第11幕 手の暖かさの話

 真っ暗な世界でなるみは一人蹲って泣いている。


『ぱぱぁ、ままぁ、どこぉ……」


 手足は短く、声も幼い。

 ずっと小さい頃から私は一人。

 パパもママも、私が眠る迄帰って来ないから、がんっばって寝るの。

 明日、朝起きたらほんの少しの間だけパパにもママにも会える。

 私をみて、優しく笑ってくれる、その短い時間だけが私の唯一の宝物だった。


『なんだおまえ? 一人か? じゃぁこっち来て一緒に遊ぼうぜ!』


 泣いている私に、そっと伸ばされた手を見る。

 私の小さな手と違って、とても大きくて、とても力強くてカッコいい手。


『どうした? 寂しいんだろ? 俺が一緒にいてやるよ』


 ああ、この手は大きくて、優しくて、何よりも暖かい。


『ひえんくん……』


 差し出されたその手に、私の手を添えると、彼に力強く握り返されて、私は引き起こされた。


『行こう!』

『うん!』


 私はこの手があれば一人じゃないし、寂しくない。

 だから、絶対に離しはしない。


『ずっと一緒にいてね! ひえんくん!』



「知らない天井だ……」


 ゆっくりと目を覚ました佳那子かなこは、放心した面持ちのまま、白いシーツのベッドの上で天井を見上げる。

 

「夢……?」


 何処かふわふわとした浮遊感を感じながら、佳那子は、悲しいような嬉しいような、知らない何かを見てた気がして、頬に一筋の涙を流す。

 それが何かを、思い出そうと頭を捻るが、霧の向こうに消えて行くように感じた感情も一緒に消えて行く。

 頬の涙を拭おうとして、自分の手が誰かに握られている事に気が付いてそっちを見る。


「お? 佳那子、起きたか」


 佳那子の視線に気が付いた、手を握っている者がそう声を発した。

 手を握っていたのは、彼女の実の兄である明人あきとで、心配そうに佳那子を見る。


「お兄ちゃん……? え? ここは?」


 佳那子は、ようやく自分が寝ている場所が、慣れ親しんだ自分のベッドでは無い事に気が付いて、身体を起こそうとして頭部に痛みを感じた。


「いっ」


 痛む頭部に手をまわすと、包帯か何かが巻かれているようで、布のような物の感触がその手に伝わって来た。

 明人は、起き上がろうとする佳那子の肩を押して、ベッドに寝かせる。


「まだ、動かない方がいい」


 そう言われて、佳那子は素直にベッドに身体を預けると、少しずつ色々思い出してきてようやく現状を認識した。


「ここは病院?」

「ああ、そうだよ」


 明人は佳那子の布団を掛け直してあげると、優しく頭を撫でる。


「ねぇ、今どんな事になってる?」


 心配して見守るだけで、何も言おうとしない明人に、悩んだすえに無難な言葉で佳那子は現状を聞く。


「どんな事? ああ、佳那子は学校の空き教室で、倒れてきた机に巻き込まれて頭を打ったらしいよ?」


 そんな事になっているんだなと、佳那子は思って上手く口裏を合わせようと、兄の説明を肯定するような、そんな言葉を頭のなかで探していると、その兄の頭を横から母である佳那かなが頭を叩く。


「適当な事言いなさんな、まったく」

「は? え?」

「あんたは黙ってなさい」


 困惑する明人を無視するようにそう言って、佳那はベッド横にあるボタンを押した。


『どうされましたか』


 突然、病室に若い女性の声が響いて、佳那子は少し驚いて天井のスピーカーに目をやる。


「娘が目を覚ましました、先生を呼んで頂けませんか?」

『わかりました! すぐに先生をお呼びしますね!』


 佳那は、スピーカーと話すようにそちらを向いているそんな会話をする。

 それを見ていた明人が、こそこそと手を振るので佳那子がそちらを見ると、ベッドの頭の方にある壁にスリット状の穴を指さして、ニヤリと笑顔を見せる。


「いて」


 そんな事をしていると、それ気が付いた佳那は、明人の頭を再び叩いた。


「何か言いたい事あるんなら、口でいいなさいよ」


 明人を不満そうに睨みながら、佳那がそう言うと、明人は先ほどの壁のスリットを指さして馬鹿にしたような顔を浮かべる。


「マイクはこっち!」


 バチン!

 今度はハッキリと音が聞こえる勢いで頭を叩かれた明人は、言葉を失って頭を抑えて蹲った。


「あんた、階段から落っこちで頭打ったって、学校から言われたけど……何があったの?」


 兄は机が倒れてと言い、母は階段から落ちたと言う。

 佳那子は少し考えるように首を傾げた。

 そして佳那を見て気が付いて「ああ、ずるいな」と心の中で呟いた。


「覚えていない……」


 どっちが正しい羽田の話か分からないので、佳那子は無難に答えておく事にした。


「……そう、思い出したらちゃんと教えてね?」

「うん」


 コンコン

 そんな話をしていると、入り口の扉がノックされる。


「どうぞ」


 佳那がそう返事をすると、優しそうな白衣姿の男性一人が入ってきた。


「おじゃまします」

「あ、先生宜しくお願いします」


 その白衣の男性に佳那が頭を下げ、その後ろでも明人も頭を下げたので、佳那子もそれにならって頭を下げた。


「佳那子ちゃんは、無理しないでいいからね」


 そう言いながら、佳那子の方を見ながらベッド横に椅子にその白衣の男性お医者さんの先生、は座った。


「ちょっと眩しいけど我慢してね」


 そう言って、佳那子の目を指で押し広げると、小型ライトで照らして素早く横に何度か振る。


「うん、問題無さそうだね。 MRIでも内出血は確認できなかったので、問題ないでしょう」


 先生は佳那子に笑顔を向けながら、立ち上がると佳那の方を向いて説明を続ける。


「気を失っていたのは、多分血をみたショックで血圧が一時的に低下しただけだったのだと思います」


 その先生の話を、真剣に聞いている佳那を、他人事のような気持ちで佳那子はながめる。


「まぁ、一応念の為に二日間程は病院に泊まって頂いた方がいいでしょうね」


 色々不安だったんだろう。

 安堵の溜息を漏らすと、佳那は深々とお辞儀をした。


「それじゃ、私はこれで。 何かありましたナースコールで教えてください」


 そう言って、先生は病室を出て行った。

 先生の話に安心した佳那は、お店があるからと後を明人に任せて、すぐに病室を出て行く。

 明人は、それを了承して佳那を見送った後、再びベッドの横の椅子に腰を下ろす。

 そして、いつの間にかめくれた布団を掛け直すと佳那子の頭を、もう一度優しく撫でた。


「お兄ちゃん、そんなに頭を撫でられたら、傷口がひらいちゃうよ?」


 佳那子が冗談めかしてそういうと、明人も「そうだな」と言って笑った。


「俺はもう少しここにいるから、安心して佳那子は寝てていいよ」

「ありがとう、お兄ちゃん」


 そう言って佳那子は目を閉じた。



「何か用事でしょうか? 神大じんだい先輩」


 そう言った羽田はたは、佳那子が倒れた翌日の朝の登校中に、神大と大河内おおこうちに呼び止められていた。


「昨日何があったか詳しく聞かせて欲しい」


 神大の言葉は丁寧ではあったが、どこか怒気を含んでいて、それに気圧されになりながら羽田は聞き返す。


「昨日って何の事でしょうか?」


 その言葉に、神大は馬鹿にされたような気持ちになって、少し上擦った声で再度尋ねた。


「佳那子の怪我の事だよ!」


 上級生に詰めらたせいで、羽田は一歩さがって顔を引き攣らせる。


「まてまて、神大! 俺が話すからお前は下がっとけ」

「っ、分かった」


 自分の状態が、感情的になりやすい状態だとはわかっている神大は、素直に後ろに下がった。

 変わりに羽田に大河内が今一度聞きなおす。


「驚かせてごめん、こいつこう見えて悪い奴じゃないから許してやってくれ」


 親指で後ろを差す大河内に、神大が舌打ちを返してそっぽを向く。


「こいつさ、佳那子ちゃんと付き合ってるから心配でたまらないんだよ」

「おま! それ言う必要ないだろ!」


 ふっと大河内は笑って、神大を無視して羽田を見る。


「それで、昨日の騒ぎの時に、君は佳那子君を運び出す担架の片方をもってただろう?」


 探るような目線で自分を覗き込む大河内に、羽田は緊張しながら口を開く。


「ええ、確かにそうですね」

「だったら、何があったか知ってるんじゃないかって思ってさ」


 神大の圧力とは違った、全てを見透かそうとするような大河内の迫力に、唾をゴクリと呑み込んで、昨日先生にした内容と同じ話をした。


「……その、事故って話は本当?」

「ええ、すぐ側にいましたので、間違いないです」


 羽田の説明に疑いの目を向けながら、大河内はもう一度核心部分を聞き返すと何も見逃すつもりは無いと、そういう強い意志の篭った目で羽田を凝視する。

 お互いの目線が交差して、二人とも先に目を逸らした方が負けとでも言わんばかりに睨みあってると、神大のポケットの中で着信音が響いた。

 二人は揃って神大の方へ視線を向け、神大は謝るような仕草で片手を上げて、電話を耳にあてた。


「どうした? ん? いや、昨日は何も会話してないけど? え? ……マジ? 分かった、また後で電話する。 母さんも何かわかったら連絡してよ……うん、そうする、それじゃ」


 電話を切った神大は、深刻そうな顔で口に震える手をあてて顔を顰める。


「どうした? 何かあったのか?」


 心配そうに大河内が神大に声をかけると、その声に答えるように顔を上げた神大は、震える唇のままで口を開いた。


「保坂が……自殺したらしい……」

「え?」


 その衝撃発言に、大河内は目を丸くして驚きの声を上げるが、それに反して羽田は無表情のまま、目を瞑った。

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