第51話:影の誓い、語られぬ旗のもとに

焚火の火は夜になるたび新しく灯され、その周りには自然と影たちが集まった。

誰も神語の祝詞を唱えず、誰も物語の役割を押し付けられないこの場所で、影たちはただ自分たちの声を交わし合う。


それは小さな囁きであり、時に涙交じりの笑い声だった。

その一つ一つが黒い芽に刻まれ、芽は確かに成長を続けていた。


骸記ノ者は広場の中央に立ち、集まった影たちを見渡した。


「……お前たちの声はもう神語に奪われない。

ここで交わす言葉は誰の記録にも残らないが、それでいい。

この火と、この芽が覚えている。

だから――」


言葉に詰まった骸記ノ者の肩に、そっとエノが手を置いた。


「だから、この国は大丈夫だよ。

ここにいるみんなで語るから。」


リクは剣を地面に突き立て、あぐらをかいて笑った。


「そうだ。

俺はこの旗の下ならいつだって剣を抜く。

それが神語にどう書かれようがな。」


 



影の一人が、小さな布切れを掲げた。


それはぼろ切れで、墨で不器用に書かれた文字が滲んでいた。


《ここにいる》


それだけの言葉だった。


だが影は震える手でそれを胸に抱え、小さく笑った。


「……これが……わたしの旗。」


別の影も、小さな木片に刻んだ同じ文字を掲げた。


さらにまた一人、また一人と、影たちはそれぞれの“旗”を持ち始めた。


骸記ノ者は息を呑む。


焚火の光の中で揺れるその旗は、神語の秩序の旗ではなかった。

それはただ、「自分がここにいる」という小さな証。

語られぬ者たちが自分自身に与えた物語だった。


 



「誓おう。」


骸記ノ者はゆっくりと手を伸ばし、焚火の熱を掌で受け止めた。


「この国では、どんな声も奪わせない。

ここにいると言ったお前たちを、絶対に消させない。

神語がどれだけ支配を試みても、この火とこの芽が、お前たちの物語を守る。」


エノは黒い芽を抱え、そっと目を閉じる。


「わたしも語るよ。

何度でも語る。

ここにあなたたちがいたってことを。」


リクが剣に手を置き、薄く笑う。


「俺は戦う。

この旗の下でなら、何度でも剣を振る。」


 



影たちが次々に小さな声で呟いた。


「……ここにいる。」


「……消えたくない。」


「……また語りたい。」


その声は神語には決して届かない。


けれどこの国には、確かにその声が届いていた。


焚火が小さく爆ぜ、芽が静かに脈動した。


神語に記されない旗が、ここに翻っていた。

それは誰も知らない、けれどこの国にとっては何よりも大切な旗だった。

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