第5話

     ⑤


 あの、高橋くんがキスされた事件の後、高橋くんは授業を受けていた。

 いつもと雰囲気の違う高橋くんに、誰も声を掛けられなかった。

 高畠くんや、佐伯さんまで。




 お昼休み。

 高橋くんは何も食べてなかった。




 私は、覚悟を決めて、高橋くんに近付いた。

「お昼、その、一緒に過ごしてもいい、かな?」

 高橋くんは焦燥し切った顔で私を見つめた。

 私は答えを聞く前に、高橋くんの腕を掴んだ。

「席、用意したよ」

 香里奈ちゃんが机をくっつけていた。

 いつもは香里奈ちゃんと二人で机をくっつけて食事してるけど、今日は四つ並べていた。

 高橋くんを誘導する。

「あ、席」

 高橋くんはくっつけた席の持ち主たちの顔を見た。

「いいよ、いいよ。俺たち、床で食べたい気分だったから」

「どんな気分だよ! でも、同じく!」

「私は床は嫌だなぁ、一緒に座ろ」

「いいね、くっついちゃお」

 皆、優しく微笑む。

 高橋くんは苦笑した。


「両手に花じゃん。俺も入れろよ」

 高畠くんは、いつも通り高橋くんの肩を組んだ。ほんの一瞬、高橋くんの肩が跳ねた気がした。

「……席順どうする?」

 高畠くんはすぐに手を離す。

「ここから見て右上が高橋、その前が佐伯、佐伯の下が高畠、高橋の隣が凪咲ちゃんだよ」

「……新幹線かよ」

 まさか決められてあるとは思ってなかったのか、高畠くんは絶句しながら、絞り出すように言った。

「え、私、呼ばれた?」

 佐伯さんが駆け寄ってきた。多分、成り行きを見ていてくれたんだ。


「え、あの、矢島さん……は?」

 困惑しながら高橋くんは言った。

 高橋くんが聞かなかったら、私が聞こうと思っていたことだった。

「え、だって、高橋って私のこと苦手でしょ?」

 香里奈ちゃんは当然のことのように言った。

「そ、んな」

「いいよ。慣れてるし。……こんなだしね。私」

 香里奈ちゃんは少しだけ、諦めたように笑った。

「い、いかないでよ」

 私は去ろうとする香里奈の腕に縋り付いた。

「ごめん。今は高橋の側にいてあげて。放課後遊ぼう?」

 その言葉に、私はショックを受けてしまった。


「あ、……そのさ」

 高橋くんは、迷いがちに、香里奈ちゃんを見た。

「矢島さんも、良かったら」

「……それが、高橋の意志?」

「……そう、だよ?」

「高橋さ」

 香里奈ちゃんが、言葉を続けようとした時、スマホの着信音が鳴った。


 アップテンポのハードロック。シャウトが響く。

 その音の先を、皆が探していた。





「な、凪咲……?」

 若干怯えた様子の佐伯さんが私を見る。

 私は急いでスマホを取る。

 私の緊急連絡先の一つ。クローン配給用のスマホ。この番号を知っているのは。そして、この設定音は。

 私は急ぎ過ぎてスピーカーにしてしまった。

『ああ、立野? いきなりごめんね?』

 その声に高橋くんはスマホを取ろうとしたけど、高畠くんが止めた。

「今度は、なに?」

『謝りたくて』

「そういうの、もういいよ」

『立野、その低い声のが僕好みだな』

「貴方の好みなんて吐き気がする」

『言うようになったじゃん』

 相変わらず、立花くんは笑っていた。でも、いつもより覇気がない。

『謝りたかったのは本当。僕、どうしようもないから』

 踏切の音が聞こえた。


「知ってるよ」

『はは! 本当に強くなって!』

「……立花くんのせいでね」

『うん。僕の八つ当たりに付き合わせてごめんね。立野があんまりに綺麗だったからさ』

「そう言うのはもう」

『勘違いしないでよ。もう、立野と僕の縁が切れたことぐらい分かるよ。僕が切ったことも、ね』

「だったら」


『全ての生き物は、海から来たんだって』

「は?」

『じゃあさ。クローンはどこから来たと思う? ああ、試験管なんてことはわかってるから。試験管っていうか、培養ポッドか。はは、は。心理テストみたいなものだと思って答えてよ』

「試験管だとしても、私はママとパパの子だし、どこから来てても構わないよ」

『……そう。ありがとう。……やっぱり、立野と僕は同じなんかじゃないよ。立野は真面目でいい奴だしね。立野は香里奈とか高橋とかと一緒にいた方がいいよ。僕じゃない。立野は自分のこと、巻き込まれ体質だと思ってるだろうけど、どうでもいい奴まで優しくしてるからだよ。そういうの、勘違いさせるから、程々にしな。まぁ、勘違いする奴が馬鹿だと思うけどね。人間なんて、皆馬鹿だし。あ、じゃあ、電車来たから、切るね? 精々、これからもクローンの地位向上に努めてよ』



 声が、震えていた。

 いや、ずっと、震えてた。



『こんなクローンでごめん。……立野が僕と同じクローンで良かった』




 それだけ言って、一方的に電話は切れた。








 教室は途端にうるさくなる。

「え、今のって」

「じ、自殺予こ」

「んな訳ないじゃん。流石に」

「いや、あの、あの立花だぞ」

「どうすんだよ」

「いや、うちらに出来ることなんて」

「せ、先生呼ぶ?」

「……そうだよな、とりあえず」

「あ。行くよ」

「じゃあ、俺は連絡網の立花の親に」

「いや、それは俺らからやったら……ややこしくならない?」

「そんなこと言ってる場合なの?」

「でもさ、でも」

「双方の言い分は分かるよ。私たち高校生だから。そんなの背負えないよ。しかも」

 そこまで言いかけて、止めていた。

 その後の言葉は、『あんな奴のために』なのかもしれないし、『クローンのために』なのかもしれなかった。

 でも、私はそんなことはどうでもいい。













 私の耳に、怒号が聞こえた。

 机がひっくり返ってる。

 蹴ったからだ。

 私が、机を、蹴ったから。



 

 言葉が、後から聞こえてくる気がした。


「あんのクソガキがッ!」


 その声は私だった。


「散々勝手言いやがって! 海で消えたいって! どこまでも自己愛の塊みたいな人! ふざけんな! お前が! 受け入れられないのは! お前が! 最低だからで! クローンのせいなんかじゃないわ! しかも! お礼! お礼ですって! はぁ?! そんなに死にたいなら私が殺してやるわクソボケがぁ!」


 私は歩き出した。


「た、立野……さん?」


 誰かが呼んだ気がした。


「午後の授業は病欠する!」


「病気には、見えな」

「……凪咲、その、殺しちゃダメ、だよ?」

 佐伯さんだ。佐伯さんは私の意思を気にかけてくれる。

 ああ、だから、私は、少し強引でも、佐伯さんも好きだったんだ。



「殴るだけ!」

「よし! なら、行きな!」

 佐伯さんは私の背中を押した。

「殴って、言うこと聞かせてやりな! 最後に勝つのは筋肉だよ!」

「ありがとう!」

「なんか理由は適当に言っておくし、ノートならいくらでも書いてやるから!」

「ありがとう! 大好き!」

「……知ってるよ」

 佐伯さんはクシャッと笑ってくれた。

「凪咲ちゃん!」

 香里奈ちゃんは鞄を持っていた。

「タクシーは呼んだよ!」

「ははっ! 香里奈ちゃんって本当に最高! 大好き! 行こ!」

「うん!」



 私は香里奈ちゃんの手を取って、走り出した。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る