第9話 西軍の陣容

伏見城の攻防は、私にとって、勝利と同時に焦燥をもたらした。城は落ちたものの、その間に徳川家康殿はすでに会津からの帰途につき、その進軍速度は想像をはるかに上回っていた。もはや、悠長に構えている暇はない。私は、急ぎ毛利輝元殿を総大将とする西軍の陣容を固め、家康殿を迎え撃つべく、大坂城へと向かった。


大坂城は、太閤豊臣秀吉公が天下統一の象徴として築き上げた、壮麗な城郭である。しかし、私が到着した時の城内は、期待とは裏腹に、どこか落ち着かない空気に包まれていた。城中には、西軍に加わることを表明した諸大名たちが集結し始めていたが、彼らの間には、一枚岩とは言えない、微妙な空気が漂っていた。


総大将として擁立した毛利輝元殿は、大坂城の本丸に鎮座していた。私は、彼に謁見し、今後の作戦について意見を交わした。輝元殿は、西国一の大大名であり、その名望は申し分ない。しかし、彼の性格は慎重であり、自ら戦場に出ることを好まなかった。彼は、あくまでも総大将として大坂城に留まり、戦場の指揮は私に一任するという意向を示した。


私は、輝元殿のこの決断に、一抹の不安を覚えずにはいられなかった。総大将が戦場に赴かなければ、西軍全体の士気に影響するのではないか。しかし、彼を無理に動かせば、毛利家の協力を失いかねない。私は、歯痒さを感じながらも、その意向を受け入れるしかなかった。


「輝元様、お引き受けいただき、恐悦至極にございます。必ずや、家康を打ち破り、秀頼様の御安泰をお約束いたしましょう。」


私は、形式的に頭を下げたが、心の中では、西軍の実質的な指揮を私が執らねばならぬという、重い責任感を再認識していた。


西軍には、様々な大名が集結していた。豊臣家への恩義を重んじる者、私への個人的な信頼を寄せる者、あるいは家康殿への不満を抱く者など、その動機は様々であった。


宇喜多秀家殿は、私の最も信頼する攻め大将の一人であった。彼は若くして勇猛果敢であり、伏見城攻めでもその力を存分に発揮してくれた。彼は、太閤の猶子であり、豊臣家への忠誠心も厚い。しかし、彼の家臣団には、内紛の火種を抱えているという噂も耳にしていた。それが戦場で露呈しないか、一抹の不安がよぎった。


小西行長殿は、商人出身でありながら、太閤に重用され、大名にまで出世した異色の存在だ。彼は、築城や海上輸送の才に長けており、実務能力に優れていた。私とは、朝鮮出兵以来、苦難を共にしてきた同志である。しかし、彼は熱心なキリシタンであり、彼の家臣の中には、異教徒への反感を持つ者もいた。それもまた、一揆を誘発する可能性を孕んでいた。


そして、何よりも頼りになったのは、大谷吉継殿であった。彼は、病に蝕まれながらも、私の挙兵に真っ先に賛同し、自らも兵を率いて参陣してくれた。彼の采配は冷静沈着であり、状況判断力に優れていた。彼は、私が唯一、心底から信頼し、頼りにできる友であった。吉継殿の存在は、私の精神的な支えであり、西軍の重要な柱であった。


その他にも、島津義弘殿、長宗我部盛親殿、小早川秀秋殿など、西国や四国の大名たちが続々と集結していた。


島津義弘殿は、九州の雄であり、その武勇は天下に鳴り響いていた。しかし、彼はかねてより、朝鮮出兵における私の指示に不満を抱いており、私との間には微妙な距離があった。また、島津家は、本家の義久殿が家康殿に恭順の姿勢を示しており、義弘殿の参戦は、彼個人の決断によるものが大きかった。彼の真意を測りかねる部分も少なからず存在した。


長宗我部盛親殿は、かつて太閤に四国を召し上げられた過去があり、その恨みを家康殿に転嫁しようとしている節があった。彼の参戦は、おそらく豊臣家への忠誠というよりは、自家の再興を願う気持ちが強いのだろう。


そして、最も懸念していたのは、小早川秀秋殿であった。彼は、太閤の甥でありながら、家康殿と密約を交わしているという噂が私の耳にも届いていた。彼は、豊臣家への恩義と、家康殿への義理との間で揺れ動いているように見えた。私は、彼を完全に信用しきれないでいた。彼の存在は、まるで時限爆弾のように、西軍の中に潜んでいた。


私は、西軍の陣容を固めながらも、内心では大きな不安を抱えていた。家康殿の東軍は、福島正則や加藤清正といった、私への敵意を剥き出しにする武断派の猛将たちを擁している。彼らは、太閤の恩を忘れ、家康殿の甘言に乗り、私のことを「奸臣」と罵っている。彼らとの間の溝は深く、もはや修復不可能であった。


大坂城での評定は、連日連夜続いた。私は、各方面からの情報を総合し、家康殿の動きを予測しながら、西軍の布陣と戦略を練り上げていった。しかし、各方面の大名たちの意見はなかなかまとまらない。私への不満を持つ者、自分の領地を守りたい者、手柄を立てたい者。様々な思惑が交錯し、意見が対立することも少なくなかった。


「このままでは、家康殿に各個撃破されてしまう…」


私は、西軍の結束力の欠如に、焦燥感を募らせていた。太閤が存命ならば、これほどまでに意見が対立することはなかったであろう。太閤のカリスマがあればこそ、天下の大名たちは一枚岩であった。しかし、今はその求心力が失われている。


私は、自らがその求心力とならねばならないと、改めて決意した。そして、この大坂城で、各方面の大名たちをまとめ上げ、家康殿を迎え撃つための準備を整えることに、全力を傾けた。


しかし、輝元殿は、結局最後まで大坂城に留まり、戦場には出なかった。この事実は、西軍の指揮系統に微妙な影響を与えた。実質的な総大将である私が、全軍を掌握しきれているか、という点で、常に一抹の不安が付きまとった。


それでも、私は前を向くしかなかった。家康殿の進軍は、刻一刻と迫っている。私は、このバラバラな西軍をまとめ上げ、正義の旗の下、家康殿を打ち破ることを誓った。大坂城の天守から見下ろす夜景は、私の決意を、より一層強固なものにしていった。

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