第18話 貧民区画

 皇族用の馬車に乗り込み、私たちは貧民区画のへと向かっていた。


 後続の馬車にはレイモンさんたち役人三人が乗っている。


 さらに後ろの荷馬車には、炊き出し用の食材や鍋などが積まれていた。


 護衛の兵士五人が徒歩で同行してるので、馬車はのんびりと進んでいた。


 私は窓から外を眺めて、ヴァンサンに尋ねる。


「こんなにゆっくりで、クレール夫人が用意した大工たちが怒らないかしら」


「到着予定は十時です。大工たちも、こんな朝早くに集まったりはしませんよ」


 だといいんだけど。クレール夫人の伝手なら、早朝から集まっても不思議じゃないんだよなぁ。


 私は手元の地図を広げ、貧民区画を見降ろした。


「ねぇヴァンサン。百三十人を募るのに、どのくらい時間がかかるかな」


 ヴァンサンが顎に手を当てて上を向いた。


「そうですねぇ……貧民街に役人や兵士を走らせて、午前中はそれで終わるでしょう。

 昼過ぎに人が集まり出して、動き出すのは午後かもしれません」


 私は小さく息をついて答える。


「それでは大工たちが暇を持て余してしまうわね。

 手っ取り早く拠点を探して、そこに資材を運び込んでもらいましょう。

 今日は午後から雨が降るから、木材を濡らすわけにもいかないし」


 ヴァンサンがきょとんとした顔で私を見つめた。


「雨ですか? そりゃあ雨期ですけど、今日は晴れ間も見えてますよ?」


「でも降るのよ。多くは降らないけど、一時間くらいは降るんじゃないかしら」


 窓の外に再び目を移し、私は『風を見る』。


 そんな私に、ヴァンサンが戸惑うように尋ねる。


「まぁ、初日ですからそう多くは動けませんし、大工たちも納得するでしょうが。

 炊き出しはどうするんですか? 雨の中でやるんですか?」


「大工たちが、資材保護用のテントを用意してるはず。

 その一つを借りて、その下で炊き出しを行いましょう」


 私が振り向くと、ヴァンサンが困惑するように答える。


「それじゃあ肝心の資材が濡れちまいますよ。

 濡れた木材は乾燥させないと使えません。大工が応じませんよ」


 私は地図の一点を指さして告げる。


「ここに帝国正教の教会があるわ。

 そこに資材をある程度置かせてもらいましょう。

 それでテント一つ分は浮かせられるはずよ」


 ヴァンサンが地図を覗き込んで答える。


「あー、そこはもう廃教会ですよ。

 帝国正教は貧民区画から撤退してますから、誰も居ないはずです」


 私はニコリと微笑んで答える。


「あら、じゃあなおさら丁度いいわね。

 廃教会に資材を運べるだけ運び込みましょう。

 そこを拠点にして、補修工事を始めましょう」


 私の笑顔を見て、ヴァンサンは戸惑いながらも頷いていた。





****


 貧民区画にはバリケードのように板木の塀が作られ、一部が門のように開かれていた。


 その入り口には多数の板材が立てかけられ、十人ほどの大工たちが資材や道具の点検をしている。


 私は馬車が止まると急いで飛び降り、兵士たちに告げる。


「貴方たちは炊き出しの材料と日当を警護していて!」


 大工たちに駆け寄る私の後ろを、ヴァンサンが慌てて付いてくる。


 大工たちの中でも、一番年配の男性が私に振り向いて告げる。


「あんたがカミーユ殿下かい?」


 私は彼の前で足を止め、ニコリと微笑んで答える。


「ええ、そうよ。カミーユ・クレルフロー・ルシオン。

 貴方たちがクレール夫人が用意してくださった大工さん?」


 男性が頷いて答える。


「俺はドゥニ・コペル。奥様にはいつも世話になってる。

 この時期に仕事を割り込ませるのも、奥様だから引き受けた。

 それで、俺たちは何をすればいい?」


「まずは拠点を作って、そこに資材を運び込むわ。

 廃教会があるらしいから、邪魔なものを撤去して、中に資材を運び込みましょう」


 男性――ドゥニさんが顔をしかめて答える。


「廃教会とは言え、帝国正教の教会に手を出すなんて後が怖い。俺は御免だよ」


「大丈夫よ。私に命令されたと言えば、責任逃れはできるわ。

 私も精一杯かばうから、酷いことはされないはずよ。

 廃棄された教会を有効利用して民衆を救うのよ? それで文句を言われる筋合いはないわ」


 ドゥニさんがフッと笑みを浮かべた。


「たいしたタマだな、お嬢ちゃん。

 侍姫じきと聞いていたが、あんたにそんな力があるのかい?」


「あら、侍姫じきが何かを知ってるの? 意外と博識ね?

 大丈夫、癪だけどジルベール陛下に泣きついてでも守って見せるわ」


 ドゥニさんが頷いて声を張り上げる。


「てぇめら! 廃教会に行くぞ! 中に資材を運び込む準備だ!」


 頷く大工たちを連れ、ドゥニさんが貧民区画へと入って行った。


 私が後に続こうとすると、ヴァンサンが慌てて私の肩を引いた。


「行けません! 兵士を配置してください!

 貧民区画では、何があるかわかりませんよ!」


 私は振り向いて微笑む。


「兵士たちは、食材の護衛をしていて。

 どんな人たちでも、お腹が空いてるときに目の前に食べ物があったら、欲しくなってしまうわ。

 それと役人たちには貧民区画で人を集めるようにお願いしてもらえる?」


 ヴァンサンが困惑しながら私に答える。


「いくらなんでも、護衛もなしに貧民区画に入るのは役人でも嫌がりますよ!」


 私はクスリと微笑みながら答える。


「そんな風に偏見で恐れていたら、相手の信用は得られないわよ?

 ヴァンサンも協力して人を搔き集めて。

 私も説得して回ってくるわ」


「――いけません! 殿下の身に何かあったら、私の首が飛びます!

 最低でも私は殿下の傍から離れられませんよ!」


 あたしは小さく息をついて答える。


「大丈夫だと思うんだけど、仕方ないわね。

 じゃあヴァンサンは私と一緒に二人で説得に回りましょう。

 役人たちは、怖いなら三人一組で動いてもらって?」


 ヴァンサンがため息をついて役人たちに振り返った。


「聞こえたか? レイモンたちは三人一組で人を搔き集めてくれ。

 目標は男手百人、女で三十だ。

 日当を払うと言えば応じるだろう」


 レイモンさんたち頷いて、三人で怖がりながら貧民区画へ入って行く。


 私はヴァンサンを連れ、貧民区画を見回しながら近くの家のドアを叩いた。


「すいませーん! 食事と日当付きで働いてみませんかー!」


 ぎょっとするヴァンサンを無視して、再びドアをノックする。


 ドアがゆっくりと開かれ、中から年配の女性が顔を出した。


「今、なんて言いました?」


 私はニコリと微笑んで答える。


「食事と日当を出しますから、働いてみませんか?

 男性には家屋の補修工事を、女性には炊き出しをやってもらいたいんです」


 怪訝な顔をした女性が私に尋ねる。


「日当って、いくらもらえるの?」


「銀貨五枚でどうですか? 一か月間くらい作業を続けます。

 毎日来れば、かなりの額ですよ?」


 女性が目を見開いて私を見つめた。


「食事付きで、そんなにもらえるの?」


 私は頷いて答える。


「他の人にも伝えてもらえますか?

 今日は炊き出しだけしてもらって、本格的な補修工事は明日からになります。

 男性も炊き出しに協力してくれれば、日当を出しますよ?」


 女性がおずおずと頷いて答える。


「わかったわ。でも、あなたは誰なの?」


「カミーユよ。ジルベール陛下の妃をやっているの。

 何かあれば私がきちんと責任を持つから、安心して頂戴」


 女性が目を見開いて私を見つめた。


「……カミーユ、殿下? 貴族の慈善事業じゃないの?

 それにあなた、子供じゃないの。本当に殿下なの?」


「慈善事業じゃないわ。公共事業よ?

 ちゃんと働いて食事を食べた方が、美味しく感じられるでしょう?

 良ければ、知り合いにも声をかけてほしいの。目標は百人! お願いね!」


 私が笑顔で手を振ると、女性がおずおずと頷いた。


 私はすぐに隣の家のドアを叩いていく。


「すいませーん!」


 こうして、私の慰撫任務初日が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る