第20話 伊吹山での捕縛
佐和山城が炎に包まれるのを見て、私の胸は張り裂けそうになった。故郷であり、長きにわたり私を支えてくれた城が、徳川家康殿の東軍の手に落ち、燃え盛る炎に包まれていくのを、私はただ遠くから見つめるしかなかった。その光景は、私の敗北を、そして豊臣家の滅亡を、鮮烈に私に突きつけた。
私は、もはや佐和山城に戻る術を失った。残されたわずかな供の者たちと共に、私は、夜の闇に紛れてさらに深く山中へと分け入った。疲労と空腹、そして絶え間ない追撃の恐怖が、私の全身を蝕んでいく。私の体は鉛のように重く、足は棒のようだった。しかし、私の心は、まだ折れてはいなかった。
「このまま、家康殿に捕らえられるわけにはいかぬ…」
私は、歯を食いしばり、必死に前へ進んだ。私の脳裏には、豊臣秀頼様の顔が浮かんだ。幼き秀頼様を盛り立て、太閤豊臣秀吉公が築き上げた天下泰平の世を守る。それが、私の最後の使命であると、私は固く信じていた。たとえ、この身がどうなろうとも、私は秀頼様のために、最後まで戦い抜くことを誓った。
私は、伊吹山を目指した。この山は、険しい山岳地帯であり、追っ手の目を欺くには最適の場所だと判断した。山中深く分け入れば、追っ手も容易には手を出せないだろう。そして、どこかで再起の機会をうかがう。それが、私の最後の望みであった。
しかし、私の体力は限界に達していた。何日もまともな食事を取っておらず、睡眠もろくに取れていない。足元はふらつき、一歩踏み出すごとに、激しい痛みが走った。それでも、私は、自分を鼓舞し、ひたすら山を登り続けた。
夜の伊吹山は、恐ろしいほどに静まり返っていた。獣の鳴き声が遠くから聞こえ、風が木々を揺らす音が、まるで亡霊の囁きのように聞こえた。私は、飢えと寒さに震えながら、木の根元に身を寄せた。
私の周りの供の者たちも、次々と力尽きていった。疲労と空腹、そして絶望に打ちひしがれ、動けなくなる者、あるいは、追っ手の手に落ちる者。彼らの苦しそうな顔を見て、私は、自分の無力さを痛感した。彼らを助けることができない悔しさが、私の胸を締め付けた。
「すまぬ…すまぬ…」
私は、心の中で、彼らに謝罪の言葉を繰り返した。彼らの犠牲の上に、私は生きている。この命を、決して無駄にしてはならない。
そして、夜が明けた。
朝日が、伊吹山の山頂を照らし始めた頃、私は、ついに力尽きて、その場に倒れ込んだ。もはや、一歩も動くことができない。私の体は、鉛のように重く、意識は朦朧としていた。
その時、遠くから、人の声が聞こえてきた。それは、追っ手の声であった。私の隠れている場所が、ついに見つかったのだ。
私は、最後の力を振り絞り、刀に手を伸ばした。しかし、その手は震え、刀を握ることすらできなかった。私の体は、もはや言うことを聞かなかった。
私の前に、数人の武士が姿を現した。彼らは、田中吉政殿の家臣であった。吉政殿は、かつて豊臣家に仕え、私とも面識のある武将であった。彼らは、私を捕らえるべく、私の周りを囲んだ。
私は、彼らの顔を見た。彼らの目には、私への敵意と、そして勝利の光が宿っていた。私は、抵抗することなく、静かに捕縛されることを受け入れた。私の手は、縄で縛られ、体は引き起こされた。
「石田治部少輔、貴様を捕らえる!」
田中吉政の家臣の一人が、高らかに宣言した。その言葉は、私に、もう何もかもが終わったことを告げていた。
私は、静かに首を垂れた。私の胸中には、敗北の痛みと、豊臣家の未来への深い絶望が渦巻いていた。しかし、後悔はなかった。私は、自らの信念を貫き通し、最後まで豊臣のために戦い抜いたのだ。
捕縛された私は、憔悴しきった体を引きずりながら、東軍の陣へと連行されていった。私の周りでは、勝利に沸く東軍の兵士たちが、私を嘲笑し、罵声を浴びせていた。彼らの言葉は、私の耳には届かなかった。私の意識は、朦朧としていた。
私が、関ヶ原の戦場の跡地を歩くと、そこには、無数の屍が累々と横たわっていた。西軍の兵士たちの屍。彼らの多くは、私を信じ、私と共に戦ってくれた者たちであった。彼らの死を無駄にしてしまったという事実が、私の心を深く抉った。
私は、遠く、笹尾山の方向を見た。そこには、私の本陣があった場所。そして、大谷吉継殿の藤川台の方向へと視線を移した。彼の陣は、もはや瓦礫と化していた。彼の死は、私にとって、あまりにも大きな代償であった。
私は、吉継殿の忠告を思い出した。「三成殿、この戦は、豊臣の未来を賭けた戦にござる。正義は、我らにございまする。」
彼の言葉は、私の胸に深く刻まれている。私は、彼の言葉を信じ、正義のために戦った。しかし、結果は、私の敗北であった。
伊吹山での捕縛は、私の人生の終わりを意味していた。しかし、私の心は、決して砕けなかった。私は、最後まで豊臣の忠臣であり続け、徳川家康殿の天下を、決して認めないことを誓った。私の魂は、たとえこの肉体が滅びようとも、豊臣のために戦い続けるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます