また会えたら、笑って

@kurokuu22

第1話

彼はよく笑う人だった。

けれどその笑顔は、まるで誰にも届かない場所に向けられているようで、

いつもほんの少し、遠かった。


新しいスマートウォッチを買ってきたときは、子どものように目を輝かせた。

その機械がどれほど高性能かを早口で語る横顔を、私はよく見ていた。

でもその目が、ときどきふっと曇る瞬間があって、

私の言葉なんて、届かない場所にいるような気がした。


「ねえ、なに考えてるの?」と聞くと、

彼は唇をかみながら、小さく笑って、

「なんでもないよ」って、必ず言った。


なんでもなくなんてなかった。

彼の背中には、静かに降る雨のような寂しさが、ずっとまとわりついていた。

遠くを見ているとき、そこに私はいないんだと、

わかってしまう自分がいた。


本当は、手を伸ばして

「苦しまないで」って言いたかった。

「君はひとりじゃないよ」って、何度も思った。

けれど、彼の中には踏み込めない壁があって、

私はその外側から、ただそっと見守ることしかできなかった。


時が経っても、

彼の声が耳の奥に残っている。

あの笑顔も、あの曇った目も。

ふいに思い出すたびに、胸がぎゅっとなる。

何もできなかった自分が悔しくて、

でも、やっぱり――


「幸せになってほしい」って、心から思う。


もし、どこかでまた会える日が来たなら。

そのときは、もう唇をかむこともなく、

ただ優しく笑っていてほしい。


そして私も、何も聞かずに、

ただ笑って「久しぶり」って言えるように、

今を歩いていきたい。


――また会えたら、笑って。

きっと、それだけでいいから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

また会えたら、笑って @kurokuu22

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ