31.5話:胡蝶の夢

「──ら、起きて」


 誰の声だろう。

 とても聞き馴染みのある優しい声だ。


「んもぅ!起きろってばーー!!!」

「はいぃぃぃ!!?」


 耳元で叫ばれ身体がビクリと跳ね上がる。

 キーーンとまるで金属を弾いたような音が止まらない。


「お!起きた」

「耳が痛いよ」


 目の前には幼馴染みの涼風 結葉すずかぜ ゆいはが立っていた。

 もう一度ゆっくりと椅子に座り、先程寝ていた時と同じ体制をとる。


「あ、寝ちゃダメだってば!」

「頭痛いんだから許してよ」


 肩を揺らしてくる少女は小さくため息をつく。

 その子は後に回り僕の脇をグッと掴む。

 急に掴まれた驚きとくすぐったさを感じ勢い良く振り向く。


「なに!?」

大翔ひろと軽いし、持ち上げてやろうと思って」


 心臓に悪いことばかりするのは止めてくれ。

 お陰で眠気がすっかり目が冴えてしまった。

 少し伸びをした後あくびをしながら黒板の上に付いている時計を見る。

 時刻は十七時を回っていた。

 思っていた以上にも眠っていたみたいだ。


「いい加減置いてくよー」

「あぁごめん、今行くよ」


 机に掛けている鞄を手に取ると急いで教室を出る。

 何かを忘れている気がするが・・・明日取れば良いだろう。


「頭痛い」

「絶対寝すぎでしょ」


 頭痛薬を飲まないといけない程ではないのがどこかもどかしく感じる。

 肩を落としながらトボトボと歩いていると彼女と逆方向に進む。


「あれ、そっちが校門だったっけ?」

「はぁ……まだ寝惚けてるの?キミがコレ返しに行くって言ったんでしょ」


 そう言いながら図書室を指差す。

 そうだった、借りた本を返しに行くから先に帰ってもらうように言ったら、付いてくるって結葉ゆいはが言ってたんだった。

 何で忘れていたんだろう。

 そう頭を掻いていると彼女はさっさと返してしまおうと扉を開く。


「あれ?」


 この先は何の変哲もない図書室なのだが誰も居ない。

 いや、人が居ない事自体は頻繁ひんぱんにあるのだが受付の人まで居ないのは始めてだ。

 大体はいつも図書委員か先生が座っている筈なのに・・・・・


「今日って職員会議とかあるって言われてたっけ?」

「だったらそもそも扉が開いてないでしょ」


 それもそうか。

 少し不思議に思いながらもこのままじゃ返せないので一先ず誰か来るのを待つことにした。

 窓からは見慣れた景色が見える。

 いつもと違うと言えば少し暗くなるのが早いように感じる。

 やることもないので適当に何冊か本を持ってくる。


「おいおい、ボクはそっちのけですか」

「良いだろ。どうせ何かする訳でもないんだからさ」


 目の前に座る少女は不服そうに頬を膨らます。

 そんな彼女を無視していると読んでいる本がパタリと閉ざされる。

 もう一度開くとまたパタリ。

 それを五回程繰り返した。


「なんなのさ!」

「本ばっか読んでてつまんない」


 彼女は放置されることが何よりも嫌いな性格なのだ。

 幼稚園の頃からその性格が変わっていない事を俺は失念していた。


「一緒に読めば良いじゃん」

「やだ。せっかくだから何か話したい」


 話すって、話題なんて直ぐには思いつかないぞ・・・そう考え込んでいると彼女はニマニマと此方を見つめている事に気が付く。

 頬を膨らませたと思えばニヤついていたりと・・・相変わらず随分と表情豊かな奴だ。


「なにさ」

「いや~何だかんだちゃんと考えてくれるんだなって」


 そう言いながら頭をポンポンっと撫でてくる。

 こいつは直ぐ年下扱いしてきやがる。

 そっちが歳上になるのが少し早いだけなのに──と言うか直ぐに俺も同じ歳になるのに。


「んで・・・からかいたかっただけなの?」

「ちゃんと話したいことあるよ」


 そう首を横に振る彼女は突拍子もないことを口走る。


大翔ひろとはさ・・・異世界とか平行世界って信じる?」

「平行世界ってあの?」

「そうそう、所謂いわゆるパラレルワールドってやつ」


 パラレルワールドか……最近読んだ本にそんなのが出てきてたっけ。

 読んだ気はするのだがまるで霧が掛かった様にハッキリと思い出せない。

 そもそもそんな本何時買ったんだっけか・・・


「ちょいちょ~い、一人の世界に入り込むな」

「あぁごめん、まぁ俺としてはあると思うよ」


 俺の答えを聞いて彼女は意外そうな顔をする。

 そんなに驚かれる様な事を言ったかな?それにそういった内容の本をすすめてきたの結葉ゆいはだった筈なんだけど。


「いやー、大翔ひろとって結構現実主義だったから」

「つまんない奴って言いたいのか」


 そう言うと彼女は視線を外し静かに窓を見つめる。

 え、本当にそう思ってるの。

 冗談で言ったつもりだったんだけど……ちょっと傷つくぞ。

 俺は思わず瞳から光を失くしうつむく。


「あー冗談だよ気を落とさないで!」


 肩をベシベシと叩かれる。

 ちょっと勢い良くため息をつく。


「それで・・・何でこんな質問を?」


 "拗ねてる"と結葉ゆいはは心の中で少し笑う。

 それを俺が気付かないとでも思ったいるのだろうかこの幼馴染みは・・・・・


「まぁちょっと気になったって言うか」

「なんじゃそりゃ。てか信じるも何も俺は──」


 ・・・なんだっけ?何かを忘れてる様な・・・・と言うか何でコイツはここに居るんだ。

 頭が痛い。

 目の前の少女は表情一つ変えずに俺を見つめている。


「あのさ、今って俺達何年生だっけ?」

「変な質問するね~今は高校二年生だよ」


 高校二年生?確かに俺は高二だ。

 けれども結葉ゆいはは確か・・・その時またズキリと頭に鋭い痛みが走る。

 それもさっきより強い痛みだ。

 なんなんだ…痛い筈なのに・・・・それよりも何でこんなにも悲しくなるんだ。

 痛みが涙へと変わる。


「あれ、俺なんで泣いて...」


 拭っても拭っても止まらない。

 そんな俺を心配してか彼女は優しく頭を撫でてくる。

 ダメだ。

 このままじゃいけない筈なのにここに居たいと思ってしまう。

 まだここで泣いていたい・・・目を覚ましたくない。

 そうは願ってしまった。

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