第19話:夏が終わってしまう前に

朝の通学路は、夏の陽射しでアスファルトが既に熱を帯びていた。


私は一人で歩きながら、セミの鳴き声に混じる自分の足音を聞いていた。

ジリジリと照りつける太陽の下で、どこか私の心の中も熱くざわついている気がした。


和人くんのことを考えると、胸の奥がざわざわする。


好きだという気持ちと、嫉妬という醜い感情が混じり合って、自分でもよく分からない状態になっている。


昨日も、部室で和人くんと三上さんが仲良く勉強している様子を見ていて、またあの嫌な感情が湧き上がってきた。


私だって、和人くんと自然に話したい。


私だって、和人くんに頼られたい。


でも、なぜか上手くいかない。


好きだという気持ちが先走って、いつも空回りしてしまう。



教室に着くと、いつもの朝の風景が広がっていた。


生徒たちがそれぞれの席で、宿題を見せ合ったり、昨夜のテレビの話をしたりしている。私もその輪の中に混じって、明るく振る舞う。


「おはよう、光ちゃん」


クラスメイトの友達が声をかけてくれる。


「おはよう」


私は笑顔で答える。


でも、その笑顔の奥で、私は自分の感情と格闘していた。


和人くんはまだ教室にいない。

最近は、朝も三上さんと一緒にいることが多い。

図書館で待ち合わせをして、一緒に登校しているらしい。


それを聞いた時の私の気持ちを、どう表現すればいいのだろう。


嫉妬?羨望?それとも、単純に寂しいだけなのだろうか。


朝の強い陽射しが窓から差し込んで、教室全体を明るく照らしている。

エアコンが効いているとはいえ、外の暑さが伝わってくるようだった。

でも私の心の中はそんな夏の暑さとは違う、もやもやとした熱を抱えていた。



一時間目の授業中、私は集中できなかった。


数学の公式を板書する先生の声が、遠くから聞こえてくるようだった。


ノートに文字を書きながら、私は自分の感情について考えていた。


いつから和人くんのことを好きになったのだろう。


最初は、null として助けてもらった時の感謝の気持ちだった。

困っている時に、匿名で助けてくれる人がいる。それだけで十分だった。


でも、深夜の音声チャットを重ねるうちに、その感謝は別の感情に変わっていった。


和人くんの優しさ、真面目さ、時々見せる不器用さ。


そんな彼の人柄に、いつの間にか惹かれていた。


そして、彼が黒瀬和人だということが分かった時、私の気持ちは確信に変わった。


現実世界の彼も、ネットの世界の彼も、同じように優しくて、同じように不器用で、同じように魅力的だった。


でも、好きになってしまったからこそ、複雑な感情も生まれてしまった。


和人くんが他の女の子と仲良くしているのを見ると、胸が苦しくなる。


特に三上さんとの関係は、私にとって特別に辛い。


二人は似ている。

内向的で、人見知りで、でもお互いを理解し合っている。


私は、そんな風に和人くんと関わることができない。


好きだという気持ちが邪魔をして、自然に振る舞えなくなってしまう。



昼休みになっても、私は一人で教室にいた。


いつもなら友達と一緒に学食に行くのに、今日はなんだか気分が乗らなかった。


机に突っ伏して、窓の外を眺める。


校庭では、強い日差しの中で多くの生徒が思い思いに昼休みを過ごしている。

木陰のベンチで弁当を食べている子、暑さに負けずに友達と話している子、涼しい図書館で読書をしている子。


みんな、それぞれに充実した時間を過ごしているように見える。


私だけが、こんな風にモヤモヤした気持ちを抱えているような気がした。


そんな時、廊下から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「そうそう、この問題も分からなくて...」


三上さんの声だった。


「ああ、これは昨日やった公式を使えば...」


和人くんの声も聞こえる。


二人は図書館に向かって歩いているようだった。


私は窓際の席から、そっと廊下を覗いた。


和人くんと三上さんが並んで歩いている。

三上さんがノートを見せながら何かを説明していて、和人くんがそれに答えている。


二人の距離感は、とても自然だった。


お互いに緊張することもなく、普通に会話している。


私が和人くんと話す時は、いつも心臓がドキドキして、何を話せばいいか分からなくなってしまうのに。


その違いが、私には痛いほど分かった。


好きという感情があるからこそ、自然に振る舞えなくなってしまう。


でも、三上さんには恋愛感情がないから、和人くんと自然に接することができる。


それが悔しくて、羨ましくて、でも同時に理解もできてしまう。


私はそっと席に戻って、再び机に突っ伏した。



放課後の部室は、いつものように三人の空間だった。


でも今日の私は、どこか他人事のような気持ちで二人の様子を見ていた。


和人くんと三上さんが、また勉強の話をしている。

三上さんが分からない問題を和人くんに聞いて、和人くんが丁寧に説明している。


私も勉強は得意な方だから、説明することはできる。

でも、なぜか割って入る気になれなかった。


二人の世界を邪魔したくないような気持ちと、自分だけが疎外されているような気持ちが混じり合っていた。


「天野先輩、大丈夫ですか?」


三上さんが心配そうに声をかけてくれた。


「大丈夫だよ」


私は作り笑顔で答えた。


「なんだか、お疲れのようですが...」


「気のせいじゃない?」


私は三上さんの優しさを拒絶してしまった。


その瞬間、部室の空気が少し重くなった。


和人くんも心配そうに私を見ている。

でも、私は何と言えばいいのか分からなかった。


「嫉妬してます」なんて言えるわけがない。


「和人くんのことが好きだから、三上さんが羨ましいです」なんて言えるわけがない。


だから私は、何も言わずに黙っていた。


でも、その沈黙が余計に状況を悪くしているのも分かっていた。



その日の夜、私は自分の部屋で一人になって、ようやく本当の気持ちと向き合うことができた。


ベッドに座って、膝を抱えながら考える。


私は和人くんのことが好き。


その気持ちは、もう疑いようがない。


でも、その気持ちを素直に表現することができない。


なぜなら、和人くんからの明確な答えをもらっていないから。


私たちの関係は、まだ曖昧なままだ。


お互いに意識しているのは分かる。

でも、「付き合ってください」「はい」という明確なやり取りをしたわけではない。


だから私は和人くんに嫉妬する権利があるのかどうか、分からなくなってしまう。


でも、嫉妬という感情はそんな理屈では割り切れない。


和人くんが他の女の子と仲良くしているのを見ると、どうしても胸が苦しくなる。


特に三上さんとの関係は、私にとって特別に辛い。


三上さんは悪い子じゃない。むしろ、とても良い子だと思う。


和人くんの友達として、彼女は適任だろう。


でも、それが分かっていても嫉妬という感情は消えない。


私は枕を抱きしめながら、小さくため息をついた。



次の日の朝も、私は一人で登校した。


和人くんと三上さんは、また図書館で待ち合わせをしているのだろう。


歩きながら、私は昨夜考えたことを思い返していた。


このままじゃだめだ。


嫉妬という感情に振り回されて、和人くんとの関係も、三上さんとの関係も悪くしてしまう。


でも、だからといって、この気持ちをどう処理すればいいのか分からない。


そんな時、ふと思い出したことがあった。


中学時代の私のことを。


あの頃の私は、本当に一人だった。教室の隅で本を読んで、誰とも話さずに過ごしていた。


でも高校に入って、思い切って変わろうと決めた時、私は自分から行動を起こした。


話しかけるのが怖くても、勇気を出して声をかけた。


断られることもあったけど、受け入れてくれる人もいた。


そうやって、少しずつ友達の輪を広げていった。


今回も、同じように勇気を出す必要があるのかもしれない。


和人くんに、はっきりと私の気持ちを伝える。


曖昧なままでいるから、こんな風に苦しくなってしまう。


どんな答えが返ってきても、それを受け入れよう。


そう決心した時、私の胸の奥のざわざわした感情が、少しだけ落ち着いた。



その日の昼休み、私は屋上にいた。


普段はあまり来ない場所だけど、今日は一人になりたかった。


屋上から見える景色は、いつもとは違って見えた。


学校の周りに広がる住宅街、その向こうに見える山々、真夏の強い陽射しを受けて輝く青い空。


全てが、どこか新鮮に感じられた。


私は柵にもたれかかりながら、暑い風に髪を揺らされていた。


昨夜からずっと考えていたことを、もう一度整理してみる。


私は和人くんのことが好き。


その気持ちを、きちんと伝えたい。


でも、それは私の勝手な都合だ。


和人くんには、和人くんのペースがある。


三上さんとの友達関係も、和人くんにとっては大切なものだろう。


だから私は、和人くんの気持ちを急かすようなことはしない。


でも、私の気持ちだけは、ちゃんと伝えておきたい。


和人くんが私のことをどう思っているのか、まだ分からない。


でも、少なくとも私の気持ちを知ってもらうことで、二人の関係がもう少しはっきりするかもしれない。


そうすれば、この曖昧な状態から抜け出せるかもしれない。


風が少し強くなって、私のスカートを揺らした。


もうすぐ夏が来る。


新しい季節が始まる前に、私も変わらなければいけない。


和人くんに、きちんと私の気持ちを伝えよう。


その覚悟を決めた時、私の心は少しだけ軽くなった。



放課後の部室で、私は和人くんの横顔を見つめていた。


今日も和人くんと三上さんは、自然に会話している。


でも今日の私は、昨日までとは違う気持ちでその様子を見ていた。


嫉妬という感情は、まだ完全に消えたわけではない。


でも、それに振り回されるのではなく、自分なりに向き合おうと思えるようになった。


近いうちに、和人くんと二人きりで話す機会を作ろう。


そして、私の気持ちをちゃんと伝えよう。


どんな答えが返ってきても、それを受け入れる。


その覚悟ができた今なら、きっと大丈夫だ。


私は小さく深呼吸をして、明日からの行動を心の中で計画し始めた。


和人くんを映画に誘おうか。


それとも、もっとカジュアルにカフェでお茶でもしようか。


どちらにしても、二人きりになれる時間を作って、ちゃんと話をしよう。


私の恋は、ここから本当に始まるのかもしれない。



その夜、私は鏡の前に立って自分の顔を見つめていた。


明日から、私は変わる。


嫉妬に振り回される私ではなく、自分の気持ちにちゃんと向き合う私になる。


和人くんを愛する気持ちを、恥ずかしがらずに伝える私になる。


それは、きっと怖いことだ。


拒絶されるかもしれない。


今の関係が壊れてしまうかもしれない。


でも、このまま曖昧な状態でいるよりは、ずっといい。


私は鏡の向こうの自分に向かって、小さく頷いた。


きっと大丈夫。


私には、勇気がある。


中学時代から高校に上がる時に見せた勇気と、同じものが私の中にある。


今度は、恋愛という新しい領域で、その勇気を発揮する番だ。


明日からの私を、楽しみにしていよう。


そう思いながら、私は安らかな気持ちで眠りについた。


決戦前夜だ。

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