第三章 初雪の朝、未来へつなぐ宝物
昭和五十五年、一月一日。
新しい年の幕開けは、空から舞い降りる、静かな雪で始まった。大阪では珍しい、初日の出ならぬ、初雪の元旦やった。
ハツネは、いつもより少しだけ早く起きると、新しい年の着物に着替え、身を清めた。そして、店の奥の神棚に、静かに手を合わせる。
「今年も、この店と、みんなを、お守りください」
短い祈りを捧げると、フミは、店の戸をそっと開けた。シン、と静まり返った新年の空気の中、白い雪が、音もなく町を白く染めていく。それは、まるで、古い年の汚れをすべて洗い流し、真っ白な未来の始まりを告げているようやった。
フミは、その光景に、しばし見とれていた。
その日の午後、まぼろし堂には、晴れ着姿の子どもたちが、次々と年始の挨拶にやってきた。
「フミばあ! あけましておめでとう!」
「今年も、よろしゅうな!」
お年玉を貰ったばかりの子どもたちは、懐も心も温かい。早速、いつもより少しだけ豪華な買い物をしていく。
「タイショウ、あんたも、立派な羽織袴やないか」
「へへへ。親父に、無理やり着せられてん」
照れくさそうに頭を掻くタイショウの隣で、ミウは、美しい晴れ着姿で微笑んでいた。その姿は、まるで人形のように愛らしい。
「フミばあ、これ、お年賀」
タイショウが差し出したのは、天童鉄工所の名前が入った、一本のタオルやった。源五郎の工場は、あの後、見事に立ち直り、今では以前よりも忙しいくらいやという。
「ありがとう。源五郎さんにも、よろしゅう言うといてな」
フミがタオルを受け取ると、タイショウは、少し真面目な顔で言った。
「フミばあ。おれ、決めたで。やっぱり、親父の工場、継ぐわ」
「……そうか」
「まだ、先のことやけどな。でも、おれが、もっとでっかい工場にしたんねん。そんで、親父を、楽させたんねん。……あ、でも、鉄だけやのうて、インベーダーみたいな、オモロイ機械も作る工場にしたいな!」
その瞳は、初雪のように、希望に満ちて輝いていた。一年前、ただのガキ大将やった少年は、もうそこにはおらんかった。こどもの成長はほんま速いもんや。
「ああ、あんたなら、きっとできる。フミばあは、信じとるで」
フミは、タイショウの肩を、力強く叩いた。
その時、店の奥で、ピコピコ、という懐かしい音がした。見ると、レンが、久しぶりにインベーダーゲームをやっている。
「レン、珍しいやないか」
「うん。お年玉、いっぱい貰ろたから。……でも、なんか、もう、あんまり面白ないな、これ」
「なんでや?」
「だって、一人でやるゲームやもん。みんなで、コマ回したり、探検隊ごっこする方が、ずっと楽しいわ」
レンは、そう言って、にこりと笑った。彼にとって、ゲームはもう、現実から逃げるための場所やなく、たくさんの遊びの中の、ただの一つに変わっていた。
夕方になり、子どもたちが帰っていくと、店はまた、いつもの静けさを取り戻した。
フミは、番台に座り、子どもたちが残していった賑わいの余韻に、一人浸っていた。
一年。
たった一年。だが、子どもたちは、その短い時間の中で、驚くほど成長した。泣いて、笑って、喧嘩して、そして、仲間を助けて。たくさんの経験を積み重ねて、少しずつ、大人への階段を上っていく。
自分は、どうやろう。
この一年で、何か変わったやろか。
フミは、自分の節くれだった手を見つめた。シワは増え、シミも濃くなった。体は、あちこちが痛む。確かに、歳はとった。
でも、心の中には、新しい灯りがともったような気がする。子どもたちと、あやかしたちがくれた、たくさんの温かい思い出。それが、これからの人生を照らしてくれる、何よりの道しるべになるやろう。
窓の外では、まだ、雪がしんしんと降り続いている。
白く染まった町は、まるで「まぼろし」のようや。でも、このまぼろしは、いつか消えてしまう儚いもんやない。この町に生きる人々と、あやかしたちの心の中に、ずっと生き続ける、大切な「たからもの」なんや。
フミは、ゆっくりと立ち上がると、店の入口の引き戸に、手をかけた。
明日も、また、子どもたちの元気な声と、あやかしたちの賑やかな物音が、この戸を開けてくれるやろう。
「さて、と。今年も、ぼちぼち、頑張りまひょか」
呟きは、誰に言うでもなく、新しい年の、シンと静まり返った空気に溶けていった。
ガラガラ、という音と共に、まぼろし堂の、新しい一年が、静かに、そして確かに、始まった。
その灯りが、この先も、ずっとこのあやかし通りを照らし続けますようにと、願いを込めて。
――了――
【ノスタルジック駄菓子屋短編小説】まぼろし堂、あやかし通りの帰り道(約38,000字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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