第2話
全員が周囲に視線を走らせた。いずれも腰を僅かに落とし、長剣を握る側の肩を引いて半身の態勢を取る。
「遅かった、では、ないか、ルゥレーン、の、騎士ども、よ……」
呼吸が途切れがちではあったが、その声は妙に楽しげな色を含んでいた。
ジェロムはすぐに、位置を特定した。屍肉の山、その向かって左側の一角からだ。彼は足を取られそうになりながらも、大股に踏み込んでいった。
右手に長剣を握ったままで、その箇所の屍肉を次々に取り除いていく。やがて、ぜぇぜぇと不快な呼吸音を響かせる血まみれの主が、ジェロムの前に姿を現した。
「貴様、リュドヴィック、なのか?」
思わず訊いた。
屍肉の山の下に埋もれていた、見るからに半死半生の中年男が、ジェロム達が討伐せんと勢い込んでいた相手なのかどうか。
ジェロムが疑問を抱いたとしても、不思議ではないだろう。
パトリスや城兵達も周囲を固めつつ、しかしジェロムと同様、困惑の表情を浮かべた。
元々は灰色っぽい色合いだったと思われるローブに身を包んだ、その男。
胸元から下半身にかけては、べっとりと血に染まって屍肉の下敷きとなっている。
顔面に傷らしい傷は見当たらなかったが、左腕が肩先からなくなっており、そこから大量の血液が失われたのは一目瞭然であった。
「間違いない。この男は、リュドヴィックだが……これは一体どうしたことだ?」
ジェロムはパトリスの戸惑いに満ちた声を、意識の片隅で聞いた。
洞内に広がる血と屍肉の海も彼にとっては相当に衝撃的ではあったのだが、それ以上に、倒すべき相手が瀕死で現れたという状況が、ジェロムの思考を大いに停滞させていた。
そんな彼らの様子を、屍肉の下から現れた男が楽しげに眺めている。息も絶え絶えながら、唇の両端は不気味に吊り上がっていた。
「我が魔術は、既に、成った。うぬらが、今更、じたばたした、ところで、どうにも、ならぬぞ……」
相変わらず息苦しそうに喘ぎながらではあったが、魔術師リュドヴィックは、むしろジェロム達を挑発するかのように勝ち誇って宣言した。
ところが、討伐隊の面々はただただ困惑し、互いに顔を見合わせるのみである。
この惨状にあって、リュドヴィックは一体何をいっているのか――誰ひとりとして、理解した者は居ない様子であった。
「リュドヴィック、貴様何を……」
パトリスがそこまでいいかけた時。
不意にどこかから、巨大な質量が屍肉の山を押しつける様な音が響いた。
べちゃ、べちゃ、と規則的に洞内の空気を振動させながら、次第に近づいてくる。
討伐隊内を、緊張が走った。全員が揃って周囲に視線を走らせる。
「くくくく……先に、地獄で、待って、おるぞ。俺を、虜にした、あの、悪魔め。首を、長く、して、待っておる、わ……」
「何だ、何の話だ!?」
周囲への警戒から再びリュドヴィックに意識を向けたジェロムだったが、彼らに嘲笑を浴びせた魔術師は、既に事切れていた。
血にまみれた皺だらけの顔を、リュドヴィックは精一杯の笑顔で凍りつかせたまま、息絶えていたのである。ジェロムは思わず息を呑んだ。
「うぐっ」
どこかで、くぐもった声が鳴った。討伐隊の誰かであろうか。
同時に、肉と骨が押しつぶされる嫌な音が響いた。
大量の液体が噴出する気配を悟り、ジェロムは慌ててその方角に視線をめぐらせた。
「ひぃぃっ!」
「な、なんだぁ!?」
複数の城兵が、悲鳴をあげて尻餅をついていた。
見ると、城兵のひとりが上半身を失い、辺りに血肉をばら撒いて佇んでいた。
腹から上の部分を根こそぎ奪われ、下半身だけとなったその城兵の屍は、ほどなくその場に崩れ落ちた。
「何だこれは!? 何がどうなっているのだ!?」
パトリスが困惑の声をあげ、視線をせわしなく四方に走らせていた。
一瞬で命を落とした城兵の遺体は、皮肉にも、同じように上半身がない複数の屍肉の束の中で、まるでずっと前からそこにあったかのように、違和感なく横たわっていた。
「パ、パトリス殿、敵が潜んでいるのでは……」
そこまでいいかけた時、ジェロムは生温かい風が背中に吹きつけられていると気づいた。つい今の今まで、そんな風は吹いていなかった筈である。
ジェロムの本能が、ここに居ては危険だと激しく警鐘を打ち鳴らした。
彼は、己の感性に素直に従った。
柔らかい屍肉の山の上で足場が悪いながらも、ジェロムはありったけの力を両脚に込めて、横に倒れるように跳んだ。
直後、ジェロムがそれまで立っていた屍肉の山が、大きく陥没した。その衝撃で大量の血と肉片が宙に舞い上がり、視界が一瞬真っ赤に染まったほどである。
「おいジェロム、大丈夫か!?」
パトリスがジェロムの安否を気遣って呼びかけてきた。ジェロムは着地した屍肉の床の上で態勢を立て直し、応答を返そうとした。しかし、それは叶わなかった。
「僕なら大丈夫……」
その声を掻き消すかの如く、轟、と風が鳴った。
その直後、丸太のように太くて長い何かがジェロムの横っ面に激突し、彼が着地した空間を水平に薙いでいった。
「……っ!」
ジェロムは声もなく昏倒した。
痛みを感じるとか、最早そういう類の話ではない。彼の中で天地が逆転し、その肉体は妙な浮遊感を覚えていた。
遠のいていく意識の片隅で、雷鳴を思わせる咆哮が洞内を震撼させた。
その一方で、パトリスが城兵達を叱咤激励する上ずった叫び声を聞いたようにも感じた。
しかし、そこまでである。
ジェロムの視界が暗転し、全身の感覚が失われた。彼の記憶はこの後、完全に途切れた。
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