第49話:語られぬ国の宴、声なき者たちの祝祭
《アムナス》に帰還した骸記ノ者たちを、影たちが迎えた。
彼らはかつて神語に囚われ、ただ語らされるだけの存在だった。
しかし今は違う。
沈黙の聖堂から取り戻された数多の語りが黒い芽に吸収され、それがこの国の空気そのものを変えていた。
影たちはおずおずと焚火を囲み、互いに囁き合い、時に小さな声で笑った。
焚火の光が影の輪郭を照らすたび、それは確かに「ここにいる」とこの場所に刻まれていった。
骸記ノ者は黒い芽を抱え、広場の中央に立つ。
「……ここからだ。
これまでは逃げるように、奪われぬように語り続けてきた。
だがこれからは違う。」
リクが剣を肩に担ぎ、少しだけ口元を緩めた。
「そうだな。
今度は“奪い返しに行く”物語だ。」
エノが焚火の光を見つめて小さく頷く。
「でも、今日は……」
◇
影の一人が恐る恐る焚火のそばに置いてあった壺を抱えてきた。
その中にはただの灰混じりの水が入っている。
だが影たちはそれを珍しそうに見つめ、順々に口をつける。
そして不思議そうに顔を見合わせ、小さく笑った。
「……なんだ?」
リクが眉をひそめて尋ねると、骸記ノ者は小さく笑う。
「宴だよ。
ここは“語られぬ国”だ。
神語に記される祝祭じゃない。
自分たちで自分たちのために作った、小さな祝祭だ。」
影たちが拙い声で歌い出す。
それは神語の詠唱のように整った旋律ではない。
息が途切れ、震え、でも確かに自分の声を持つ歌だった。
◇
焚火を囲む輪が少しずつ大きくなり、影たちは互いに肩を寄せ合った。
小さな笑い声、囁き声、それだけのものがどれだけ尊いのかを、この国の誰もが知っていた。
エノがそっと黒い芽に頬を寄せた。
「……聴こえる?
みんなが笑ってる声。」
芽はゆっくりと脈動し、そのたびに芽の奥から微かな声が響いた。
《……ここにいる……》
《……ありがとう……》
《……生きたい……》
それは芽の中に刻まれた語られぬ者たちの声。
神語に奪われ、消され、沈黙の聖堂に閉じ込められた無数の声が、いまようやくこの街で微笑んでいた。
◇
やがて影の一人が、灰の壺をエノに差し出した。
「……これは、祝杯……?」
影は言葉に自信がなく、どこかすぐに黙ってしまいそうだった。
だがエノはにこっと笑い、その壺を両手で受け取った。
「うん。
この国の初めての祝杯だよ。」
エノは小さく口をつけ、少し咳き込みながらも笑った。
それを見た影たちも次々と口をつけ、思い思いに笑い声を上げた。
骸記ノ者はその光景を見つめ、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……これが俺たちの祝祭だ。」
リクが肩を軽く叩いてきた。
「悪くねぇな。
この国があるなら、俺はいつまでもここに剣を置けない。」
「置かなくていい。
お前の剣はこの国を守るためのものだからな。」
◇
夜空には雲一つなく、無数の星が瞬いていた。
それを見上げながら、骸記ノ者はそっと芽に呟く。
「語られぬ声で祝われる国。
それが、俺たちの生きる証だ。」
芽は静かに光を放ち、その光は焚火の赤とも星の白とも違う、温かな黒だった。
その光の下で、影たちは声を交わし、肩を寄せ合い、語られぬままに笑い合った。
そしてその夜が、この国にとって何より大切な“物語”となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます