第9幕 呼び出される話

 佳那子は、笹屋ささや亜理紗ありさとの、トイレでのやり取りから2週間程、お昼時間の羽田と部活動の時間以外は、学校で誰とも話すことなく過ごしていた。

 それがこんなにも辛いとは思っていなくて、世界の中でただ一人取り残されたように思えて、ふとした時にそこにはいない隆志の姿を探してしまう。


「あのうるさいのでも、けっこう役にたってたんだ……」


 身勝手とは思うけど、こう一人きりで過ごすと隆志の存在が、実はありがたかったんだなって泣きそうになる。



「んで、毎日ここに来てるわけだ……」


 そう言って昼休みに、いつもの非常階段の上で羽田に話しかける佳那子に、羽田は呆れたように言う。


「迷惑かけてるのはわかってるよ……羽田君は一人がよくて、ここでお昼取ってるのは知ってるから……ごめん」

「別に気にしてない……あんまり相手にしてないしね」


 自分を見ようともしないで、文庫本に視線を落としたままの羽田の横顔を見ながら、足をぶらぶらさせてそう謝る佳那子に、羽田は気にした風も無くそう言う。


「それにしても、ここは本当に涼しいんだね」


 佳那子は、すっと二人の間を抜ける風に身体を震わせる。


「セーターくらい、持ってきたらいいんじゃない?」


 その羽田の言葉を待ってたかのように、佳那子はニヤリとする。


「じゃじゃーん! 実はもってきてまーす!」


 そう言って、弁当箱を入れてきたトートバッグから、セーターを取り出すと袖に腕を通した。


「それは良かった、もう上着は貸さなくて済みそうだね」


 反応の薄い羽田に佳那子は口を尖らせて文句を言う。


「もう少しくらい、何か言ってくれてもいいんじゃない?」

「おお、それはすごいね、心配したけどちゃんと用意してたんだ、えらいえらい」


 完全な棒読みでそう言って、ページをめくる羽田。


「なによ……寂しがってる女の子にそんな冷たい態度取らなくてもよくない?」

「興味ないからね」


 佳那子の文句を、軽く流すように答える羽田を、佳那子は恨めしそうに睨むが、それをまるで気にすることなく、羽田は本に集中する。

 佳那子は、『まぁそうだよね』と思いながら空を見上げる。


「あ、そうだ! これ!」


 そう言ってトートバッグから、一冊の文庫本を取り出すと羽田に差し出した。


「ん? ああ、面白かった?」

「うん! とても楽しかったよ! ライトノベルだっけ? 私あまり本は読まないから知らなかったけど、こんな物が世の中にはあったんだね」


 羽田は、渡された文庫本を制服の内ポケットにしまい込むと、別の本を佳那子に差し出す。


「それ、続き」

「うわぁ! ありがとう! 凄く面白かったから続き気になってたの!」


 佳那子は差し出された文庫本を受け取ると、嬉しそうにページをめくる。

 鼻歌を歌いながら本を読む佳那子を、横目でちらりと見た羽田は、口角を少し上げると自分の読んでる本へ視線を戻した。

 その日は結局、残りお昼休みは二人とも無言で本を読み続けた。



「麻木さん、ちょっと待ってくれない?」


 佳那子がその日のお昼も、羽田のいる非常階段へ向かっていると、足立あだちに呼び止められて振り向いた。


「……なにか?」


 先日の事もあって、佳那子は警戒心を隠す事無く足立の顔を見る。

 足立は困った表情のまま、待って欲しいと懇願して、大声で近くの別のクラスメイトに声をかけた。


「麻木さんいたよ! 保坂先輩に伝えて!」


 足立が叫ぶ、その名前を聞いて佳那子は眉をひそめた。


「なに? 保坂先輩が私を探してるの?」

「あ、うん、さっき教室に来て……」


 目を泳がせながらそう答える足立に、佳那子は胡乱な目を向けた。


「なに? クラスの皆で私を探してたの? やけに保坂先輩に協力的じゃない?」

「いや、まぁ……あの先輩怖いらしいから……逆らった後輩を転校させたって噂あるじゃない? だから……」


 佳那子は、自分と視線を合わせようとしない足立に、苛立ちを覚えて低い声を作って尋ねる。


「そう……そんなひどい先輩に、みんなして同級生を売るような事するんだ……」

「ち、ちがうって! 別に保坂先輩も何か変な事しようってわけじゃないでしょ? 麻木さんと同じ部活だし、部活の事で何か話でもあるんだろうって……」


 全然そんな事を思っていない顔で、足立が誤魔化すように取り繕っていると、その後ろから保坂の声がした。


「佳那子ちゃん、やっとみつけた! 一緒に来てくれるよね?」

「せ、先輩……お疲れ様です」


 体育会系の部活は、どこの世界でも上下関係が厳しく校内で会った場合は後輩は先輩に必ず挨拶するのが決まりなのは、佳那子のバスケ部でも同じであった。

 正直のところ保坂に挨拶をするのなんて嫌な佳那子だが、それでも先輩である以上は無駄に揉め事を増やしたくないと思って、仕方なく頭を下げて挨拶をする。


「ちょっと話があるの? こっちに来て」


 有無を言わさない保坂の圧力に負けて、佳那子は仕方なく後をついていく事にした。



「ここは?」


 佳那子が連れて来られたのは、三年生の教室が並ぶ場所の一番奥の教室だった。

 その教室は、全ての机や椅子が後ろの方に積み上げられていて、教卓の上などの埃から、最近使われていない教室なのが分かった。


「空き教室よ……扉は閉めてね」


 そう言って教室に入った保坂は、すたすたと歩いて奥に入ると、積み上げられた机の山の前に立つ。


「こっちに」


 そう言って佳那子を手招きをする保坂のそばへ、佳那子はおそるおそる近づく。


「あの、話ってなんですか?」


 佳那子がそう尋ねると、保坂は顎に指をあてて、考えるような仕草を取ると、佳那子の方を見て神大の名前を出した。


「ねぇ、佳那子ちゃんって飛燕君と付き合ってるの?」


 そう言って笑う保坂の顔が、とても不気味に思えて佳那子は一歩後ずさる。


「どうしたの? 別に何もしないわよ? ただ聞いてるだけよ?」


 どうしても、ただ聞いてるだけとは思えなくて、佳那子は身震いをして自分の胸の前で手を強く組んだ。


「せ、先輩に何か関係があるんですか?」


 震える声を抑えるように、佳那子が精一杯の声でそう尋ね返すと、保坂は真顔になる。


「私が聞いてるんだけど? 質問に質問で返しちゃ失礼だって習わなかったの?」


 そう言って、保坂は腕を組んで机の山に背中を預ける。

 机の山がギッと音を立てて軋む。


「……付き合ってるって言ったらどうするんですか?」


 その言葉を聞いた保坂は、突然佳那子に何か白い物を投げつけた。


「きゃ!」


 慌ててそれを避けるようにしゃがむ佳那子に、保坂は嘲笑の声をあげる。


「なによ、そんなに驚いて。 ただのテニスボールじゃない。 当たっても痛くはないわ」


 そう言われて顔を上げた佳那子のすぐ目の前まで、保坂は来ていた。


「それで? 付き合ってるってことでいいのね?」


 口は笑っているのに、目が笑っていない。

 そんな顔で保坂はゆっくりと、何か棒状の物を頭上に振り上げる。

 それを見た佳那子は、咄嗟に横に飛び退いた。


「っひ!」


 小さな悲鳴を上げて、佳那子はさっきまでいた場所に目をやると、保坂が床に叩きつけた鉄パイプが見えた。

 まさか、こんな事までするとは思っていなかった佳那子は、身体を震わせながらじりじりと後ろに下がる。


「どうしたの? なんで避けるの? あなたがいなくなれば飛燕君はまたフリーになるんだから、素直に殴られなさいよ?」

「ふざけないで!」


 保坂の物言いに、佳那子が大声で叫び返して手探りで何か対抗できるものが無いか探りながら少しずつ移動する。


「何もないわよ? その大きな机でも投げてみる?」


 佳那子は机の脚を握って持ち上げようとするが、積み上げられた中から引き抜くなんてとても無理で、仮に引き抜けてたとしても、とても投げられそうにはない。


「んふふふふ、黙って飛燕君と別れてくれるなら、これ以上は何もしないけど?」


 そんな事を言われて、佳那子はカッとなった。

『ここまでの事をされて、なんで私は逃げるだけなの』

 そう思うと、やるせない気持ちになって保坂を睨み返した。


「絶対! 絶対に! 別れたりしない!」



「あ! 羽田君! こんな所にいたんだ!」


 羽田がいつもの場所で寛いでいると、そう言って羽田の名前を叫んだのは、佳那子の友人である筈の日花里ひかりだった。

 羽田が、いつもならとっくに来ている筈の佳那子を心配し始めたタイミングで、息を切らせて走り込んで来た日花里に驚いて目を丸くする。


「ん? 木谷きのたに、どうしたん?」

「ねぇ、佳那子を見なかった?」


 羽田の質問に覆いかぶせるように、日花里は焦った表情を浮かべてその名前を口にする。


「麻木がどうかしたの?」


 焦る気持ちを抑えるように、羽田は顔色を変えずに日花里に聞き返した。


「……保坂先輩に呼び出されて、どっかに連れていかれたらしいの」

「は?」


 流石にその内容に、羽田も表情を変えて驚きの声を上げる。


「どうして?」

「しらないけど……あの先輩やばいのよ!」

「知ってる!」


 羽田も日花里の言葉に食い気味でそう言い返すと、慌てて立ち上がる。


「僕も探す!」

「え? ええ…お願い!」

「僕はあっちを探してみる!」


 そう言って羽田は三年生達の教室の方を指さした。


「じゃあ、私は反対の方を探してみる」


 二人はそう言って、二手に分かれると走り出した。

『くそ! あの女なら、絶対何事も無く終わる筈が無い!』

 そう心の中で叫びながら、羽田は走った。



「いい加減にやめてよ!」


 佳那子はそう叫びながら、保坂から逃げ惑う。


「いつまでも逃げられると思ってるの? 出口はこっちなのよ?」


 対峙する保坂は、出入口側に陣取って深追いをしないので、なかなか逃げ出す隙が作れないので、佳那子は焦った顔をして周囲を見渡す。

 保坂が陣取っていないもう一つの出入り口は山積みされた机が邪魔で通れそうにない。


「こんな事して、神大先輩が許すと思ってるの?」

「大丈夫よ、飛燕君は優しいもの……ちゃんと後で謝れば許してくれるわ!」


 佳那子は、なんとか気を散らそうと、保坂に喋りかけるがあまり効果は出ていなかった。


「そんなわけないじゃない!」


 佳那子の叫びは、保坂の耳にはまるで入っていないように笑いながら、鉄パイプを引き摺って少しづつ近づいてくる。


「麻木さん!」


 出入口が勢いよく開かれる音がしたと思って、そちらを見た瞬間に羽田が教室に飛び込んで来た。


「羽田君!」


 羽田は目の前で、鉄パイプを振り上げている保坂へタックルして押し倒す。


「だ、だれよ!」

「だめ!」


 そう言って保坂は自分を押し倒した相手を見て、その後頭部に向かって鉄パイプを振り下ろそうとしたので、佳那子は慌ててその間に身体毎飛び込んだ。


 ゴン!


 鈍い音がして、頭が揺れる感覚と痛みを感じた佳那子は、そのまま倒れ込む。


「麻木!」


 自分に覆いかぶさってきた佳那子を見ると、頭を押さえて呻いている。


「おまえは!!」


 羽田は、佳那子を丁寧に自分の上から降ろすと、立ち上がって保坂を見る。

 保坂は、倒れる佳那子を見下ろしながら、引き攣った顔でへらへらと笑いながら、鉄パイプを持った手を小刻みに震わせている。


「自分が何をやったのかわかってるのか!」


 そう叫ぶ羽田に、びくりと肩を震わせた保坂は、鉄パイプをその場に落として、ゆっくりと後ずさる。


「わ、わたしは悪くない! その子が飛燕君を奪おうとするから!」


 そう叫ぶと、振り返って教室を走り出る。


「ふざけるな! まてよ!」


 その保坂を追いかけようとした羽田の足首を、佳那子が掴んで止める。


「止めるな!」


 そう叫んでから佳那子を見て、自分の失態に気が付いて慌ててしゃがみ込んだ。


「ご、ごめん! 麻木の方が先だな。 大丈夫か?」


 そう言って助け起こそうとした羽田の手に、ぬちょりとした物が触れて、羽田の背筋にぞわりとしたものが走った。

 そのぬちょりとしたもの目線をやって、羽田は青ざめる。


「血が出てる!」


 焦った羽田は、外に助け呼ぶべきかと動こうとして、腕の中の佳那子を思い出してそれを止め、次にスマートフォンを思い出してポケットから取り出そうとして、血で滑って落とす。


「羽田君、落ち着いて頭を切っただけだから……頭ってちょっと切っても凄く出血するの」


 自分を安心させようと、そう言ってるのが分かる羽田は、佳那子に『そんな問題じゃない』と言って、落としたスマートフォンを持ち上げて、又混乱する。


『どこにかければいい? 救急車? 先生? いや番号しらない! そうだ、木谷!』


 木谷も一緒に佳那子を探してた、彼女に連絡を取って、誰かを読んでもらえばいいんだと気が付いて、滑る手でもどかしく思いながら木谷の番号を探す。


「羽田君……お願いがあるの」

「ちょっとまってろ! 今助けを呼ぶから!」

「聞いて……お願いだから」


 電話をかけようとする羽田の腕を掴んで、佳那子は懇願するように羽田の目を見る。

 羽田は、その目を見て逡巡すると佳那子の目を見返した。


「保坂先輩に殴られた事、お願いだから黙って」

「なにいってるんだ!」

「おねがい……これ以上、神大先輩に迷惑かけたくないの……」


 羽田は、じっと自分を見つめる佳那子を暫く見つめると、諦めたように溜息をついた。


「わかった、今は黙っておく……でも後でちゃんと話そう?」

「うん、それでいいから、おねがい……」


 そこまで言った佳那子は力なく首を傾けると、意識を失った。

 羽田は、急いで木谷に電話を掛けると、この場所と助けを連れてきて欲しいとお願いして電話を切った。


「どいつもこいつもお人よし過ぎるんだよ……」


自分の手の中で、力なく倒れている佳那子を見ながら、羽田はそう呟いた。

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