第4話


俺は、砂がついたまま、愛花がいる病院に行った。

 賢吾に連絡は入れなかった。

 通行人が驚いた顔で俺を見る。

 それはそうだ。こんな時間に、背中に砂がついた金髪がいたら怖い。

 僕だって、控えめに言って関わりたくないだろう。





 俺が病院の受付を素通りしたら、警備員に止められた。

「あ、君!」

「……なんですか?」

「困るよ、受付を」

「……アンタ、僕を知らないなんて、仕事できないんだね」

「……は?」

「この病院で、僕の顔知らないの、多分アンタだけだよ」

 警備員は顔を歪めた。

「あっ! こちらへ!」

 見知った看護師が僕を誘導する。

「じゃ、お仕事、頑張ってください?」

 警備員は僕を睨んでいた。






「愛花さんのお部屋ですね。お待ちください。川西先生をお呼びしますので」

「ありがとうございます」

 看護師は愛花の部屋の前でいなくなった。

「お前らは本当に勝手だよな」

 川西先生―僕の担当医―は、苦笑していた。

「……もう慣れたでしょ」

「まぁな」

 川西先生が鍵を開ける。

「私、いる?」

 僕は黙った。それを見た川西先生は去ろうとする。

 俺は川西先生の袖を掴んでしまった。

「……暇?」

「んな訳あるかよ」

 川西先生は苦笑した。

「でも、俊のカウンセリングも、私の仕事だからさ」

「うん。ごめん」

「……いいよ。部屋空いてるとこあったかな?」

 川西先生は病院支給のスマホを出した。

「ううん。愛花の前が良い」

「……そう」





 愛花の個室は広い。花が飾ってある。また、賢吾が買ったんだろう。

 愛花はその名前の通りに、花が好きな人だった。





 幼い頃の記憶だ。

「俊」

 僕を呼ぶ愛花は綺麗だった。

「俊、私の大切な、子」

 愛花はそう言って、優しく抱き締めてくれた。

 記憶の中の僕は、回らない腕で必死に愛花を抱き締め返す。

「私ね。あんま体、強くないの」

「ちゃんとご飯食べないからだよ」

「そうかも。俊は賢吾に似て、頭が良いね」

「愛花と賢吾、こーこー同じだったんでしょ?」

「もう高校って概念を理解してるの? 天才じゃない?」

「だって、僕、二人の子だもん」

 愛花は曖昧に笑う。

 この時の僕は、自分がクローンだって知らなかった。

「俊は賢いし、優しいね」

 こんな奴になっちゃって、本当にごめんなさい。

「私が、その、もし、もしね」

 愛花は目を逸らした。

「死んじゃったら、賢吾のこと、よろしくね」


 今思えば、子供にとんでもない業を背負わせたもんだ。

 多分、この時の愛花は相当弱ってたんだと思う。

 公園で、周りが引くくらい本気でブランコを押してくれた人間と同一人物とは思えなかった。


「私も、頑張るからさ」

 このあと、愛花はなんて言ったのかだけ、思い出せない。





 愛花。可哀想な愛花。僕の大好きな、愛してる愛花。

 記憶の中の愛花は綺麗だ。

 目の前の愛花も相変わらず、憎らしいほど綺麗だ。

 血の気の失せた顔色も、愛花の美しさを強調するだけだった。





「平良と一緒にお見舞いしなよ。いつも一人で来ないで」

「平良……ああ、賢吾の旧姓?」

「そう……って、その制服」

「ああ、喧嘩」

「どうせ一方的に言い負かして突き飛ばされたんだろ?」

「……信用がないなぁ」

「信用されたいなら、態度で示しな」

「ま、確かにね」

「着替えたら?」

「いいよ。今はおセンチな気分だから」

「はぁ、クソガキがよ」

 平良は舌打ちした。

「……タバコも止められない奴に言われたくないんだけど。彼女のために禁煙するんじゃなかったの?」

「本当に俊は痛いとこ突くよね」

「特技ですから」

「タバコ吸いたくなったら、キスしてもらうことになってる」

「うわ、幼気な高校生になんてこと言う訳?」

「俊が本当に『幼気な高校生』なら言わなかったよ。私より派手な交際遍歴してるくせに」

「まぁ、否定はしないけどさ。彼女と結婚しないの?」

「う〜ん。どうだろ」

「そこまで責任取れないって? クローン研究の第一人者で金はあるでしょ」

「なめんな。こちとら、金、人望、社会的地位、容姿も持ってるし、最高の彼女もいてくれてんだよ」

「この世の全てじゃん」

「そうだよ」

「あの遊び人がねぇ」

「……俊もそろそろ、そういうの止めたら?」

「……へぇ」

「私は35歳で落ち着いたから、偉そうなこと言えない立場ってことは分かってるけどさ」

「もう彼女と付き合って5年くらいじゃん。責任取りなよ」

「結婚は責任でするもんじゃないだろ」

「ああ、妥協と諦め?」

「高校生がそんなこと言うもんじゃない」

「はぐらかしたね?」

 川西先生はため息を吐いた。

「私、親と仲悪いからさ。彼女に嫌な思いさせたくない」

「……は?」

「意外そうな顔」

「聞いたことなかったから」

「そりゃ、こんな話はしないよ。私にとって普通の話が、他人にとっての普通とは限らないことを、私は嫌ってくらい知ってるから」

「でも、僕には言っても良くない?」

「はは!」

 川西先生は意外そうに笑った。

「どうした? 嫉妬?」

「……違う」

「いいや、違くないね。案外可愛いとこあるよね、俊って」

「揶揄わないで」

「揶揄うよ。私はそういう人間」

「でた、開きなおり」

「うん。開き直った方が、楽だよ」

「唯我独尊」

「やらかしたことの責任が取れるなら、唯我独尊も悪くないよ」

 川西先生は笑った。

「じゃあさ、今、僕がここで川西先生が好きだって言ったらどうするの? それでも、唯我独尊で良いって言えんの?」

「言えるよ」

「彼女しか目にないくせに」

「絶対に、私は俊とは付き合わないよ。きちんとフってやる」

「無駄にフラれた気分なんだけど」

「たまにはフラれる側の気持ちになるのもいいんじゃない?」

「はいはい、僕は論外ですよ」

「はぁ、面倒くさいな。……顔だけで言えば、相当に好みだよ」

「は? 僕の親のこと、そう言う目で見てたの?」

「そこ、自分じゃないんだ?」

 川西先生は笑った。

「見たことないよ。だって、私、レズビアンだもん」

「……それはそうか」

「私は俊の顔は好みだけど、性的なことを考えると、本気で吐き気がするよ」

「そこまで言われると癪なんだけど」

「自分の子供のことを、そういう目じゃ見れないでしょ?」

「……そういう人」

「そういう人もいるとか屁理屈言うなよ?」

「人の言葉に被せないでよ」

「いつも俊がしてることが返ってきただけじゃん」


 僕たちは笑った。


「やっと笑った」

 川西先生は笑った。

「楽しかったら、笑うよ」

「それもそうか。……親っての二人に聞かせたかったな」

 川西先生は愛花を見た。

 愛花は、ただ、そこに、存在していた。

「……愛花と賢吾って、どんな高校生だったの? 同級生だったよね?」

「はは、私に思い出話なんかさせるの?」

「たまには、いいんじゃない?」


「……うん。そうだね。なんか、運命って感じの二人だったよ」

「運命とか、信じるタイプだったっけ?」

「聞いといて茶化すなよ。運命とか、信じてないけど、あるかもしれないって二人だった。愛花、すごい綺麗で、圧倒的で、無邪気でさ。私、ガリ勉だったんだけど、愛花がこんなに綺麗なのに、オシャレしないのは勿体無いって、いいって言ってるのに、無理やり放課後約束されてさ。気がついたら、アレよアレよ言う間に、こんな美女に」


 どっかで聞いたことある話だな。


「愛花と川西先生のスウィートメモリー聞いた訳じゃないんだけど」

「スウィートメモリーだと思うなら聞けよ」

「はいはい」

「ま、私の思い出は置いといて。平良も最初は嫌がってたけど、結局、愛花のこと好きになっちゃった。平良が告白してさ、愛花がそれに応える形で、キスしてた。あんまりに綺麗だったから、覚えてるよ」

「賢吾と愛花が青春してるの、想像できないな」

「俊が想像できないのは、高校生の二人でしょ? 基本的に結婚後もイチャついてたし」

「……うわぁ、聞きたくない」

「聞いといてな。ま、気持ちは分からなくもないけど。二人の結婚式、身内だけで行ったけどさ、私は参列して、挨拶したよ」

「ああ、写真もビデオも見たよ。……あのさ」

「なに?」

「もし、川西先生が結婚したら、僕って参列するの、許してもらえる?」

 川西先生は笑った。

「引きずってでも参列させる」

「……ありがとう」

「うん」

「……愛花と二人にしてくれる?」

「うん。鍵はオートロックだからさ」

「知ってるよ。過保護だな」

「過保護が嫌なら、そろそろ自暴自棄は止めな」

 それだけ言うと、川西先生は静かに出て行った。










 綺麗な愛花。

 思い出の中の、愛花。

 生き生きしてる愛花。

 最後らへんの泣きそうな愛花。

 僕が、意識がある愛花と過ごせた時間は、あまりにも短い。

 愛花、愛花が起きてくれたら。

 そしたら、3人で、幸せな、家族に。

 立野の家みたいな。

 優しくて、あったかくて。





「そんなの、なれる訳ないじゃん」

 その声が、頭の中でしたのか、実際に僕が言った言葉なのか、分からなかった。



 どれだけ、そうしていたのか。

 僕は、愛花の上に乗っていた。





 愛花の細い首筋を撫でる。

 撫でて、掴んだ。






 殺せる。

 今度こそ、僕が、愛花を殺せる。

 こんな、管ばかりになって、可哀想。

 愛花に、こんな姿は似合わない。

 愛花は、圧倒的に綺麗で、破天荒で。

 僕が泣いても、ブランコを全力で押して。

 それを、賢吾が止めて。

「こんな揺れじゃ、微風しか感じられないじゃん!」

 そう、無邪気に笑う人だ。

 それに、賢吾は本気で怒るし、呆れるし。

 でも、どこか、楽しそう。







「ははッ! 愛花は本当に綺麗!」

 僕は愛花の上で笑っていた。

 愛花の頬に涙が伝う。

 てっきり、愛花が起きたのかと思ったけど、そうじゃなかった。



「でも! 今! 賢吾の前にいるのは僕なの! お前じゃないのッ!」


 僕と同じ顔をした愛花を見つめる。


「いつまで賢吾の中にいる気なのっ? 消えてよ! 消えろよ! どうせ起きないんだろ! だったらさ! もう、いいだろ! 僕に賢吾を頂戴よ! 僕は愛花のクローンだし、愛花より頭が良くて、優しいんだろ! だったら、愛花も文句ないよなッ!」




 自分が何を言ってるのか、分からない。

 こんなこと、こんな最低なこと、僕は考えてたのか。





 こんな僕が、賢吾に愛してもらえる訳ないじゃん。






 力を込める。微かに、愛花が跳ねた気がした。





「私、賢吾も俊も愛してるからさ!」





 忘れてた、あの時の言葉の続きを、思い出してしまった。


 気がついたら、俺は病室から走っていた。

 ぶつかった人が怒る。

 怒ってた、と思う。

 でも、そんなのどうでも良かった。





 消えなきゃいけない。

 僕なんか、存在しちゃ駄目だ。

 でも、存在を消すなんてできない。

 そんなことわかってる。

 だから、仕方なく、生きてたけど。

 消えられなくても、僕は死なないと。

 愛花と賢吾のために。











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