Alice in Under Ground

七味と書いてななみとよむ

Alice in Under Ground

 俺は名無しとして産まれた。分かるのは、五歳までは確かに両親が居たこと。

 それでも名前を貰えなかったこと。

 両親はいつの間にか蒸発していたこと。


 そして、この国が――大嫌いだということだった。


 Alice in Under Ground.


「……腹、減ったなぁ」

 ぎゅるぎゅるぎゅる。腹の虫が音を鳴らす。

 

 ここはエルア国。そこそこ栄えていて、何一つ不自由しない国。

 ――と、謳われている国だった。

 冗談じゃない。金が無けりゃ買えるものだって買えないんだから。何が“何一つ不自由しない国”だ。


「お名前は?」

 そう質問してくるやつも大嫌いだ。


「ご両親の名前は?」 

 これも大嫌い。知らないから。


「どうして窃盗したの?」


「おっさんはさ、毎日ご飯食ってるんだろ?」


「え?」


 俺の質問にぱちくりと瞬きをするおっさん。


「俺らはさ、飯にありつけないんだよ。飯が食べれりゃそんなことしねえよ、分かる?」


「ええと」


「おっさんが働いた給料で俺らに何か食わせてくれるなら話は別だけど?」


 そう、これが正論なんだ。

 食わなきゃ当然生きれない。その当たり前のことを、おっさんはすっかり忘れきっている。

 俺達は食いつなぐのも必死なことも見て見ぬふり――。


「クソ食らえだ」


 俺はきらびやかな街が大嫌いで、スラム街がお似合いだということをこの当時にして知っていたのだ。


 いつものように飯を頂く――窃盗だが――をしていると、ある男にぶつかった。


「いってぇな! 何すんだよ!」


「ああ、ごめんね、……ああ! キミは! 私の探していた子じゃないか!」


「え?」


 探していた? 俺を? 何故?

 そう考え込んでいる中、ふわりと食べ物の匂いがした。

 なんだか、とても甘そうで。


 ぐぎゅるるる。


 腹の音が鳴った。その音を、楽しそうに聞く男。


「なにがおかしいんだよ!」


「いや、ふふ。作ったかいがあったと思ってね」


 男はバスケットの中から大量のパンを見せた。まだほかほかと温かそうな、パンを。


「おまえ……!」


 どうするつもりだ。そう言う前に、手がそのパンに伸びて、思わず夢中で頬張った。

 男はそれを止めるでもなく、優しい瞳で俺を見て、いい子だ、なんて言ってくる。

 何なんだ、何なんだ、何なんだよ。

 どうして、こんなに固いパンなのに、涙が出るほど美味いんだよ。

 何なんだよ。


「私はね、無責任だけどこうして食事を与えられたらと思ってね、キミに」


「俺に?」


「そうさ、キミが衛兵に言ってたことは正しかった。だからこそあの時も衛兵に解放されたんだろう。そして……食事にはありつけず、また繰り返すだろうということも分かってた」


「……」


 そうだ、その通りだ。孤児院なりに送ることもしなかった。あの衛兵は。


「だから、“何か食べさせてあげる”ことにしたんだ」


「……へんなの」


「はは、私自身もそう思うよ」


 それはそれは楽しげに話す男に、一つ呆れの溜息をついてやった。


 男から、要求が一つだけあった。

 それは、「もう窃盗をしないこと」……そんなもの。

 俺は生きれればそれでよかった。だから、要求を飲んだ。


 少しして、「ねえ」と男に声をかけられる。


「ん?」


 この固いパン、どうにかして柔らかくできないかな、なんて思ってる最中に声をかけられたもんだから気の抜けた声が出た。


「キミの名前は?」


 …………。


「ないなら、付けてもいいかい」


「げほっ、げほっ……はぁ?」


 パンが変な気管支に入ったようで咽る。その後に、そう、呆れも何もかもを含んだ、「はぁ?」が出た。

 名前がないから不自由をしているとでも思ったのだろうか。


「……勝手にすれば」


 パンだけでなく、両親のことを聞かない辺りに気に入っていた。だから、許可した。


「本当に?」


 嬉しそうに笑みを浮かべて、そうだなぁ……と考え込む。


「……アリス。キミはこれから、アリスだ」


 ……アリス。


「女みてえな名前」


 それでも拒否はしなかった。……嫌な気分じゃなかったから。


 けど、パンと名前を貰ってから数日後、あの男は消えてしまっていたのだ。


 なんで、どうして、よりも。ああ、やっぱりな。そんな感情。

 ギゼンっていうんだろ? 反吐が出る。

 けど。どうして、俺は。

 泣いているんだろう?


 それから、俺はまた窃盗の日々に戻った。最近は体格差を活かして奪おうとしてくる同じようなガキが襲ってくるようになったから、冒険者ギルド前に落ちていた木刀を振り回すようになった。

 飯を取られるくらいなら。

 腹部を、脚部を、喉元を。

 狙いを定めて、的確に当てられるように。修行もしたんだ。


 それが大きく変わったのは、七歳の時――。

 スラム街に、王宮の人が来た。そして、『子供』の顔を一人一人、見て回った。

 嫌な胸のざわめきしかせず、避けていた。にも関わらず、対面してしまった。


「……こいつだ! こいつを連れて行け!」


「はぁ!? なんだよアンタ!」


 ジタバタと抵抗をするも、大人数には敵わずに連れ去られた。

 連れ去られた先は、王宮。の、地下牢。


「キミにはこれから、勇者のお付き人になってもらうからね」


 そう、豪華な服を着た人は言った。

 今までも地獄だったのに――。


 ――本当の地獄はここからだ。

 そう言われた気がした。



 それから、見た目から何から全てが変わった。

 レッスン中は「私」と言わなければいけないし、礼儀作法も動作を一つでも間違えれば鞭が飛んできた。

 テーブルマナーももちろん、一挙一動、不審な点も無いように。不快にさせないように。

 そして、常に言われる言葉。


「お前の代わりなんていくらでも居るんだからな、面がいいだけで選ばれたんだ」


 こんなことなら一生スラム街で住んでいればよかった。あの男はどこへ行ったのだろうか。今頃パンを売っているのだろうか。

 そんなことを考えれば、また鞭が飛んでくる。

「しっかりと意識なさい!」

 いつになったらこの地獄から抜け出せるのだろう。

 いくら金持ちのような仕草をしたとて、今着ているボロの服から着替えさせる気はさらさらないようだった。

 この外道め。


 与えられる食事は謎の草だった。名を聞くと、マンドラゴラと言うらしい。そこらに生えている草だと教わった。

 他の植物も覚えましょうと言われ、またやることは増えていく。


 どうしてこんなことになったんだろうか。俺は、俺は、いや、私は何を。

 もうこの現状から脱したいんだ。

 それでも繋がれた首輪が、不必要な時には付けられている手枷が、足枷が。

 邪魔をしてくるんだ。


 逃亡を試みた。

 結論としては失敗に終わったどころか、食事が出なくなった。

 腹がうるさい。

 俺はどうして生きているのだろうか。

 勇者はいつになったら来るのだろうか。

 ……来たとしても、期待しないでおこう。


 久々に剣を握った。護身術を持っていない場合に備えての剣術のレッスン。こんなの、お茶の子さいさいだった。

 すると、「アリスくんは剣の才能があるね」と、初めて褒められた。

 悪いばかりじゃないのかもしれない。


 私は全てのレッスンを終えた。あとは主人――勇者を待つだけ。

 少しばかりの金銭を頂いて、街に出るように指示される。

 物価の把握、施設の位置、市場の内情……。

 それらを知るために。


 いつかの男性が居た、市場の……隅の、隅に行ってみる。

 喧騒から遠く離れた場所で、老人が固いパンを売っていた。

「キミは……」

「……一つ、ください」

 懐かしい香りに、思わず一つ買って。その場で頬張る。


 ――ああ、この味だ。この固さだ。

 食べても喉につっかえて、水も無ければ食べることすら困難な、パン。

 こんな不器用なパンを創れる男なんてのは、あの男性しか居ない。


「……アリス、私はアリスです」


 柔らかく笑みを浮かべれば、老人は目を見開いた。


「そうか、……そうか、アリスか。大きくなったのう」


 懐かしむように目を細めて笑う、老人。


 そんな老人に、今度は私が問う番だ。


「……あなたの名前は? もしもないなら付けさせて頂いても」


 その言葉に笑って、頷く老人に、私は。


「では、あなたのこれからの名前は――」


 名を付けたのであった。



こんなの。

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