第4話

 ロワール川もしくはロワール渓谷と呼ばれる一帯には、なだらかな傾斜が多い。

 この大河は南仏のセヴェンヌ高地北東に端を発し、フランス王国領オルレアンまではやや西よりに北を目指して流れる。

 その後、オルレアンを角の頂点として南西に曲がり、そこからトゥールやアンジェといった街を経てナントの西で大西洋に注ぐのである。

 トゥールから上流に向けておよそ一日ほど、渓谷沿いの街道を徒歩で上ってゆくと、右岸にルゥレーン伯ラヴァンセン公が封土を治めるルゥレーン城域が見えてくる。

 更に城域の中ほどまで至ると、ロワール川ほとりの小高い丘の上に、ルゥレーン城が鎮座している。城を頂く丘全体が落葉樹林に覆われているのだが、空堀付近は全て伐採してあった。

 さて、ジェロムである。

 リュドヴィック討伐隊が彼を除いて全滅の憂き目に遭ったその日の夜、ジェロムは重い足取りで、ルゥレーン城へと帰還した。

 出迎えてくれた城の家士や城兵達は皆、驚き慌てた様子で城内を走りまわった。

 戻ってきたのがジェロムひとりだったのである。しかも彼の憔悴し切った表情から、容易ならざる事態を察したのだろう。

 ほとんど休息らしい休息も取れぬままに、篝火が焚かれた中庭を横切り、ジェロムは城主ラヴァンセン公が待つ居館の公室へと足を向けた。

 血まみれの武装姿から騎士の礼服に着替え、外見的には一応取り繕ってはみたものの、その表情には鬱屈たる色がありありと張りついている。

 居館の廊下は、基本的に暗い。

 燭台などの照明器具は設置されていない為、夜間に廊下を進む場合は、家士を従えて携行用燭台を持たせる場合が多かった。

 今回ジェロムは、自身の手で燭台を携え、ひとり、闇に包まれる廊下を進んだ。

 蝋燭の小さな光が照らし出す彼の面は、沈鬱な色に染まっている。

 自分だけが戻ってきたという罪の意識にも似た負い目が、ジェロムの胸中に重い鉛の如くのしかかってきていた。

 土間がそのまま細長く伸びた様な、地面が剥き出しになっている廊下を抜けて、ジェロムはひと際大きな木製扉の前に立った。ラヴァンセン公が待つ公室である。

 一旦間を置き、数度深呼吸を繰り返すと、ジェロムは意を決して扉を押し開いた。

 公室は広い。

 また、それまで歩いてきた廊下とは異なり、薄い石畳が床を覆っている。

 最も奥まった壁に目を向けると、ひな壇状に一段高くなった城主席が設けられており、そこに、見慣れた壮年男性の顔があった。

 ルゥレーン伯ラヴァンセン公である。

 ジェロムは騎士の作法に則って一礼してから、室内に足を踏み入れた。と同時に、室の左右から批難するかの如き強烈な視線が、幾つも押し寄せるようにして突き刺さってきた。

 公室入り口から城主席までの間には、幅広の紅い絨毯が伸びている。

 この絨毯に沿う形で、ルゥレーン伯に臣下の礼を取る騎士達や、或いは城兵の中でも特にベテラン格である隊長クラスの者などが、ジェロムと同様に礼服で身を包んで、絨毯の両側にずらりと並んでいたのである。

 針の筵であろうとも、ここはひたすら耐えなければならない。

 やがて城主席前に到達したジェロムは、片膝だけを地に付ける格好で跪いた。


「ジェロム、よく帰ってきた」


 若干青ざめた表情ではあったが、ラヴァンセン公は豊かな髭を蓄えた口元を笑みの形に崩して頷きかけた。

 それから彼は面を引き締めると、上質な絹のローブで覆った上体を、僅かに押し出すようにして身を乗り出してきた。

 その間ジェロムは微動だにしない。彼は表情を消し、俯き加減にラヴァンセン公の足元だけを見つめていた。


「ではディオンタール卿、報告を願おう」


 ラヴァンセン公は口調を改めた。

 ジェロム入室後、最初に声をかけた際は随分と親愛の情が篭もっていたのであるが、今は上に立つ者が目下の者に対して問いかける事務的な声音へと変じている。

 それまで沈黙を守っていたジェロムは、片膝立ちのまま面を上げ、蒼い瞳を水平方向に維持したまま、リュドヴィックの洞窟で体験した全ての事象を、包み隠さず報告した。

 淡々とした口調がつむぎだすその内容は、決して平穏なものではない。

 公室に詰める他の騎士や隊長クラスの城兵達は、ジェロムの語りが進むにつれ、皆一様に緊張の表情を浮かべるようになっていった。

 ジェロムは報告を続ける中で、視界の隅でひとりの女性が息を呑む姿をみとめていた。

 彼女は城主席の斜め後方に設けられた席で、ジェロムの声にじっと耳を傾けている。

 ラヴァンセン公と同じく、質の良い絹のローブをまとっていた。整った顔立ちと、滝のように流れるブロンドの髪が特徴的な人物だった。

 城主の娘ブランシェーヌ・ラヴァンセンである。

 この美貌の姫君は、ほとんど全ての騎士や城兵達が批難の視線を投げかけてくる中で、ただひとり、同情とも憐れみともつかぬ悲しげな色を双眸の中に灯していた。

 しかしジェロムは、ブランシェーヌの気遣う様な色を浮かべる瞳に対し、むしろ苦痛を覚えていた。

 自分は、騎士なのだ。

 騎士である以上、失態を犯せば責められるべきなのである。同情を買うのは未熟者たる証に過ぎない――そんな彼の思いを、ブランシェーヌは理解しているのかどうか。

 それでもジェロムは、何とかひと通りの報告を終えた。

 静まり返る室内。相変わらず批難の視線は左右から容赦なく注がれているのだが、今のジェロムには、罵倒される方が楽な気がしてならなかった。


「グラビュ卿は、残念だった。しかし本来の目的であるリュドヴィック討伐は、結果的には果たされたのだ。ディオンタール卿、大儀であった」

「……身に余る光栄にございます」


 ジェロムは呻くように応じて、頭を垂れた。

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