第19話:夏が終わってしまう前に
朝の通学路は、夏の陽射しでアスファルトが既に熱を帯びていた。
私は一人で歩きながら、セミの鳴き声に混じる自分の足音を聞いていた。
ジリジリと照りつける太陽の下で、どこか私の心の中も熱くざわついている気がした。
和人くんのことを考えると、胸の奥がざわざわする。
好きだという気持ちと、嫉妬という醜い感情が混じり合って、自分でもよく分からない状態になっている。
昨日も、部室で和人くんと三上さんが仲良く勉強している様子を見ていて、またあの嫌な感情が湧き上がってきた。
私だって、和人くんと自然に話したい。
私だって、和人くんに頼られたい。
でも、なぜか上手くいかない。
好きだという気持ちが先走って、いつも空回りしてしまう。
◇
教室に着くと、いつもの朝の風景が広がっていた。
生徒たちがそれぞれの席で、宿題を見せ合ったり、昨夜のテレビの話をしたりしている。私もその輪の中に混じって、明るく振る舞う。
「おはよう、光ちゃん」
クラスメイトの友達が声をかけてくれる。
「おはよう」
私は笑顔で答える。
でも、その笑顔の奥で、私は自分の感情と格闘していた。
和人くんはまだ教室にいない。
最近は、朝も三上さんと一緒にいることが多い。
図書館で待ち合わせをして、一緒に登校しているらしい。
それを聞いた時の私の気持ちを、どう表現すればいいのだろう。
嫉妬?羨望?それとも、単純に寂しいだけなのだろうか。
朝の強い陽射しが窓から差し込んで、教室全体を明るく照らしている。
エアコンが効いているとはいえ、外の暑さが伝わってくるようだった。
でも私の心の中はそんな夏の暑さとは違う、もやもやとした熱を抱えていた。
◇
一時間目の授業中、私は集中できなかった。
数学の公式を板書する先生の声が、遠くから聞こえてくるようだった。
ノートに文字を書きながら、私は自分の感情について考えていた。
いつから和人くんのことを好きになったのだろう。
最初は、null として助けてもらった時の感謝の気持ちだった。
困っている時に、匿名で助けてくれる人がいる。それだけで十分だった。
でも、深夜の音声チャットを重ねるうちに、その感謝は別の感情に変わっていった。
和人くんの優しさ、真面目さ、時々見せる不器用さ。
そんな彼の人柄に、いつの間にか惹かれていた。
そして、彼が黒瀬和人だということが分かった時、私の気持ちは確信に変わった。
現実世界の彼も、ネットの世界の彼も、同じように優しくて、同じように不器用で、同じように魅力的だった。
でも、好きになってしまったからこそ、複雑な感情も生まれてしまった。
和人くんが他の女の子と仲良くしているのを見ると、胸が苦しくなる。
特に三上さんとの関係は、私にとって特別に辛い。
二人は似ている。
内向的で、人見知りで、でもお互いを理解し合っている。
私は、そんな風に和人くんと関わることができない。
好きだという気持ちが邪魔をして、自然に振る舞えなくなってしまう。
◇
昼休みになっても、私は一人で教室にいた。
いつもなら友達と一緒に学食に行くのに、今日はなんだか気分が乗らなかった。
机に突っ伏して、窓の外を眺める。
校庭では、強い日差しの中で多くの生徒が思い思いに昼休みを過ごしている。
木陰のベンチで弁当を食べている子、暑さに負けずに友達と話している子、涼しい図書館で読書をしている子。
みんな、それぞれに充実した時間を過ごしているように見える。
私だけが、こんな風にモヤモヤした気持ちを抱えているような気がした。
そんな時、廊下から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「そうそう、この問題も分からなくて...」
三上さんの声だった。
「ああ、これは昨日やった公式を使えば...」
和人くんの声も聞こえる。
二人は図書館に向かって歩いているようだった。
私は窓際の席から、そっと廊下を覗いた。
和人くんと三上さんが並んで歩いている。
三上さんがノートを見せながら何かを説明していて、和人くんがそれに答えている。
二人の距離感は、とても自然だった。
お互いに緊張することもなく、普通に会話している。
私が和人くんと話す時は、いつも心臓がドキドキして、何を話せばいいか分からなくなってしまうのに。
その違いが、私には痛いほど分かった。
好きという感情があるからこそ、自然に振る舞えなくなってしまう。
でも、三上さんには恋愛感情がないから、和人くんと自然に接することができる。
それが悔しくて、羨ましくて、でも同時に理解もできてしまう。
私はそっと席に戻って、再び机に突っ伏した。
◇
放課後の部室は、いつものように三人の空間だった。
でも今日の私は、どこか他人事のような気持ちで二人の様子を見ていた。
和人くんと三上さんが、また勉強の話をしている。
三上さんが分からない問題を和人くんに聞いて、和人くんが丁寧に説明している。
私も勉強は得意な方だから、説明することはできる。
でも、なぜか割って入る気になれなかった。
二人の世界を邪魔したくないような気持ちと、自分だけが疎外されているような気持ちが混じり合っていた。
「天野先輩、大丈夫ですか?」
三上さんが心配そうに声をかけてくれた。
「大丈夫だよ」
私は作り笑顔で答えた。
「なんだか、お疲れのようですが...」
「気のせいじゃない?」
私は三上さんの優しさを拒絶してしまった。
その瞬間、部室の空気が少し重くなった。
和人くんも心配そうに私を見ている。
でも、私は何と言えばいいのか分からなかった。
「嫉妬してます」なんて言えるわけがない。
「和人くんのことが好きだから、三上さんが羨ましいです」なんて言えるわけがない。
だから私は、何も言わずに黙っていた。
でも、その沈黙が余計に状況を悪くしているのも分かっていた。
◇
その日の夜、私は自分の部屋で一人になって、ようやく本当の気持ちと向き合うことができた。
ベッドに座って、膝を抱えながら考える。
私は和人くんのことが好き。
その気持ちは、もう疑いようがない。
でも、その気持ちを素直に表現することができない。
なぜなら、和人くんからの明確な答えをもらっていないから。
私たちの関係は、まだ曖昧なままだ。
お互いに意識しているのは分かる。
でも、「付き合ってください」「はい」という明確なやり取りをしたわけではない。
だから私は和人くんに嫉妬する権利があるのかどうか、分からなくなってしまう。
でも、嫉妬という感情はそんな理屈では割り切れない。
和人くんが他の女の子と仲良くしているのを見ると、どうしても胸が苦しくなる。
特に三上さんとの関係は、私にとって特別に辛い。
三上さんは悪い子じゃない。むしろ、とても良い子だと思う。
和人くんの友達として、彼女は適任だろう。
でも、それが分かっていても嫉妬という感情は消えない。
私は枕を抱きしめながら、小さくため息をついた。
◇
次の日の朝も、私は一人で登校した。
和人くんと三上さんは、また図書館で待ち合わせをしているのだろう。
歩きながら、私は昨夜考えたことを思い返していた。
このままじゃだめだ。
嫉妬という感情に振り回されて、和人くんとの関係も、三上さんとの関係も悪くしてしまう。
でも、だからといって、この気持ちをどう処理すればいいのか分からない。
そんな時、ふと思い出したことがあった。
中学時代の私のことを。
あの頃の私は、本当に一人だった。教室の隅で本を読んで、誰とも話さずに過ごしていた。
でも高校に入って、思い切って変わろうと決めた時、私は自分から行動を起こした。
話しかけるのが怖くても、勇気を出して声をかけた。
断られることもあったけど、受け入れてくれる人もいた。
そうやって、少しずつ友達の輪を広げていった。
今回も、同じように勇気を出す必要があるのかもしれない。
和人くんに、はっきりと私の気持ちを伝える。
曖昧なままでいるから、こんな風に苦しくなってしまう。
どんな答えが返ってきても、それを受け入れよう。
そう決心した時、私の胸の奥のざわざわした感情が、少しだけ落ち着いた。
◇
その日の昼休み、私は屋上にいた。
普段はあまり来ない場所だけど、今日は一人になりたかった。
屋上から見える景色は、いつもとは違って見えた。
学校の周りに広がる住宅街、その向こうに見える山々、真夏の強い陽射しを受けて輝く青い空。
全てが、どこか新鮮に感じられた。
私は柵にもたれかかりながら、暑い風に髪を揺らされていた。
昨夜からずっと考えていたことを、もう一度整理してみる。
私は和人くんのことが好き。
その気持ちを、きちんと伝えたい。
でも、それは私の勝手な都合だ。
和人くんには、和人くんのペースがある。
三上さんとの友達関係も、和人くんにとっては大切なものだろう。
だから私は、和人くんの気持ちを急かすようなことはしない。
でも、私の気持ちだけは、ちゃんと伝えておきたい。
和人くんが私のことをどう思っているのか、まだ分からない。
でも、少なくとも私の気持ちを知ってもらうことで、二人の関係がもう少しはっきりするかもしれない。
そうすれば、この曖昧な状態から抜け出せるかもしれない。
風が少し強くなって、私のスカートを揺らした。
もうすぐ夏が来る。
新しい季節が始まる前に、私も変わらなければいけない。
和人くんに、きちんと私の気持ちを伝えよう。
その覚悟を決めた時、私の心は少しだけ軽くなった。
◇
放課後の部室で、私は和人くんの横顔を見つめていた。
今日も和人くんと三上さんは、自然に会話している。
でも今日の私は、昨日までとは違う気持ちでその様子を見ていた。
嫉妬という感情は、まだ完全に消えたわけではない。
でも、それに振り回されるのではなく、自分なりに向き合おうと思えるようになった。
近いうちに、和人くんと二人きりで話す機会を作ろう。
そして、私の気持ちをちゃんと伝えよう。
どんな答えが返ってきても、それを受け入れる。
その覚悟ができた今なら、きっと大丈夫だ。
私は小さく深呼吸をして、明日からの行動を心の中で計画し始めた。
和人くんを映画に誘おうか。
それとも、もっとカジュアルにカフェでお茶でもしようか。
どちらにしても、二人きりになれる時間を作って、ちゃんと話をしよう。
私の恋は、ここから本当に始まるのかもしれない。
◇
その夜、私は鏡の前に立って自分の顔を見つめていた。
明日から、私は変わる。
嫉妬に振り回される私ではなく、自分の気持ちにちゃんと向き合う私になる。
和人くんを愛する気持ちを、恥ずかしがらずに伝える私になる。
それは、きっと怖いことだ。
拒絶されるかもしれない。
今の関係が壊れてしまうかもしれない。
でも、このまま曖昧な状態でいるよりは、ずっといい。
私は鏡の向こうの自分に向かって、小さく頷いた。
きっと大丈夫。
私には、勇気がある。
中学時代から高校に上がる時に見せた勇気と、同じものが私の中にある。
今度は、恋愛という新しい領域で、その勇気を発揮する番だ。
明日からの私を、楽しみにしていよう。
そう思いながら、私は安らかな気持ちで眠りについた。
決戦前夜だ。
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