第21話 家康との対面
伊吹山中での捕縛から数日、私は憔悴しきった体を引きずられながら、京へと護送されていた。縄で縛られた両腕、泥にまみれた衣、そして疲労困憊の顔。敗軍の将として、これ以上ないほど惨めな姿であった。沿道からは、私を罵る野次や、石を投げつける者もいた。彼らの憎悪の眼差しは、私の心を深く抉った。しかし、私は、その全てを甘んじて受け入れた。
京に入ると、私は徳川家康殿の前に引き立てられた。その場は、京の六条河原である。処刑場として名高いその場所は、私にとって、まさに死を意味する場所であった。家康殿は、多くの家臣たちを従え、悠然と座っていた。その表情は、勝利者としての自信に満ち溢れ、私を冷徹な眼差しで見下ろしていた。
私は、家康殿の前にひざまずかされた。顔を上げることを許されなかったが、彼の威圧的な気配は、私に、その場の重々しい空気を肌で感じさせた。
「石田治部少輔、面を上げよ。」
家康殿の低い声が、私の耳に響いた。私は、ゆっくりと顔を上げた。そこにいたのは、太閤豊臣秀吉公の生前、常に恭順の姿勢を保ち、慎重であったあの家康殿ではなかった。彼の瞳には、すでに天下を掌中に収めた者の、冷酷な光が宿っていた。
「治部少輔。貴様は、なぜこの天下を乱したか。太閤殿下の御遺言に背き、幼き秀頼公を蔑ろにし、天下を己の私利私欲のために動かそうとした。その罪、いかばかりか、わかっておるか。」
家康殿の言葉は、私への糾弾であった。しかし、私の心には、一点の曇りもなかった。
「家康殿こそ、太閤殿下の御遺言に背き、天下を私物化せんとしておりまする!貴殿こそ、天下を乱す元凶にござる!」
私は、精一杯の声で言い返した。その言葉は、私の全てを賭けた豊臣家への忠誠と、家康殿への激しい憤りを込めたものであった。私の声は、もはや恐怖に震えることはなかった。死を覚悟した今、私は、ただ己の信じる道を貫き通すのみであった。
家康殿の顔に、一瞬、嘲笑のような表情が浮かんだ。彼は、私の言葉を、まるで子供の戯言のように聞き流しているかのようだった。
「治部少輔よ。今さらそのような言い訳、聞き入れる者などおるまい。天下は、すでに定まった。貴様の敗北は、天命であったのだ。」
彼の言葉は、私の心を深く抉った。天命。私は、確かにこの戦に敗れた。しかし、それは、私の信念が間違っていたということではない。私は、正義のために戦ったのだ。
その時、家康殿の家臣の一人が、私に向かって声を荒げた。「これなるは、徳川の天下!逆賊治部少輔ごときが、何を申すか!」
私は、その家臣を一瞥した。彼らは、勝利に酔いしれ、敗者である私を徹底的に貶めようとしている。
家康殿は、私をじっと見つめた。「治部少輔よ。貴様は、かつて太閤殿下に最も信頼され、その才を認められた男であった。しかし、貴様は、あまりにも狭量であった。それが、貴様を滅ぼしたのだ。」
狭量。彼は、私をそう評した。彼の言葉は、私が福島正則や加藤清正といった武断派の者たちと、終始対立していたことを指しているのだろう。彼らは、私のことを「算盤奉行」と嘲り、私は彼らを「浅はかな武辺者」と見下していた。その対立が、西軍の結束を阻み、敗北へと繋がったことも事実である。
「確かに、私は狭量であったかもしれません。しかし、私が天下泰平を願い、太閤殿下の御遺志を継ごうとしたことに、一点の偽りもございませぬ!」
私の言葉に、家康殿はわずかに目を細めた。そして、その視線は、私の背後、処刑場へと向けられた。
「治部少輔よ。貴様には、もはや言葉はいらぬ。貴様がこの天下に与えた混乱と、貴様の罪は、その命をもって償うがよい。」
家康殿の言葉は、私の死刑宣告であった。私の心は、静かに死を受け入れた。もはや、迷いはなかった。私は、最期まで、己の信念を貫き通すのみだ。
その時、家康殿の家臣の一人が、私に水を差し出した。「治部少輔殿、喉が渇かれましょう。水をどうぞ。」
私は、その水を受け取ろうとした。しかし、その手は震え、水差しを落としてしまった。その様子を見て、家臣はさらに私に水を差し出した。
「三成殿、水を飲まれませ。さぞかし喉が渇いておられましょう。」
その家臣は、私にわずかな情けをかけてくれたのだ。私は、その水を一口飲んだ。しかし、私の心は、すでに死へと向かっていた。
家康殿は、私の様子を静かに見ていた。彼の表情は、感情を読み取ることができないほどに無表情であった。
「治部少輔よ。貴様は、愚かな男であったな。天下を動かすには、力だけでなく、人の心をも動かす術が必要なのだ。貴様には、それが足りなかった。」
家康殿の言葉は、私への最後の、そして最大の皮肉であった。私は、彼の言葉に反論する術を持たなかった。私は、確かに人心掌握の術に長けていたとは言えない。それが、私の敗因の一つであったことも、認めざるを得なかった。
しかし、私は、最後まで豊臣の忠臣であり続けることを誓った。私は、決して家康殿の天下を認めない。私の魂は、たとえこの肉体が滅びようとも、豊臣のために戦い続けるだろう。
私は、再び顔を上げ、家康殿を真っ直ぐに見つめた。そして、私の心中には、決して消えることのない、豊臣への忠義が燃え上がっていた。私の死は、決して無駄ではない。私の死は、豊臣の旗が、いつか再び天下にはためくための、礎となるであろう。
六条河原の空は、私の死を待っているかのようだった。私の人生は、この関ヶ原の敗戦によって、終わりを告げようとしている。しかし、私の信念は、決して揺るがなかった。
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