第49話:語られぬ国の宴、声なき者たちの祝祭

《アムナス》に帰還した骸記ノ者たちを、影たちが迎えた。


彼らはかつて神語に囚われ、ただ語らされるだけの存在だった。

しかし今は違う。

沈黙の聖堂から取り戻された数多の語りが黒い芽に吸収され、それがこの国の空気そのものを変えていた。


影たちはおずおずと焚火を囲み、互いに囁き合い、時に小さな声で笑った。


焚火の光が影の輪郭を照らすたび、それは確かに「ここにいる」とこの場所に刻まれていった。


骸記ノ者は黒い芽を抱え、広場の中央に立つ。


「……ここからだ。

これまでは逃げるように、奪われぬように語り続けてきた。

だがこれからは違う。」


リクが剣を肩に担ぎ、少しだけ口元を緩めた。


「そうだな。

今度は“奪い返しに行く”物語だ。」


エノが焚火の光を見つめて小さく頷く。


「でも、今日は……」


 



影の一人が恐る恐る焚火のそばに置いてあった壺を抱えてきた。


その中にはただの灰混じりの水が入っている。

だが影たちはそれを珍しそうに見つめ、順々に口をつける。


そして不思議そうに顔を見合わせ、小さく笑った。


「……なんだ?」


リクが眉をひそめて尋ねると、骸記ノ者は小さく笑う。


「宴だよ。

ここは“語られぬ国”だ。

神語に記される祝祭じゃない。

自分たちで自分たちのために作った、小さな祝祭だ。」


影たちが拙い声で歌い出す。

それは神語の詠唱のように整った旋律ではない。

息が途切れ、震え、でも確かに自分の声を持つ歌だった。


 



焚火を囲む輪が少しずつ大きくなり、影たちは互いに肩を寄せ合った。


小さな笑い声、囁き声、それだけのものがどれだけ尊いのかを、この国の誰もが知っていた。


エノがそっと黒い芽に頬を寄せた。


「……聴こえる?

みんなが笑ってる声。」


芽はゆっくりと脈動し、そのたびに芽の奥から微かな声が響いた。


《……ここにいる……》


《……ありがとう……》


《……生きたい……》


それは芽の中に刻まれた語られぬ者たちの声。

神語に奪われ、消され、沈黙の聖堂に閉じ込められた無数の声が、いまようやくこの街で微笑んでいた。


 



やがて影の一人が、灰の壺をエノに差し出した。


「……これは、祝杯……?」


影は言葉に自信がなく、どこかすぐに黙ってしまいそうだった。

だがエノはにこっと笑い、その壺を両手で受け取った。


「うん。

この国の初めての祝杯だよ。」


エノは小さく口をつけ、少し咳き込みながらも笑った。


それを見た影たちも次々と口をつけ、思い思いに笑い声を上げた。


骸記ノ者はその光景を見つめ、胸の奥が熱くなるのを感じた。


「……これが俺たちの祝祭だ。」


リクが肩を軽く叩いてきた。


「悪くねぇな。

この国があるなら、俺はいつまでもここに剣を置けない。」


「置かなくていい。

お前の剣はこの国を守るためのものだからな。」


 



夜空には雲一つなく、無数の星が瞬いていた。


それを見上げながら、骸記ノ者はそっと芽に呟く。


「語られぬ声で祝われる国。

それが、俺たちの生きる証だ。」


芽は静かに光を放ち、その光は焚火の赤とも星の白とも違う、温かな黒だった。


その光の下で、影たちは声を交わし、肩を寄せ合い、語られぬままに笑い合った。


そしてその夜が、この国にとって何より大切な“物語”となった。

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