【02】あゆきちとドロップキック

 パイナップルののった目玉焼きを食べたあと、わたしはあゆきちを探すついでに、家の近所を散策することにした。

 玄関を出ると、むわっと押し寄せる湿気。一度、修学旅行でマレーシアにいったことがあるが、それと近しいものを感じる。

 そのとき、一羽の鳥がわたしの前を横切った。くっきりしたピンク色の、細い足を持った鳥。

 フラミンゴである。

 フラミンゴはわたしに、ブラックオニキスみたいな瞳をむけると、興味がないのか、ふいっと顔を背けて、どこかへ歩いていった。なんだ、こいつ。

 そう思いつつ、朝ごはんのことを思い出して、家の庭に回ってみる。

 すると、お母さんのいうとおり、庭にパイナップルが生えていた。とげとげした葉っぱと、黄色い実。それが、だいたい五本ほど(単位あってる?)、庭に植わっていた。パイナップルって木に生えるもんじゃないんだ、とか、ちょっとアホなことを思う。

 パイナップルの木に、ぶーんと一匹の虫がくっついた。いままで見たことのないような、鮮やかな虫だ。

 それだけでなく、ブリリアントなチョウもどこからともなく飛んできた。チョウの、くっきりした水色の鱗粉が、日光を受けてあやしくきらめいている。でも、よくよく見たらチョウってガとあんまり変わんないよね、所詮虫だし……って、なんて風情のないことをいってるんだ、自分。

 庭の散策もそこそこに、わたしは歩道を歩き始める。

 歩道の左右には、いつものツツジの低木ではなく、背の高いヤシの木がたくさん生えていた。風にばさばさと揺れるヤシの木は、まるで長髪のバンドマンがヘッドバンキングをしているみたいで、おもしろい。

 十字路を通ると、「じゃぁ~ん」とウクレレをかき鳴らす音がきこえた。さっき、家の二階から見えた、近所の変なおじさんだ。おじさんはアロハシャツを着て、カンカン帽をかぶっていた。完全に常夏のいでたちだ。

 おじさんの挙動にはもう驚かないけど(慣れてるからね)、驚いたのは、あゆきちが、おじさんの前でペチペチと拍手をしてたことだ。「わ~、おじさん、ウクレレうまいっすね!」

 百均のコピー用紙くらい薄っぺらい感想を述べるあゆきち。

 おじさんが照れたように、頭をかく(この人も、この人だ)。

 あゆきち、と声をかけると、

「わ、ゆみてぃじゃん!」

 と、あゆきちがぱっと面を輝かせた。

「あゆきち、何してんの?」

「トロピカル化したのがおもしろいから、散歩してた」

「あ、わたしも」

「あら、そうなの」

 あゆきちは高校制定のカッターシャツをまくっていた。それなのに、たぶん一二〇センチくらいのルーズソックスをはいている。それを見て、ぼそっとたずねる。「……暑くないの?」

「うーん、蒸れるけど、まあ、朝はいてきちゃったしいっか、って感じ。ほら、ルーソって、靴下のり使ったり、くしゅくしゅ縮めたり、はくのに手間かかるじゃん。脱いだらそれの手間をかけた意味がなくなるきがして、なんか悔しくて」

 確かにそういわれてみれば、あゆきちの気持ちも判る気がした。

 どちらともなく、わたしとあゆきちはとなりに並んで、常夏の楽園と化した近所の歩道を歩き始める。

 すると、ハイビスカスの低木がふと目に入った。ピンクやイエローのハイビスカスが、その花弁をおおきく開いて、わたしたちに微笑んでいる。

「わ、きれい」

と、わたし。

「一個もらっちゃうか」

 あゆきちがそういって、ハイビスカスの花を一つ、ぷちんと千切った。そして、髪に花をさす。ルーズソックスとも相まって、なんだかひと昔前のギャルみたいになっている。

「ゆみてぃもいる?」

 イエローのハイビスカスを差し出してくるあゆきち。

「じゃ、もらっとこっかな」

 わたしはハイビスカスを受け取った。あゆきちを真似て、髪に差してみる。

「おそろだ。いいじゃん、かわいい」

「ね」

 わたしとあゆきちが顔を見合わせたとき、低木のむこうから、ぴょんとフラミンゴが一羽、飛び出してきた。

 わたしはちょっとびっくりして、声をあげた。

「うわ、フラミンゴだ」

「トロピカル化してからさ、フラミンゴめっちゃ見るよね」

 あゆきちが、わたしのことばに首肯する。

「まさにフラミンゴの王国って感じよね。なんか、めっちゃいる」

「わ、なんか、あれだ。あれやりたい」

「え、何何」

「なんだっけ、あれ――あ、そう! プリクラ撮りたい!」

「え~? いまに限って、プリクラ?」

 わたしがいうと、あゆきちは「判ってないなあ」と人さし指を左右にふった。

「こういう変な事態だからこそ、プリクラ撮るのが楽しいんでしょ! ほら、トロピカル化プリとかいって、撮っちゃおうよ」

 思わず、吹き出した。

 なんだ、トロピカル化プリって。

 トロピカル化プリとかいうパワーワードに押し負けて、わたしは頷いた。

「じゃあまあ、いいよ。プリクラ撮りにいこ」

「やった、いつものとこでいい? 商店街のゲーセンのとこ」

「いいけど、あそこやってるかな? あそこまでトロピカル化しちゃってたりしない?」

「まあまあ、そこは神の味噌汁ということで……」

「神のみぞ知る、ね!」

 わたしがそういうのを流すと、あゆきちは腰を低めて、近くにいたフラミンゴと、目を合わせた。

「……ね、あんたもトロピカルプリ撮る?」

 あゆきちが、フラミンゴの目をじっとのぞきこむ。

 すると、なにかしらの危機を察知したのか、フラミンゴが鋭くあゆきちにドロップキックした。

「ぐを!」

 お腹をしたたかに蹴られたあゆきちが、のたうち回る。それにしても、フラミンゴって、ドロップキックするのか。変な学びを一つ得た。

 もう、何やってんのよ……わたしがあゆきちに手を貸そうとしたとき、水滴がひとしずく、わたしの頬を打った。

 まさか、と思って天を仰ぐ。

 空には、どすのきいた灰色の雲がいくつも重なっていた。どう見ても、雨が降りそうな空模様だ。

 と、次の瞬間、ばけつをひっくり返したような大雨が、たちまち降り始めた。熱帯地方でよくある、スコールというやつだろう。

 あゆきちがバネ人形みたいに、勢いよく立ち上がる。

「やばっ、スコールスコール!」

 わたしとあゆきちはスコールから逃れるべく、ばたばたと歩道を駆けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る