第7話
⑦
「やっぱ、無理してたんだ。高橋」
誰かが呟いた。
本当は皆、気がついた。
高橋と立野が無理してることも。
でも、言えなかった。
自分たちが言える立場じゃないことを、理解していたし、そこに飛び込む勇気も、正直、なかったのだ。二人のことは好きだけど、そこまでは、出来ない。そういう面があったことも否定は出来ない。
二人には、自分たちが思う、理想であって欲しかったと云う、極めて利己的な、だが、切実な思いがあったことに、気がついている生徒もいた。
数年後には、多くの生徒が気がつくだろう。
このクラスはそう云う生徒ばかりだった。
高畠は頭を抱えて、その場にしゃがみ込んでいた。
「え、だいじょ」
「もうやだ」
その声は、少し泣いていた。
「本当にムカつく」
顔は見えなかった。
「……そうだね」
佐伯は同意した。
「アイツ、全然、俺が、どんだけ」
「ムカつく」
その言葉は、高畠ではなかった。
その言葉に、呆れた視線がその人物―高橋龍二に刺さる。
「矢島、本当にムカつく」
その言葉に、皆、彼を睨んだ。
佐伯は、その言葉を聞いた瞬間に、彼の机を叩く。
「アンタさぁ、本当に」
誰もその行動を止めなかった。
このクラスに、彼の味方はもういなかった。
誰もが、彼が黙ると思っていた。
「うるさい! うるさい!」
高橋龍二は叫んだ。その姿に、クラスの大半は呆気に取られていた。
「うるせぇのはお前だろうがよ! 矢島が好きだったのに、ダサいことしてんなよ!」
それに負ける佐伯ではなかった。
「うるさい! お前だって矢島のこと嫌いなくせに!」
「は?」
「立野さん取られて、死ぬほど悔しがってたくせに! お昼、いつの間にか矢島と食べることになってたし! いい気味だよ! 他のクラスの女子が『立野さん、いい人だけどさ、将来絶対、立野杏香の顔になれるって……なんか、こう言っちゃ失礼だけど、ずるい、よね』って言われた時も、『そうかもだけどさ。それ、凪咲の前で言ったら許さないから』って、正義感振り翳してくせに!」
「詳細に覚えててキモいわ!」
「僕がキモいのはずっとだよ! かっこいい兄と可愛い妹の間の! 要らなくてキモいのが僕なの!」
高橋龍二はキレながら、泣いていた。
その言葉に、一瞬、佐伯の瞳が揺らいだ。
「そんなお前の事情なんか俺らが知るかよ」
いつの間にか少し回復していた高畠が加わる。
「お前が好きな女子の悪口言う最低野郎ってことは変わんないから」
高畠がこんなことを言うのが意外だったのか、クラスの面々は静観する。
高畠は高橋にしかキツいことを言わなかった。
それが、高畠が認めているのは、高橋だけという側面があることを端的に示していた。
「大体」
「優希、いいよ」
「でもッ!」
「私が言いたい」
その言葉に、高畠は黙る。
「……私、正直、矢島のこと嫌いだよ」
「やっぱり!」
「だけどさ、嫌なことしてやりたいなんて思えないよ。だって、これは私の八つ当たりだから。私を選んで欲しかったっていう、私のワガママだからさ。私のが先に凪咲と仲良かったのに、おかしくない? って、思わなくもないけどさ。でも、凪咲が矢島といると楽しそうだから。なら、私が言えることなんか、ないじゃん」
「そんな! 綺麗事だ!」
「綺麗事だよ! 凪咲が矢島とご飯食べたいって言った時! 嫉妬で狂うかと思った! でも、矢島が本気で凪咲を大切にしてるのも知ってる! 私は、凪咲の件がなければ、矢島のやり方は嫌いじゃないし! 大体さ! 自分にとって嫌いだとしても、お互いいい感じの距離で、尊重し合いましょうってのが!」
佐伯は、一呼吸おいた。
「そういうのが、多様性って言うんじゃないの……!」
佐伯の悲痛な声に、高橋龍二は黙った。
暫しの沈黙の後に、高橋龍二は吐き出すように、言葉を紡いだ。
「矢島、矢島、本当にムカつく。矢島は、頭良くないし、体育も出来ないし、見た目も地味だし」
「お前さぁ」
そう言ったのは、佐伯でも高畠でもなかった。
「僕と! 同じ! こっち側なのにッ! 高橋も立野さんも、立花も分かるよ! だって、アイツらは特別じゃん!」
その言葉に、ほんの少し共感してしまう生徒も多かった。
あの3人と、高畠、佐伯は間違いなく、自分たちと違った。
「あんな! 自分は絶対正しいみたいな顔して! なんもないくせに! 立野さんの手を引いてさ! あんな! 僕のこと助けた時みたいに! 僕のこと助けたくせに! 僕のことなんて、本当は一切興味ないんだ!」
高橋龍二は泣いていた。男泣きと言っていいレベルだった。
「……矢島が助けるのは、僕だけでいて欲しかった」
その言葉に、少しだけ教室がざわついた。
「……え、お前、本当に、矢島のこと好きだったの?」
お調子者の生徒が言った。
彼は、高橋龍二をメガネと最初に言った生徒だった。
そして、先ほど、詩人を名乗る生徒にツッコミを入れていたのも彼だった。
「当たり前だよ!」
「いや、てっきり、付き合えそうだからしつこいのかと思ってた」
「好きだから! だから、許せなかったの!」
「そっか、そうか。……なら、仕方ない、か?」
途端に、教室がブーイングに包まれる。
「仕方ない訳ないでしょ!」
「ふざけんな! 好きならそんなことすんな!」
「それは、あんまり良くないんじゃないかな」
「田中もそっち側かよ!」
「いや、そっちってどっちだよ!」
「いや、田中は頭が良い空気が読めない馬鹿なだけだから」
「言うじゃん、詩人」
「さっきのお返し」
「漫才してる場合か!」
「告白、フラれるのキツいよな。しかも、同じクラス」
「確かに地獄ではある」
「地獄なのは矢島さんでしょ!」
「それはそう!」
「いや、女子は告白したら付き合えるみたいなところあるじゃん! 俺もこういうやり方はどうかと思うけどさ!」
「そうでもねぇよ!」
「え、ごめん!」
「謝るな! 逆に辛いから!」
メガネ呼びを始めた人物―田中は高橋龍二を見た。
「あのさ、失恋したらカラオケとか焼肉行ったりすんだよ」
「……一人じゃ」
「よし! 詩人と行ける奴らでカラオケ行こ!」
「え、俺は確定なの?」
「龍二と二人きりは俺も嫌だ!」
「びっくりするほど正直だな……」
詩人呼びされている人物―砂川は呟いた。
「発散したら、少しは楽になるから」
「……いいの?」
「ま、俺がメガネ呼びしたのが始まりな気がしなくもないし。その、そんなつもりじゃなかったんだよ。ごめん」
「え、その……いいよ」
少しだけ空気が優しくなったと思った時だった。
「なんか綺麗にまとまった感がムカつくな。結局、そいつの八つ当たりだし」
「そうなんだよね」
「うちらは矢島さん誘って女子会するか」
「そうだね、矢島さんがあいつの悪口言ってるの聞かなきゃこのムカムカは治らない気がする」
「はは、矢島、来なさそう。いや、案外来るのかな?」
佐伯は笑った。
「田中は暫く無視するから」
「え! なんで!」
「田中はなんだかんで女子の味方だと思ってた」
「いや! 女子の皆さんの味方です! 面倒なの嫌いだし!」
「そこまで言わんでいい」
「なんか見捨てたら死んじゃいそうじゃん! 龍二って!」
「捨て犬か! そんなん捨てろ!」
「犬に例えないで! 私、犬好きなのに」
「あー、あー! 高畠!」
「俺を巻き込むな」
「彼女! 彼女結局誰なん?」
「お前、マジで」
「あと、高畠って割と人のこと見下してそうって思ってたけど、案外熱い奴なんだな! 見直した」
その言葉に、高畠が眉間をヒク付かせた時だった。
「陸上の、長距離をガチでやってる男が熱くない訳ないじゃん」
矢島は、照れくさそに笑った。
「そういうところが好きなの」
「え! 彼女って!」
高畠は顔を逸らした。
また、何度目かの喧騒に包まれる。
様子を見ていた他のクラスの生徒も、なぜか盛り上がっていた。
「なんか忘れてるような」
「あ、保健室の先生と担任には言っといたよ!」
「シゴデキじゃん」
「はは、周りが、その、盛り上げると、冷めちゃうような人だから」
「いいじゃん! なんかそういう時に冷静な人がいないと群れが全滅しちゃうから、神様がそういう人を作ったんだって! なんかで見た気がする!」
「田中も、だいぶ、……詩人になってきたね」
「うん。砂川のお陰でな!」
「……うん。俺、田中もガチ陽キャだと思うよ。前から思ってたけど」
「え、いきなりデレるじゃん」
「陰キャの俺にも優しいし」
「う〜ん。田中は陰キャかもしれないけどさ、優しいじゃん。俺、人に優しい人が好きだから」
「授業始めるぞ〜」
先生が空席の多さに驚くまで、そう時間は掛からなかった。
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