温度差

浅野じゅんぺい

温度差

教室の窓際に、夕方の光が静かに射していた。蛍光灯の白い光よりも、ずっとあたたかそうに見えるのに、その光はどこまでも弱々しくて、届かない場所の方が多かった。


君がいたのは、ちょうどその光の、いちばん端っこだった。


「……まだいたの?」


視線を寄こすことなく、君はそう言った。

僕はごまかすように笑う。うまく笑えなかった気がする。


「ノート、忘れてたんだ」


それは嘘だった。本当は、君のことを待っていた。だけど、それを口にする勇気は、とっくに手放していた。


君は、誰にでも優しい。誰にでも、分け隔てなく。

困っている子がいれば自然と手を差し伸べ、先生の冗談にも律儀に笑う。

けれど、僕に向けられるその笑顔だけは、どこか薄くて、遠くて。まるで、体温のない風のようだった。


「今日、このあと塾?」


何気ないふうを装って聞いた。


「うん。でも、少しだけなら……」


君は、僕の隣の席にそっと腰を下ろした。


心臓の音がうるさい。なのに、声がうまく出てこない。

昼休みに、思いきって誘った土曜日の話。君は「たぶん無理」と笑っていた。

それでも、期待してしまった自分を、今は少しだけ責めている。


「……やっぱり、土曜は無理かな」


沈黙が落ちた。


君は窓の外を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。

教室の壁に、夕陽がゆっくりと長く伸びていく。


やがて、ぽつりと、声が落ちた。


「ごめんね。……本当は、知ってた」


振り向いた君の目が、まっすぐに僕を射抜いた。


「ずっと前から。君が、私のことを見てくれてたの。……でも、どうしていいか分からなかったの」


静かな言葉が、胸の奥に落ちていく。


「優しくして、ごまかしてた。そうすれば、傷つけなくて済むと思ってた。……でも結局、私がいちばんずるかった」


君の声が、かすかに震えていた。


「たぶんね、逃げてたんだと思う。君がこわかったの。……私、自分の気持ちに正直になるのが、ずっと苦手で」


僕は何も言えなかった。ただ、君の言葉を受け止めることで精一杯だった。


教室の中に、静けさが降り積もっていく。


「今も、ちゃんと向き合えるかどうか、わからない。でも……また話してくれたら、嬉しい」


それだけ言って、君はふっと微笑んだ。

それは、今までのどの笑顔よりも、たしかにあたたかかった。


──ただ、夕陽はもう、窓の向こうへと沈みかけていた。


僕は、それを見届けるように、小さくうなずいた。

心の奥に、何かがそっと芽吹いたような気がした。


でも、それが花になるのか、ただの記憶になるのかは、まだわからない。






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温度差 浅野じゅんぺい @junpeynovel

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