第51話:影の誓い、語られぬ旗のもとに
焚火の火は夜になるたび新しく灯され、その周りには自然と影たちが集まった。
誰も神語の祝詞を唱えず、誰も物語の役割を押し付けられないこの場所で、影たちはただ自分たちの声を交わし合う。
それは小さな囁きであり、時に涙交じりの笑い声だった。
その一つ一つが黒い芽に刻まれ、芽は確かに成長を続けていた。
骸記ノ者は広場の中央に立ち、集まった影たちを見渡した。
「……お前たちの声はもう神語に奪われない。
ここで交わす言葉は誰の記録にも残らないが、それでいい。
この火と、この芽が覚えている。
だから――」
言葉に詰まった骸記ノ者の肩に、そっとエノが手を置いた。
「だから、この国は大丈夫だよ。
ここにいるみんなで語るから。」
リクは剣を地面に突き立て、あぐらをかいて笑った。
「そうだ。
俺はこの旗の下ならいつだって剣を抜く。
それが神語にどう書かれようがな。」
◇
影の一人が、小さな布切れを掲げた。
それはぼろ切れで、墨で不器用に書かれた文字が滲んでいた。
《ここにいる》
それだけの言葉だった。
だが影は震える手でそれを胸に抱え、小さく笑った。
「……これが……わたしの旗。」
別の影も、小さな木片に刻んだ同じ文字を掲げた。
さらにまた一人、また一人と、影たちはそれぞれの“旗”を持ち始めた。
骸記ノ者は息を呑む。
焚火の光の中で揺れるその旗は、神語の秩序の旗ではなかった。
それはただ、「自分がここにいる」という小さな証。
語られぬ者たちが自分自身に与えた物語だった。
◇
「誓おう。」
骸記ノ者はゆっくりと手を伸ばし、焚火の熱を掌で受け止めた。
「この国では、どんな声も奪わせない。
ここにいると言ったお前たちを、絶対に消させない。
神語がどれだけ支配を試みても、この火とこの芽が、お前たちの物語を守る。」
エノは黒い芽を抱え、そっと目を閉じる。
「わたしも語るよ。
何度でも語る。
ここにあなたたちがいたってことを。」
リクが剣に手を置き、薄く笑う。
「俺は戦う。
この旗の下でなら、何度でも剣を振る。」
◇
影たちが次々に小さな声で呟いた。
「……ここにいる。」
「……消えたくない。」
「……また語りたい。」
その声は神語には決して届かない。
けれどこの国には、確かにその声が届いていた。
焚火が小さく爆ぜ、芽が静かに脈動した。
神語に記されない旗が、ここに翻っていた。
それは誰も知らない、けれどこの国にとっては何よりも大切な旗だった。
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