第二章 大晦日と、番台猫の秘密
あやかし祭りの奇跡から一月が過ぎ、町はすっかり年の瀬の慌ただしさに包まれた。あの廃工場は、前田社長の計らいで、本当に小さな公園として整備されることになり、一本だたらをはじめとするあやかしたちは、公園の隅っこにある大きなクスノキを、新しい住処とすることになった。
まぼろし堂も、大晦日を前に、年に一度の大掃除、「すす払い」をすることになった。もちろん、強力な助っ人は、タイショウ、ミウ、レンの三人や。
「フミばあ、任しとけ! ピカピカにしたるで!」
「今年は、あやかしのみんなも手伝ってくれるんやて」
ミウの言う通り、今年のすす払いは、一味違った。座敷わらしが、小さな箒で天井の埃を払い、豆腐小僧が、きれいな水で窓を拭き、ツクモガミたちが、棚の奥のゴミをかき出してくれる。人間とあやかしの、見事な共同作業やった。
大掃除の途中、タイショウが、番台の奥から、古びた桐の箱を見つけた。
「フミばあ、これ、なんや?」
「おや、そんなところに仕舞い込んどったかね。それは、うちの、大事な大事な、宝物や」
フミは、箱を受け取ると、そっと蓋を開けた。中には、一枚の色褪せた写真と、小さな、錆びた鈴が一つ、大切に収められていた。
「これ……?」
「うちが、まだ嫁入り前の、うら若い娘やった頃の写真や」
写真には、着物姿の、若き日のフミが写っていた。その隣には、一匹の、凛々しい顔をした猫が、寄り添うように座っている。
「この猫……源さん?」
ミウが、驚いて尋ねる。写真の猫は、今の源さんと、瓜二つやった。
「せや。この子は、今の源さんの、親父さんや。名前も、同じ、源さんやった」
フミは、遠い昔を思い出すように、語り始めた。
フミがまだ子どもの頃、この町は、今よりもっと、あやかしたちが力を持っていた。そして、人間とあやかしの間には、まだ深い溝があった。そんな時代に、フミは、親を亡くした一匹の子猫を拾った。それが、先代の源さんやった。
先代の源さんは、ただの猫やなかった。この辺りのあやかしを束ねる、猫又のリーダーやったんや。フミと源さんは、種族を超えて、姉弟のように育った。
やがて、戦争が始まり、町は焼け野原になった。フミは、夫の正一を戦争で亡くし、一人で途方に暮れていた。そんなフミを、絶望の淵から救い出してくれたんが、先代の源さんやった。
「フミ、泣いとったらあかん。お前には、わしらがついとる。一緒に、この町を、もう一回、作り直そうやないか」
源さんは、あやかしたちを説得し、人間たちの復興を手伝わせた。瓦礫の山から、使えるものを探し出し、家を建てるのを手伝った。そうして、人間とあやかしが、手を取り合って、この町は、奇跡的な復興を遂げたんや。
まぼろし堂も、そんな中で生まれた店やった。人間とあやかしが、何の隔たりもなく集える場所として。
「先代の源さんは、寿命で先に逝ってしもうたけどな。その時に、この鈴を、うちに託してくれたんや。『もし、フミが、ほんまに困った時があったら、この鈴を鳴らすんや。そしたら、わしの子が、必ず、助けに来るさかい』て言うてな」
その子が、今の源さんやった。先代が亡くなった後、鈴の音に導かれて、この店にやってきたんや。
「せやから、うちと源さんは、ただの店主と居候猫やない。先代の源さんから受け継いだ、この町と、ここに住むみんなを守る、いう約束で結ばれた、相棒なんや」
フミの話を、子どもたちは、息をのんで聞いていた。いつも番台で、ふてぶてしく寝ているだけの源さんに、そんな壮大な秘密があったとは。
「……なんや、改まって。照れるやないか」
話を聞いていた源さんが、毛づくろいをしながら、そっぽを向いた。その耳が、少しだけ赤くなっているように見えた。
掃除が一段落した頃には、日はとっぷりと暮れていた。店の中は、見違えるようにきれいになっとる。
「みんな、ご苦労さん。おかげで、気持ちよう新年が迎えられるわ」
フミは、みんなの労をねぎらい、とっておきのご馳走、温かいおでんを振る舞った。
遠くのお寺から、ゴーン、ゴーン、と除夜の鐘が聞こえ始めた。一年が、終わろうとしている。
「なあ、フミばあ」
おでんのダイコンを頬張りながら、タイショウが言った。
「おれたちも、フミばあと源さんの、相棒になれるかな」
「……え?」
「この町と、この店と、あやかしのみんなを、一緒に守る、相棒に」
その言葉に、ミウとレンも、こくこくと、力強く頷いた。
フミは、目の前の、三人の小さな顔を見つめた。そして、込み上げてくるものをこらえながら、満面の笑みで答えた。
「……当たり前やないか。あんたらは、もう、とっくの昔から、うちの、自慢の相棒やで」
除夜の鐘が、百八つ、鳴り響く。それは、人間の百八つの煩悩を打ち消すためのものやという。
この一年、この小さな店にも、たくさんの喜びや悲しみ、そして悩みがあった。だが、それらすべてが、この鐘の音と共に、浄化されていくような気がした。
そして、また新しい一年が始まる。
昭和五十四年が、静かに幕を閉じようとしていた。それは、日本という国が、そしてこの下町が、大きく変わろうとしていた、一つの時代の終わりでもあった。
だが、まぼろし堂の灯りは、まだ消えへん。
新しい相棒たちと共に、これからも、この町の、不思議で、愛おしい日常を、見守り続けていくんやろう。
フミは、窓の外の闇を見つめながら、心に誓った。
おでんをはふはふと食べる子どもたちの、幸せそうな顔を、BGMにして。
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