第8話 伏見城攻防
徳川家康殿が会津征伐のため東へ向かった隙を突き、我々西軍はついに挙兵した。その最初の標的は、伏見城であった。この城は、太閤豊臣秀吉公が隠居後の居城とした、豊臣家にとって極めて重要な意味を持つ場所だ。しかし、今は家康殿の忠臣である鳥居元忠殿が守り固めていた。
伏見城攻めは、西軍の勢いを天下に示すための、いわば狼煙となるべき戦いだった。我々は、毛利輝元殿を総大将に祭り上げ、宇喜多秀家殿を攻め大将として伏見城へ向かわせた。私は、佐和山城から全体指揮を執りながら、絶えず戦況の報告を受け、指示を送っていた。
慶長五年八月十九日、宇喜多秀家隊が伏見城を包囲し、攻撃を開始した。城は堅固に築かれ、鳥居元忠殿の守備もまた、その忠義に裏打ちされた堅牢さであった。元忠殿は、家康殿のために、この城を死守する覚悟であることは明白だった。
私は、日々送られてくる戦況報告に、焦燥感を覚えずにはいられなかった。連日連夜の攻撃にもかかわらず、伏見城はなかなか落ちない。東軍の兵士たちは、士気高く、果敢に反撃していた。彼らは、たとえ寡兵であっても、主君への忠誠心によって、驚くべき粘り強さを見せていた。
「これでは、家康殿に十分な時間を与えてしまう…」
私は、地図の上に広がる戦況図を睨みながら、何度も呟いた。家康殿が会津から引き返し、畿内へ戻ってくるまでに、我々には限られた時間しかない。伏見城の攻防に時間を費やせば費やすほど、関ヶ原での決戦が不利になることは明白だった。
私は、宇喜多秀家殿に、攻勢を強めるよう指示を重ねて送った。しかし、城兵の粘り強さは想像以上だった。元忠殿は、自ら最前線に立ち、兵士たちを鼓舞しているという。彼の武士としての覚悟と、家康殿への忠義は、見事としか言いようがない。敵ながらあっぱれ、と感じるほどであった。
「このままでは埒が明かぬ。何か、決定的な策を打たねば。」
私は、佐和山城の評定の場で、家臣たちと共に方策を練った。城攻めは、単なる兵力の投入だけでは解決できない。兵糧攻めも考えたが、元忠殿が十分に備蓄している可能性があり、それでは時間がかかりすぎる。
私は、伝聞ながらも、城内の状況を探らせた。そして、ある一つの情報にたどり着いた。城内には、元々、太閤秀吉公の家臣であった者が、多数残されているというのだ。彼らは、伏見城が太閤の居城であったことから、今もその地を守っている。私は、彼らの中に、豊臣家への忠義を忘れていない者がいるのではないかと、かすかな希望を抱いた。
私は、密かに城内の旧豊臣家臣に連絡を取り、彼らに内応を促す書状を送った。「この戦は、徳川の専横を打ち砕き、幼き秀頼様と豊臣家を守るための正義の戦である」と説き、彼らに城門を開くよう求めた。それは、確かに卑怯な手段かもしれない。しかし、時間は待ってくれない。
私の策が功を奏したのか、あるいは城内の兵士たちの士気が限界に達したのか、数日後、ついに伏見城の東丸が陥落したという報が届いた。城兵の一部が裏切り、城内に道を開いたのだという。
東丸の陥落は、戦況を大きく動かした。西軍は、一気に城内へ雪崩れ込み、激しい市街戦が展開された。鳥居元忠殿は、最後まで奮戦し、自らの命を賭して家康殿への忠義を貫いた。彼の壮絶な最期は、私に、武士としての本懐とは何かを改めて考えさせるものであった。
伏見城は、激戦の末、ついに落ちた。八月二十三日のことである。城は焼け落ち、その姿は見る影もなかった。しかし、この勝利は、西軍にとって大きな意味を持つものであった。天下に、我々が本気で家康殿に対抗する意思があることを示し、西軍の士気を高めた。
だが、この勝利に心から喜ぶことはできなかった。伏見城攻防に費やした時間は、あまりにも長すぎた。我々が伏見城に手間取っている間に、家康殿は会津征伐を中断し、すでに引き返し始めていたのだ。
伏見城落城の報が家康殿に届くのは、時間の問題であろう。彼は、この報を聞けば、さらにその進軍速度を速めるに違いない。私は、地図の上で、家康殿が京へ向かうであろう経路に視線を落とした。そして、その先に広がる広大な平野に、やがて来るであろう天下分け目の決戦の場を予感した。
「関ヶ原…」
私は、無意識のうちにその地名を呟いた。地理に詳しい者ならば誰もが知る、東西を結ぶ要衝。もし家康殿がそこに布陣すれば、その地こそが、我々が雌雄を決する場所となるだろう。
伏見城攻防の勝利は、確かに重要であった。しかし、その代償として、家康殿に多くの時間を与えてしまったことも事実だ。私は、もはや一刻の猶予もないことを痛感した。兵力を結集し、家康殿を迎え撃つ準備を急がねばならない。
私の心には、伏見城で命を落とした兵士たちの顔が浮かんだ。彼らの死を無駄にしてはならない。私は、彼らの犠牲を胸に、来るべき決戦に向けて、新たな覚悟を固めた。豊臣の天下を守るため、私は、この戦に全てを賭ける。
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