第10幕 二人のすれ違いの話
その日のお昼休み、静かな体育館でトントンとボールの音が響き、その音が途切れた瞬間に、キュッと床を鳴らす音がしたかと思うと、ゴールネットがズシャっと小さな音を立てた。
落ちてくるボールをその動きのまま、ドリブルに移行させるように受け取った
「んで、どうなんよ? 部活中も全然会話してねぇじゃん?」
シュート態勢に入った神大に向かって声をかけるのは、ゴール下でボールが落ちてくるのを待つバスケ部部長の
「どうって言ってもねっ! と」
神大が放ったボールも、先程の大河内のシュート同様に、ネットだけを静かに揺らして真下に落ちる。
二人は、交互にシュート練習を続けながら、神大の彼女になった佳那子の話をしていた。
「付き合いたてって、結構連絡取りたくなるもんじゃねぇの?」
次は大河内がフリースローラインに向かいながら不思議そうにそう聞く。
「まぁ、多分そうなんだろうけどさ……ちょっと色々危ないからって、連絡取るのは止めておこうってなってさ」
「危ないってなんだよっと! あ、すまん!」
大河内のシュートは、ゴールリングに弾かれて横にそれた。
それを慌てて追いかける神大に、軽く謝ってまた立ち位置を変える。
「下手になってないか?」
「うっせ! 部長職って練習ばっかできねぇんだよ」
神大が軽く大河内をからかうように笑いながら、フリースローラインに立つと、すぐにシュートを打った。
ボールは今度も、ゴールリングに触ることなくネットを揺らす。
「ほんと、おまえのシュートは正確だよなぁ……お前が部長やればよかったのによ」
また二人は場所を入れ替えると、今度はシュート態勢にならないまま大河内はボールを抱えて神大を見る。
「なぁ……また保坂の奴なのか?」
その名前を出された神大は、大きく息を吐き出すとゴール下を離れて壁に寄りかかった。
目線はどこか遠くを見て、静かに呟く。
「保坂なぁ……なんで、あいつあんな風になっちまったんだろうな」
神大が壁に寄りかかったのを見て、大河内もシュートする事を止めてドリブルをしながら神大の側にゆっくりと歩く。
「保坂の両親って、俺見た事ねぇんだが……お前はどうだ?」
神大の横で、同じように壁に寄りかかりながら大河内は一度聞いてみたかった事を口にする。
「俺も会ったことねぇや……うちの親はたまに連絡取ってるらしいけどな」
「やっぱそうか……お前に依存してるんだろうなぁ……」
「……」
神大の答えに、納得するように大河内は頷いてため息交じりにそう呟く。
その言葉は聞こえているが、神大は何も言い返さない。
「流石に小学校の時のような事は無いだろうけど……今度は本当にお前の彼女なんだから、そうとうキレてるだろうな」
神大は、小学校の頃に一度だけ、少し仲良くなった女子と休日に映画を見に行った事がある。
当時は、そんな男女関係なんかまったく意識していなくて、たまたま見たい映画の話題で意気投合し、それじゃってことで一緒に見に行っただけだ。
だが、それに嫉妬した保坂が逆上して、友達数人でその子に色々な意地悪が行われた。
その最終的な結果は、その子の転校で幕を閉じる事になった。
「俺なんかの何がいいんだかねぇ……そこまで執着されるような事やった記憶ないんだけどなぁ……」
神大は困ったように眉間に皺を寄せて目を瞑る。
「保育園の頃からの付き合いだろ?」
大河内の言葉に、神大は頭をかいて困ったような声で小さく唸った。
「あいつ、そう言ってるんだよなぁ……てか俺の親もそう言ってる。 でも俺の記憶の中で保坂の存在を意識したのって小学校に上がった頃なんだよ……」
その困った顔の神大の横顔に、大河内は乾いた笑声を上げる。
「まぁ、お前は小さい頃から人気者で、常に複数人一緒にいたって聞いた事あるが、その中にいたんだろうな。」
「まぁ、そうなんだろうな……しかも保坂の両親の都合でよく遅い時間まで家で預かってたらしい……」
初めて聞いたその事に、大河内は呆れた顔をして神大を見た。
「まじか……それで覚えてないとか、そりゃひでぇわ」
「……しかたねぇじゃん、本当に覚えてないんだからさ」
そんな風に小さく笑い合ったあと、二人の間に一時の無音の時間が流れる。
「……やっぱ、保坂なのか?」
「うーん……」
大河内の質問に、神大は腕を組んで呻くようにしばらく悩んだ後、小さく首を振って否定する。
「しばらく連絡を控える事を言いだしたのは、佳那子の方なんだよ……保坂が原因ならそう言うと思うんだけど、理由ははっきりと教えてくれないんだよ」
その、困り切った顔の神大を横目で見ながら、大河内も考える。
「あの子も色々周りに何かあるのかね?」
「どうなんだろうな……
神大は、佳那子の近くによくいる、彼女の同級生を思い浮かべてその名を口にする。
「ああ……あいつもバスケ上手いし、顔も悪くない……モテそうだもんな。 お前って本当に難儀なやつだな」
「うるせ」
その後は無言のまま、二人で休憩時間が終わる迄、風の音でも聞いていようかとしていると、外の方が騒がしくなっているのに気が付いて、二人で顔を見合わせた。
「騒がしいよな?」
「ああ、何かあったっみたいだな……ちょっと行ってみるか?」
二人は頷き合って体育館の出入り口に足を向けた。
◇
「先生こっちです!」
神大達二人が校舎に差し掛かった所で、一人の女生徒が、棒状に巻いた担架を持った保健室の先生の腕を引っ張って、目の前を走り抜けていった。
「誰か倒れたのかな」
「そうみたいだな」
野次馬になるのは悪いとは思ったものの、好奇心に負けた二人は、走り抜けた二人の後を追った。
やがて辿り着いたのは、自分達三年生の教室が集まる一角で、人だかりができてそれ以上進めなくなった。
「なぁ、なにがあった?」
近くの顔見知りの男子生徒を捕まえて、大河内が聞くと、その男子生徒は振り向いて首をふる。
「いや、よくわからん。 俺も今来た所なんだ」
そう言うと、再び男子生徒は奥の方を何とか見えないかと、そちらに向き直る。
「これじゃ何もわかんねぇな」
そう言いながら、神大も背伸びして何か見えないかと奥に視線をおくるが、人の頭しか見えない。
「怪我人が通るのでどいて下さい!」
奥から、先ほど保健室の先生の手を引っ張っていた、女生徒の声が聞こえて人垣が割れる。
「すみません、通ります! 道を開けて下さい!」
先ほどの女生徒の先導で、保健室の先生と一人の男子生徒が前後を抱えた担架で、女生徒を運び出そうと、神大達の前を通る。
その瞬間、神大は目の前が真っ暗になって叫ぶ。
「佳那子!!」
思わず佳那子に縋りつこうとする神大を、大河内が後ろから羽交い絞めにして止める。
「待て! 落ち着け!」
「ふざけるな! 落ち着いてられるか!」
そう叫んで、神大は大河内を振り払おうと暴れるのを、周囲にいた複数人の男子生徒が一緒になって抑え込む。
「落ち着けって! まずは彼女を安全なところに運んでもらわないと!」
「佳那子! なんで?! 何があった! 何があったんだ!!」
廊下に押さえつけられた格好で、神大は佳那子が連れていかれた方から視線を外せずに、涙を浮かべて叫び続けた。
◇
「それじゃぁ、佳那子さんはたまたまあの空き教室に用事があって、それで積み上げられていた机が倒れてきて、それに巻き込まれた……と言う事で本当にいいのね?」
佳那子を運び出したあと、救急車に運ばれて行くのを見送って、羽田と木谷は保健室で、彼らの担任と保健室の先生から事情聴取を受けていた。
羽田の説明を、あらためて確認するように保健室の先生が、念を押してそう尋ねる。
「はい」
そう返事する羽田を、困った顔で担任は見ながら口を開く。
「まぁそこは麻木さんが喋れるようになって、詳しく聞くから今はいいとして、何故あの教室に行ったんだ?」
「静かに読書出来る所を探してです……」
「二人でか?」
「いえ、たまたま同じように静かな場所を探してたみたいです」
そう言う羽田に、呆れたように息を吐いて担任は腕を組んで悩むように、眉間に皺を寄せて目を閉じる。
「田中先生、とりあえず今日の所はこの辺にしませんか? 二人とも精神的に疲れてると思いますので」
保健室の先生にそう言われた担任は、頭をかいてから了承する。
「羽田、お前はもう今日は帰れ。 血が付いた服のままじゃまずいだろ」
そう言って羽田の袖と胸元についた血の跡を差す。
羽田は、それをゆっくりと見て頷いた。
「木谷、お前は大丈夫か? きついなら帰っていいぞ?」
次に木谷の方をみて担任はそう問う。
木谷は首を横に振って担任を見返した。
「私は大丈夫です」
「そうか……じゃあ授業に……いや、すまんが先に、羽田の鞄とか持って来てやってくれないか?」
「わかりました」
「あ、いや! 自分で!」
羽田が自分の荷物は自分で取りに行くからと、それを断ろうとして担任に手で制される。
「その血だらけの服で教室に行ったら騒ぎになる、木谷に持って来てもらえ」
羽田は、ああそうかと言った表情を浮かべて木谷に頭を下げた。
「ごめん……お願い」
「ん、いいよ」
その後、木谷が羽田の荷物を持って保健室に戻ってくると、羽田は、その荷物からジャージを取り出して、それに着替えると帰宅する為に保健室を後にした。
それを見送った木谷も教室に戻るために保健室を出て行った。
二人を見送った、保健室の先生と担任は、お互いで顔を見合わせる。
「どう思いますか?」
「嘘でしょうね……机が倒れて来たんだったらあんなピンポイントな怪我にはならないと思います」
「……実際、あの空き教室の様子はどうでした?」
「……確かに机は倒れるように散乱してましたが……そんなもの、後で倒せば誤魔化せますから……」
「いったい何があったんですかね……」
「時間を置いて、しっかり聞き出すしかないでしょうね」
「そうなりますか……はぁ」
大きく溜息をついた担任に、保健室の先生はクスクスと笑った。
「まぁ、気長に行くしかないでしょう」
「ですね……教頭が何て言うか今から頭痛いです」
「教頭ですか……それでは済まないかもしれないですけどね」
「え? それはどういう意味で?」
「さぁ……どういう意味なんでしょうね」
困惑する担任を保健室から追い出すと、彼女も大きな溜息をついて、窓から見える青空を見上げた。
「これ以上、大きな事件にならないといいんだけどなぁ」
空に浮かぶ雲は何事もなかったように静かに流れていた。
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