第50話:黒き語り火、神語に届かぬ祈り
祝祭の夜が明け、語られぬ
焚火の跡はまだ温かく、そこかしこに眠り込んだ影たちが寄り添い合っていた。
その姿は、神語が編むどんな神話よりも静かで穏やかな物語に見えた。
骸記ノ者は黒い芽を胸に抱き、そっと歩き出す。
リクは剣を片手に、少し遅れてその後をついてくる。
「この国……少しずつだけど、本当に変わったな。」
骸記ノ者は頷いた。
「神語に縛られず、互いに語り合って笑える場所。
ここはもう、神の記録から外れた“物語の外側”だ。」
エノは小さな花を摘みながら、黒い芽を覗き込む。
「でも……神語はこれを許さないんでしょ?」
「そうだ。」
骸記ノ者は黒い芽にそっと触れる。
「だから芽をもっと強くしなければならない。
神語に届かないこの声を、この芽にもっと刻むんだ。」
◇
広場に戻ると、影たちが焚火の跡を囲みながら静かに座っていた。
彼らは何も語らず、ただ火のない焚火をじっと見つめている。
骸記ノ者はその中に歩み寄り、膝をついた。
「……語ってくれ。」
影たちは顔を上げる。
「名前も、形も、物語もいらない。
ただお前たちの声を、この芽に注いでくれ。」
小さな影が、おずおずと手を上げた。
そして震える声で言った。
「……わたしは……
誰にも名前を呼ばれなかった。
でも……ここにいて、いいの?」
骸記ノ者は強く頷いた。
「いいとも。
ここはお前の国だ。」
◇
その言葉に、周りの影たちが次々に声をあげ始めた。
「……ここに……いたい……」
「……もう神語に名前を付けられたくない……」
「……わたしは……わたしで……いたい……」
その声は黒い芽に吸い込まれ、小さく脈動が増していく。
芽は淡い黒光を放ち、その光は焚火の跡にそっと染み込み、再び小さな炎を灯した。
その炎は神語の火ではなかった。
祝詞も賛歌もない、ただ影たちの祈りが集まって揺らぐ火。
それが語られぬ国の、新しい“語り火”だった。
◇
リクはその焚火のそばに腰を下ろし、剣を脇に置いて言った。
「この火がある限り、俺はここで剣を振るう。」
エノは微笑み、骸記ノ者の隣に座る。
「わたしは……この火のそばでずっと語るよ。
あなたたちがここにいたって、いつまでも語り続ける。」
骸記ノ者は黒い芽を焚火にかざし、静かに呟く。
「神語に届かなくていい。
この火は俺たちの火だ。
ここにいる声を燃やし続ける限り、神の記録にならなくても、俺たちは消えない。」
焚火がぱちりと弾け、小さな火の粉が影たちの間に舞った。
誰もがその火を見つめ、声もなく笑った。
それは神語の祭壇では決して許されぬ、穢れた祝福。
だがこの国では、それこそがもっとも尊い祈りだった。
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