躑躅《ツツジ》の枝折

II-IIG【ツツジ】

ゴミ箱の捨て方

 そういえば───

 ふと、昔を思い出していた。

 部屋の一角を占有する少し大きなゴミ箱が不要になった時のこと。

 塵芥じんかいを溜め込む為に在った物が、その瞬間に塵芥と変わらぬ存在と化したわけだ。

 所謂いわゆる木乃伊みいら取りが何とやら。皮肉な話ではあるが、そんな与太話が本題ではない。

 問題は、捨て方である。

 既に芥だと認識した分、ある種の嫌悪感が処分欲に拍車を掛けていた訳だが、一般的なゴミ袋に収まらないので普通に捨てることは適わない。

 かと言って、粗大なゴミとして捨てる為には費用が掛かるのだという。

 高がゴミを捨てる為だけに金を払う気にも、将又他の捨て方を調べる気にもならず、暫く居住空間に幅を取りながら鎮座し続けていた。

 ───、何故、あのゴミ箱を直ぐ捨てなかったのだろうか。


 *


 シガレットを箱から一本取り出して、内部のカプセルを慣れた所作で嚙み潰す。

 仄かに風味が鼻腔はなを刺すのを感じながら、ライターのレバーを駄馬に鞭を打つように何度も押し込み、弱弱しい火を灯させる。

 油が切れかかっていたのか、或いは風が強く吹いていた所為なのか、火種を作ると、役目を終えた様にライターの火は消えてしまった。

 炎の揺らぎは落ち着きを与えてくれると以前受け売りされた覚えがあるが、消えてしまう視覚効果なんかよりも、矢張りニコチンとドパミンの方が明らか心に寄り添ってくれている。

 ───違うか。頭にもやをかけ、煙に巻かれているだけであろうさ。

 所詮、此奴こいつらは悪友と同じ。釣られてしまえば最後、只づるづると引き摺られてしまうものだ。いや。今更嘆こうとも無駄だがな───。

 世迷言だけを只管ひらすらに生産し続ける言語中枢に並行して、先の話題と連鎖する様に過海馬は冷静に稼働していた。

 そういえば───

 ふと、頭に引っ掛かったことと言えば、宴席の場での出来事である。

 年の瀬で一息付きたい時期だというのに、対面に癖の強い上長が座っており、遣る瀬無く時が過ぎるのを待っていた事を良く覚えている。

 その隣に四個下の後輩がいたことで、其方にばかり毒牙を向けていた為、此方こちらとしては最小限の被害で済んだ事が不幸中の幸いではあった。

 一方で彼方あちらは、会が締まる迄の二時間、他方から憐れみの目を向けられながら辟易としていたのだが、彼の最悪は終わったわけではなく、寧ろ終盤にこそ最悪が控えていた。

 理由を知れば気にも留まらぬ些末な一幕だった。

 後輩は歯に挟かる異物を爪楊枝で取り出し、手元の御絞りで丁寧に拭き取ったのだ。

 後に理由をこう語っていた。一連の動作が歯石を彷彿とさせるのだと。大したこともない。先程まで食べていた物がゴミにしか見えなくなったわけだ。

 然し、その行動を酒の回り切った上長が、何故、かすをそのまま食わないのかと酔漢であることを盾にして透かさず噛み付いた。

 それだけに留まらず、上長は彼の仕事ぶりや人格にまで話を発展させ、結び付け始めたのを見るに、理由など何でも良かったのやもしれない。

 余計な事しか起さず、年長者という立場から延々と講釈を垂れる姿に嫌悪感を抱くその瞬間、後輩と目が合う。


 闇を見た。深淵にも似た黒色こくしょくが引き摺り込むように覗き込んでいた。

 およそ先程とは別人の様相を呈するまなこが酔いを覚ます。

 その底知れぬ寒気が更に白面しらふへと誘う。先達としての場に於ける最善の手段を促しているようにも思えた。


「──────」


 然し、醒め始めた眩惑を取り戻すように猪口に残る酒を流し入れ、目を背けるように喫煙所へと向かった。

 ───、何故、彼奴あいつに声を掛けなかったのだろうか。

 *


 ふと箱の中身を見れば、最後の一本となっていた。依存性が高いからこそ、その空虚は干上がったオアシスに残る一雫の水滴にも見えてしまう。

 適当な表現だとは思う。吸い始めた頃より銘柄や加熱方法を変えているというのに、本質は変えず常に渇きを産み出してくるのだから、砂漠を想像させるのも無理はない。

 普段ならば胃が焼けるような焦燥感をどうにかすべく、血眼になって辺りを徘徊し、ジャケット裏地の衣嚢いのうやブリーフケースの奥底など、ある筈のない当てに縋るように駆けずり回る様など正に漂流者のそれであろう。

 そんな僵尸ぞんびが如く彷徨う姿を、五年付き合っていた彼女も笑っていたものだ。


 そういえば───

 の恋人に別れを告げられた時もそうだ。

 一方的に手を離された途端、今まで傍にいた彼女は他人となった。

 その瞬間から触れることや寄り添うこと、目を合わせることでさえ憚られる関係に成り下がったわけだ。

 二人の間に堆積した思い出や愛情は、在りし日々には堅牢で、其のお陰で何度も困難を乗り越えられたというのに、一方が力を緩めただけで簡単に瓦解したというのだから、何とも不思議な話である。

 実は互いを張ぼてで取り繕った関係性だったのだろう。そのように結論付けてしまった途端、嫌悪感が込み上がってしまった。

 だが、我々の関係が仮にそうだったとするならば、

 何故去り際に泣いていたのだろうか。

 何故口づけを交わしてきたのだろうか。

 ───、何故、手を伸ばさなかったのだろうか。


 *


 最後の一本を吸い終わった煙草の箱を、グシャと握り潰し紙屑へと変質させる。

 手を拡げ、ゴミとなった其れを見下げながら、視線の遥か先の地上にピントを合わせる。

 そこには雑居ビル群が無機質に肩を寄せ合い、その間を人々が闊歩している。

 昨日まで大手を振って体感していたのだろう日常を彼らは歩んでいる。そんな姿を羨ましく思う反面、もう苦しみを味わう必要もないと安堵している側面も持つ。となれば、開き直って桟敷席さじきせき(さじきせき)として眺め悦に浸る───気にもならない程に達観している面も持つ。

 内面に汎ゆる情緒を兼ね備える中、唯一この世界に留まるだけの後悔(りゆう)を持ち合わせていなかった。持ち合わせた所で何かが変わったのだろうか、とIFを考え巡らせることもなく、威風と屋上のパラペットから身を投げる。


 体が竦む事はない。空気を感じる。汗が流れることもない。風を感じる。躊躇うこともない。重力を感じる。

 中空から自重に従って落ちる体は、地上に向けて吸い込まれるように加速していく。

 ニコチンとドパミンによって見開かれた瞳は、まるで早送りのフィルム映画を観るように投射的に景色を映しとる。

 この終盤、映画だとするならばオチやどんでん返し、エピローグによって人々に余韻を与えるものだが、この結末には何も存在しない。流れた筈の映像に皆乍みなながら蓋然性を孕まない出来損ないのB級映画。映写機が酷使される金切声が響く。

 先程までの安堵にも似た感情等は、死が現実味を帯び始めた途端、全て恐怖へと昇華し、そして支配される。キャストやスタッフ、配給など在りもしない無を包括するエンドロールに終わりが訪れる。

 カラカラとフィルムが空回る音と共に、地面は凶器へと変貌し、パンと破裂音にも似た音を響かせて頭蓋を砕く。幕引き。


 視界は夜に浸食される空の様に紅く───、そして、黒く染まる。

 だが、この夜に星や月は現れない。鬱々と闇が拡がり、周囲の音を掻き消していく。


 あの時、直ぐにゴミ箱を捨ててさえいれば良かったのだ。

 心に抱いていた嫌悪感は、

 ゴミ箱に対してではなく、

 上席に対してでもないし、

 してや彼女に対してでもない。

 全て、自分に対してだったのか。


 群衆が様々な叫び声を木霊させる中、その内の一人と目が合う。

 純粋な眼、穢れなき虹彩の中に光を見た。

「  、           」

 まだかすかに生きている私は、あの光に晒されて、果たしてどのように見えたのだろうか。厭。今更知る由もないのだがな。


 そういえば───

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