」

「酷い」

「私は、私の意志で貴方を死なせない」


「……僕は、立野のせいにするような奴だよ」

「うん。貴方はそういう人だね」

「僕のことが嫌いなくせに」

「再三言ったけど、嫌いでも生きてて欲しいよ」

「……偽善者」

「偽善が人を」

 救うことも。

「……生かすこともあるよ」

「本当に、バッカじゃないの」

「……うん」


「隣人愛でここまでするか? フツー」

「私はするよ」

「……うん。立野ならするね。立野杏香の……と立野武の娘だもんね」

「そう!」


「自分を虐めてた最低男が、最低の近親相姦願望ホモ野郎だったご気分は……?」

「……そんなこと言えるくらいに回復して嬉しい、かな」

「でた、逃げ」


「逃げてないよ。クローンの法律と一緒に、同性婚の法律もできて17年だよ。いつまで、そんなこと言ってるの?」

 私は笑ってやった。

「それに、感想言われても嫌でしょ」

「確かに!」


 私たちは笑い合った。

 気がついたら、寒かった。

 4月の海水は、冷静になった頭には、冷た過ぎた。


「凪咲ちゃん!」


 何かを持った香里奈ちゃんが近付く。

 片手に、タオル。

 片手に……?


「それは……?」

「え? ドローンのリモコン?」

「え? ドロ? リモ?」

「うん。ほら、警察に届けるなら、証拠が必要かなって」

「そ、そか」


「……肖像権とか言わないんだね」

 香里奈ちゃんは立花を見た。

「肖像権のなんか、裁判あったじゃん。緊急性とかなんとかって。今はそれでしょ。判例には従うよ、僕は」

「はぁ」

 香里奈ちゃんは大きなため息を吐いた。


「立野さん!」

 高橋くんも来てくれた。

「高橋……くんも?」

 高橋くんは、ビデオカメラを持っていた。

 これは、見覚えが。


「あ、えと、矢島さんが撮影してって」

「証拠は多いだけいいよ。アングルで見えなかったら、最低でしょ」

「そ、そうだね?」

 沈黙が走った。

「で、矢島陣営は僕を社会的にも殺せる、と」

「うん」

「矢島、相変わらず、チャッカリしてるよね」

「……データ、ブルートゥースで、もうクラウドに預けてあるから」

「何? 海に投げ捨てるとでも思った?」

「今更、器物損壊を気にしたりしないでしょ」

「……ま、そうだね」

 立花くんは笑った。心なしか、スッキリしていたような気がする。


 あんだけのことをやらかしたんだから、スッキリでもして貰わないと困る。

「あ、高橋くん、話って何かな?」

「え! いや、ここでは、いや、ここのが寧ろ?」

 高橋くんはブツブツ何か言い出した。

「あ、はい。凪咲ちゃん。タオル」

 何かを迷い出した高橋くんを横目に、香里奈ちゃんは私にタオルを差し出した。

「ありがとう」

 私が一通り拭いてから、香里奈ちゃんはまた何か差し出してくれた。


「はい、洋服」

「え、香里奈ちゃんのお洋服は、私には」

「ううん。凪咲ちゃんのサイズだよ」

「「えっ」」

 高橋くんと私の声が重なった。

「……この前の誕生日プレゼント、実はまだ迷ってた服があったの」

「あ、ありがとう?」

「ううん」

「えと、後でお金」

「いいよ。立花殴ってくれてスッキリしたし」


「……矢島さんもやっとく?」

 そう言ったのは高橋くんだった。

「必要なら、取り押さえとくけど」

「いいよ。今の立花濡れてるし、高橋が濡れちゃうよ」

「僕が殴られることに対する異論はないの?」

 その言葉に、暫しの沈黙が流れた。

「あ、高橋が殴りたいなら、私が」

「いや、香里奈ちゃんが濡れちゃうよ! 私が抑えるよ!」

「高橋と凪咲ちゃんに申し訳ないから大丈夫かな。そろそろ着替えないと、風邪引くよ」

 香里奈ちゃんは私だけを見て、言ってくれた。





「アンタたち!」


 知らない人が声を掛けてきた。

 

「そういうのがしたい年頃なのはわかるけど! 夏にやんなさい! 着替えはあるの?」


 その人は私と立花くんを見た。

 私は震えた。


「あら! 貴方たち!」


 顔を、覗き込まれる。


「可愛い顔してるわね! スポーツドリンクのCMに出てそう!」


 その言葉に、私は吹き出してしまった。


「立野さん? こいつとCMって言われたのが嫌過ぎて笑い出したの?」

「……それもあると思うよ」


「あら、貴方たちも可愛いわね」


「俺は可愛いとかでは……」

「よく言われます」


 流れで、その人のお宅で着替えさせてもらえることになった。

 私は、無意識の内に、世界中の人が、私のことを知ってるんだと、勘違いをしていた。

 私を知らないでいてくれることが、こんな幸せなことだったなんて、知らなかった。


 香里奈ちゃんがくれたお洋服は前に貰ったイヤリングと似合いそうだった。


 


「じゃ、私は立花を回収して帰るね」

「あっ、香里奈ちゃん!」

「うん?」

「今夜! 話があるの!」

「うん。約束したもんね」

「絶対に来て!」

「どこでも行くよ。じゃあ、後でね」

「うん!」


 立花くんは借りてきた猫ちゃんみたいに大人しくなっていた。


「おい、立花」

「……何? 今殴られるのは」

「人ん家で暴行事件なんて起こす訳ないだろ」

「じゃ、何?」

「……学校、来いよ」

「……へぇ。キスされたの忘れたの?」

「心底気持ち悪いけど、野生動物に舐められたって考えてやる」

「……はっ!」

「お前の事情は、その」

「いいよ。そういうの。……いや、違うな」

 立花くんは目を逸らした。


「……僕、芥川龍之介も太宰治も、ドストエフスキーも、夢野久作も好きだよ。ただ」

 立花くんは息を吐くように呟いた。


「ただ……クローンのための小説なんか、ないからさ。本読んで、自分のことだなんて、とか、まさに怪作だ! なんて思える人が、羨ましかった」

「……ふん」

「じゃあね」

「明日、話がある」

「……また倉庫裏?」

「そこでいい」

「……はいはい」

「逃げんなよ」






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