第3話

 それから、どれほどの時間が経過したのか。

 喉を詰まらせる様な異臭の中で、ジェロムは息を吹き返した。

 全身が血と汗で汚れており、濡れた衣服がまとわりつく不快感に思わず顔をしかめた。

 ジェロムは、屍肉の山に頭から突っ込む形で埋もれていた。

 のろのろと緩慢な動きで抜け出し、ほっと一息つく。

 彼は辛うじて残された松明の炎を、暫くぼうっと眺めた。

 やがて意識を失う直前までの状況を克明に思い出し、全身を凍りつかせた。

 自分の身に一体何が起きたのか。

 いや、それよりも仲間はどうなったのか。パトリスや城兵達は無事なのか。

 ずきずきと痛む頭の中では、未だに鐘が鳴る様な衝撃が響いているのだが、ジェロムは必死に堪えた。彼は最も手近な位置に落ちている松明を拾う為に、足場が悪くて不安定な屍肉の床の上を歩いた。

 何とか松明まで辿り着いた時、ジェロムは手を伸ばしかけて、止めた。

 その松明を誰かの手が握り締めていたのだが、手首から上が綺麗に消失している。胸元まで込み上げてきた嘔吐感を意志の力で抑え込みながら、彼は主のなくなった手首を引き離して松明を掲げた。

 そうして洞内に視線を走らせた刹那、ジェロムは愕然と立ち尽くした。


「こ、こんな……!」


 ジェロムは言葉を失った。

 パトリスや城兵達の遺体が、屍肉の山に紛れてあちこち四散していたのである。

 矢張り、既に洞内を埋め尽くしていた屍肉と同様、各部が失われ、或いは分断された状態で放置されており、人としての尊厳など完全に踏みにじられているといった有様であった。

 ジェロムはしばし呆然と、その惨状を眺めていた。

 ところが再び頭痛が激しくなり、彼は堪らずその場にうずくまってしまった。松明を屍肉の床の上に置いて痛む方の側頭部をそっと触れてみると、革製冑が真っ二つに割れている。

 この時ばかりは部隊を襲った悲運も忘れて、ジェロムは心底震え上がった。


「そうだ、待機部隊の皆は……」


 洞窟外の木立にて待機している筈の城兵部隊は、無事なのか。

 ジェロムは後ろ髪を引かれながらも、討伐隊の一員として進んできた幅広の洞内道を引き返した。

 突入してきた時は、とにかく警戒に警戒を重ねていた為に相当な時間を要したのだが、復路はジェロム自身も驚くほどに短く感じた。

 突入時にジェロムが押し開けた木製扉は跡形もなく粉砕されていたのだが、今の彼にはどうでも良かった。

 前方に、光の点が見えた。洞窟の出口である。

 ジェロムは松明を捨て、息を切らしながらひた走った。

 最初のうちは単なる点に過ぎなかった陽光の集まりは、次第に大きさを増してどんどん近づいてくる。


(も、もう少しだ)


 喉がからからに渇き、全身が水分を欲した。

 しかしジェロムは構わず走り続けた。

 待機部隊の城兵達と無事に合流したいという欲求が、遥かに優っていたのである。

 洞外に飛び出すと、そこは切り立った崖を背後に控える森の中の一角であった。

 頭上では、樹々が緑の天井を形成しており、陽射しをところどころ遮断している。洞窟入り口付近は大地が剥き出しになっているが、それ以外の地面は低木や下生えなどで茂っている、筈だった。


「うっ!」


 ジェロムは、思わず呻いた。

 洞窟を抜けて彼が最初に見たものは、破壊の跡であった。

 洞窟周辺から森の奥にかけて、地面付近の植物が片っ端から押し潰されていた。細い樹木は幹が中ほどで折れて傾き、そこそこの太さ以上の樹木は樹皮が盛大に剥がれている。

 森の破壊だけなら、まだ良かっただろう。

 だがそこには、ジェロムが最も見たくないと願っていた光景が、これ見よがしに広がっていたのである。

 洞窟奥の屍肉の大海原が、その外側にも再現されていた。

 いや、撒き散らされた遺体の数自体は少ない。

 待機部隊は僅か二十名の城兵で編成されていたのだから、洞窟内を埋め尽くしていた遺体の数とは比較にならないだろう。

 しかしジェロムの蒼い瞳には、その血みどろの光景は全く同種のものとして映っていた。

 討伐隊に訪れた最期と、何一つ変わらない。

 正体不明の何者かが洞窟の内と外で、血と屍肉を用いた奇怪なオブジェを造り上げ、立ち去っていったのである。

 ジェロムは尻餅をつき、呆然とうなだれた。その視線は、宙を彷徨う。

 穏やかな午後の陽射しの中で展開する、鮮やかなほどの紅。

 二十人分の血液を吸った地面は、赤茶けた泥が浮かぶ沼の如き様相を呈していた。

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