第6話 挙兵の決意
慶長五年、東国へ向かう徳川家康殿の大軍の報が、日ごとに詳しく佐和山城に届いていた。家康殿は、自らが率いる東軍を率い、上杉景勝殿討伐のため、着々と東海道を進んでいるという。この報せは、私にとって、まさに絶好の機が熟したことを告げていた。
佐和山城の一室で、私は地図を広げ、家康殿の進軍経路と、残された諸大名の配置を睨みつけていた。家康殿が畿内を離れ、主力軍を東国へ差し向けた今こそ、豊臣家を守るための兵を挙げるべき時だと、私の直感が告げていた。この機を逃せば、二度と挽回の機会は訪れないだろう。
私にとって、この挙兵は、単なる家康殿への反抗ではなかった。それは、太閤豊臣秀吉公が築き上げた天下泰平の世を守り、幼き秀頼様の安泰を図るための、避けられぬ道であった。家康殿の専横は、もはや看過できるレベルではなかった。彼は、太閤の遺言を嘲笑い、豊臣恩顧の大名たちを分断し、私を排除しようと画策している。このままでは、豊臣家の威光は失墜し、天下は徳川氏の意のままになるだろう。そんな未来を、私は決して許すことはできなかった。
私は、これまで水面下で連携を深めてきた同志たちに、最終的な挙兵の意思を伝えた。京都の大坂城に詰めていた毛利輝元殿を総大将とし、宇喜多秀家殿、小西行長殿、そして病に臥しながらも私を支え続けてくれた大谷吉継殿ら、豊臣恩顧の大名たちに協力を求めた。
吉継殿からの返書は、私の心を強く揺さぶった。「三成殿の志、まことに天下のため。この身、病に臥せども、必ずや三成殿と共に戦い抜かん。」彼の言葉は、私の孤独な戦いに、確かな光を与えてくれた。彼こそが、私の真の理解者であり、唯一無二の友であった。
しかし、全ての者が私の熱意に応えたわけではなかった。毛利輝元殿は、慎重な性格ゆえ、挙兵には消極的な姿勢を示した。彼の家臣の中には、家康殿の圧倒的な武力と、豊臣家への忠義との間で板挟みになり、逡巡する者も少なくなかった。私は、輝元殿に対して、家康殿が天下を掌握すれば、毛利家もまたその支配下に置かれ、いずれは滅ぼされるであろうことを力説した。そして、今こそ太閤の恩に報いるべき時であると、切々と訴えかけた。
最終的に、輝元殿は私の説得に応じ、大坂城に入り、総大将として挙兵に同意してくれた。彼の参加は、西軍の士気を大いに高め、多くの大名が西軍に加わるきっかけとなった。毛利家の動員力は絶大であり、家康殿に対抗しうる一大勢力となりうる。
私は、挙兵の大義名分を確立するため、「家康討伐」の檄文を各地に送った。檄文には、家康殿が太閤の遺訓に背き、豊臣家を蔑ろにし、天下の秩序を乱していることを詳細に記した。そして、この挙兵が、決して私利私欲のためではなく、幼き秀頼様と、天下泰平の世を守るための、正義の戦であることを強調した。
しかし、この檄文が、必ずしも全ての者の心に響くわけではないことも、私は承知していた。特に、加藤清正や福島正則といった武断派の者たちは、私への個人的な憎悪が深く、家康殿の調略に完全に染まっていた。彼らは、私が「奸臣」であり、天下を乱す張本人であると信じ込んでいた。彼らとの間の溝は、もはや埋めようがなかった。
挙兵の準備は、着々と進められた。私は、佐和山城の家臣たちに、兵糧や武具の調達、兵士の動員を指示した。各地の同志たちにも、それぞれの領地で兵を集め、定められた期日までに指定された場所に集結するよう、細かな指示を送った。
一方で、私は、家康殿が畿内を空けた今、その背後を突くことを考えた。その最初の標的として、私は伏見城を定めた。伏見城は、太閤が築いた居城であり、家康殿の天下への足がかりとなる重要な拠点であった。この城を落とすことで、西軍の勢いを天下に示すことができる。
家康殿は、伏見城の守備を、鳥居元忠殿に任せることを決めた。元忠殿は、家康殿の譜代の重臣であり、容易には落ちないだろう。しかし、その堅固な城を落とすことで、我らの決意と力を天下に示すことができる。
しかし、この挙兵は、私にとって、まさに背水の陣であった。もしこの戦に敗れれば、豊臣家は滅び、私もまた、天下の逆賊として、その命を落とすことになるだろう。だが、私は決して後悔しなかった。私の信念は、揺るがなかった。
佐和山城の天守から、私は遠く京の都、そして大坂の方向を眺めた。家康殿は、まだ東へ進軍している最中であろう。しかし、彼の耳にも、私が兵を挙げたという報せは、間もなく届くはずだ。
私は、静かに息を吸い込んだ。胸いっぱいに、故郷の琵琶湖から吹く風が満たされる。その風は、どこか冷たく、そして新たな時代の始まりを告げているかのようであった。
ついに、私は家康打倒の狼煙を上げた。この戦は、私一人の戦ではない。太閤の遺志を継ぐ全ての者たち、そして天下泰平を願う民のための戦である。私は、この信念を胸に、関ヶ原の戦場へと向かう覚悟を決めた。私の人生の全てを賭けた、最後の戦いが、今、幕を開けようとしていた。
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