第四部 冬のたからもの
第一章 一番星に願う、ぼくらの約束
百鬼夜行の作戦が失敗に終わった夜、まぼろし堂の空気は、鉛のように重かった。店の隅では、光を浴びて弱ってしもうた一本だたらが、ぐったりと横になっている。その周りを、他のあやかしたちが、心配そうに取り囲んでいた。
子どもたちも、言葉なく、うつむいていた。自分たちの作戦が、大事なトモダチを、かえって傷つけてしまった。その無力感と後悔が、三人の小さな肩に、ずっしりと重くのしかかっていた。
「……わしらの、負けや」
一本だたらが、か細い声で呟いた。
「もう、あかん。わしらは、この町から、消えるしかないんや……」
その諦めの言葉に、誰も、何も言い返せんかった。
その時、静寂を破ったのは、フミやった。
「あほなこと、言うたらあかん!」
フミは、一本だたらの前に立つと、その大きな体を、叱りつけるように見下ろした。
「あんたら、それでええんか! 戦いもせんと、尻尾巻いて逃げ出すんか! あんたらには、誇りちゅうもんはないんか!」
「しかし、フミさん……。わしらには、もう、何も……」
「あるやろが!」
フミの声が、店中に響き渡る。
「あんたには、その腕があるやろ! 誰にも真似できん、鉄を打つ腕が! 他のもんかて、そうや。唐傘お化けは、人を驚かすのが得意や。豆腐小僧は、うまい豆腐が作れる。みんな、それぞれ、自分にしかできん、立派な宝物を持っとるやないか!」
フミは、あやかしたち一人ひとりの顔を見て、言った。
「それを、最後の最後まで、見せんかい! 逃げるんは、それからでも、遅うないやろ!」
フミの言葉は、まるで魔法のように、あやかしたちの心に、再び小さな火を灯した。そうだ、まだ、終わりやない。自分たちには、まだ、やれることがあるはずや。
「フミばあ……」
タイショウが、顔を上げた。その目には、涙が浮かんでいたが、もう、諦めの色はない。
「おれたちも、手伝う! 最後まで、一緒に戦う!」
ミウとレンも、力強く頷いた。
こうして、まぼろし堂の、最後の反撃作戦が始まった。
翌日、フミは、一人で、あの建設会社の社長の元を訪ねた。社長の前田は、フミの顔を見ると、驚いたような、気まずいような顔をした。
「……フミばあ……。どないしたんですか、急に」
「前田くん。あんたに、頼みがあるんや」
フミは、単刀直入に切り出した。
「あの工場を、取り壊す前に、一日だけ、時間をくれへんか。わしらに、一日だけ、あの場所を貸してほしいんや」
「一日……? 何をする気です?」
「……それは、見てのお楽しみや。あんたにも、子どもの頃、世話になった恩があるやろ。その恩を、一日だけでええから、返してくれんか」
フミの真剣な眼差しに、前田は、ぐっと言葉を詰まらせた。彼は、子どもの頃、親にも言えん悩みを、このおばあちゃんに聞いてもらったことがあった。その恩義を、前田は忘れとらんかった。
「……わかりました。一日だけです。一日だけ、好きにしてください」
約束を取り付けたフミは、店に戻ると、みんなに作戦を伝えた。
作戦は、こうやった。
工場が取り壊される前の最後の一日、そこで、町の人々を招いて、「あやかし祭り」を開く。そして、あやかしたちが、それぞれの得意技を披露して、自分たちが、ただの怖いお化けやなく、この町にずっと昔から住んできた、愉快な隣人なんやということを、知ってもらう、というもんやった。
「そんなんで、人間が、わかってくれるやろか……」
一本だたらが、不安そうに言う。
「わからせるんや! これは、あんたらの、存在をかけた、最後の晴れ舞台やで!」
タイショウが、力強く言った。
それから三日間、まぼろし堂は、祭りの準備で、てんやわんややった。
子どもたちは、町中に、「一日だけのふしぎ祭り」と書いた、手作りのポスターを貼って回った。
一本だたらは、工場の鉄くずを使って、たくさんの小さな風車を作った。風が吹くと、カラカラと、優しい音を立てて回る風車や。
唐傘お化けは、傘を回す芸を練習し、豆腐小僧は、人生で一番うまい、冷奴を仕込んだ。
そして、運命の日がやってきた。
廃工場は、子どもたちとあやかしたちの手で、見事に飾り付けられ、手作りのお祭り会場に生まれ変わっていた。
最初は、遠巻きに見ていただけの町の人々も、子どもたちの元気な呼び声と、会場から漂う楽しげな雰囲気に、一人、また一人と、集まってきた。
祭りが始まると、あやかしたちが、次々と芸を披露した。
ケラケラ女の、底抜けに明るい笑い声に、人々はつられて笑い出した。唐傘お化けの、見事な曲芸に、拍手喝采が送られた。豆腐小僧の冷奴は、「こんなうまい豆腐、食うたことない!」と大評判やった。
そして、最後に、一本だたらが登場した。彼は、真っ赤に焼いた鉄を、カン、カン、とリズミカルに打ち始めた。その音は、力強く、そしてどこか優しかった。彼が作っていたのは、小さな、子どもの手のひらに乗るくらいの、鉄のコマやった。
出来上がったコマを、一本だたらは、集まった子どもたちに、プレゼントしてやった。子どもたちは、大喜びで、そのコマを回して遊び始めた。
その光景を、会場の隅で、建設会社の前田社長が、腕を組んで見ていた。彼の目には、あやかしたちの姿は、子供の頃のようには、はっきりとは見えへん。だが、そこにいる「何か」が、人々を笑顔にしていることだけは、確かに感じ取れた。胸の奥で徐々に、子供の頃の温かい思い出が呼び起こされていくのがわかった。
前田がまだ子どもの頃、この町で遊んだ日々。
あの頃は、もっと、不思議なものや、得体のしれないものが、町のあちこちに息づいていたような気がする。路地裏の暗闇も、古い井戸も、みんな、子どもにとっては、冒険の舞台やった。
――わしは、そんな大切なもんを、壊して、コンクリートで塗りつぶしてしまおうとしとったんか。
祭りが、一番の盛り上がりを見せた時やった。一本だたらが作った、たくさんの風車が、吹き込んできた風を受けて、一斉にカラカラと音を立てて回り始めた。
その優しい音色は、まるで、この町にずっと昔から流れている、子守唄のようやった。
人々は、その音に、うっとりと耳を澄ませていた。
日が暮れ、空に一番星が輝き始めた頃、祭りは、終わりを告げた。
「……楽しかったな」
タイショウが、満足そうに呟いた。
この祭りで、あやかしたちの運命が変わるわけやないかもしれん。明日になれば、この工場は、やっぱり取り壊されてしまうんやろう。
でも、ええ。
今日一日、自分たちが、ここに確かに存在したということ。そして、町の人々と、笑い合えたということ。その記憶さえあれば、彼らは、どこへ行っても、生きていける。
その時、前田社長が、フミの元へやってきた。
「……おばちゃん。わし、考え直しましたわ」
「……え?」
「この工場、壊すんは、やめにします。その代わり、この場所を、公園にしよう思うてます。子どもらが、いつでも遊べて、誰でも一休みできるような、小さな公園に」
前田は、そう言うと、少し照れくさそうに笑った。
「この町には、ピカピカのマンションより、こういう、ようわからんもんが集まれる場所の方が、お似合いですわ」
その言葉に、フミと、子どもたちと、そして、物陰で聞いていたあやかしたちの間から、わあっと、大きな歓声が上がった。
それは、冬の空に輝く一番星に、みんなの願いが届いた、奇跡の瞬間やった。
小さな、でも、かけがえのない約束が、この町に、生まれたんやった。
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