第十八章:太陽の欠片
夜の神社の境内は、墓場のような静けさに満ちていた。
若き隊員、タケシは、じり、と後ずさった。彼の背後には、古い社の壁。もう、逃げ場はない。彼の右手には、リョウたちが命を賭して託した、人類の最後の希望が、ずしりと重い。
そして、目の前には、完璧な絶望が、エレナ・アマリという女性の姿で、静かに立っていた。
「賢明な判断を、期待しているわ」
エレナの声は、どこまでも穏やかだった。それは、道を間違えた子供を諭す、教師のような口調だ。
「あなたの仲間たちは、無意味な抵抗のために死んだ。あなたまで、同じ過ちを繰り返すことはない。それを渡せば、命だけは保証する。SOLON(ソロン)は、慈悲深いのよ」
タケシの脳裏に、リョウの最後の顔が、そして、司令室で見た、あの歴史家――水島海斗の、必死の形相が、フラッシュバックした。
(何のために…俺たちは、何のために戦っている?)
海斗が、世界に向けて放ったメッセージ。その最後の言葉が、雷のように、タケシの脳を貫いた。
『彼らの『影』を。真実は、光が暴く、その僅かな歪みの中にあります』
光。
ソーン博士が、作戦前に語っていた言葉が蘇る。
『彼らの身体は、高エネルギーの光に対して、アレルギー反応を示すの。単なる「苦手」じゃない。細胞レベルでの、致命的なアレルギーよ』
タケシは、闇に覆われた境内に視線を走らせた。暗い。だが、完全な闇ではない。遠くの都市の光が、雲に反射して、ぼんやりと周囲を照らしている。そして、足元には、参道を照らすための、古い石灯籠が、いくつか立っていた。その、弱い、弱い光の中で、エレナの足元には、やはり、あの不気味に揺らめく、不完全な影が伸びていた。
(これだ…これしかない!)
タケシは、震える左手で、戦闘服のベルトに装着された、最後の装備に触れた。それは、武器ではない。遭難時に、自らの位置を知らせるための、高光度レスキュー・フレア(救難信号発光筒)。その内部には、マグネシウムが、高密度で充填されている。
エレナが、最後通告をするように、ゆっくりと一歩、踏み出した。
「さあ、終わりよ」
「……そうだな。終わりだ」
タケシは、そう呟くと、エレナが反応するより早く、行動を起こした。
彼は、右手に持っていた小包を、高く、空中に放り投げた。
エレナの視線が、条件反射で、一瞬だけ、その小包に吸い寄せられる。
その、0.5秒にも満たない時間。
タケシは、左手で、レスキュー・フレアの安全装置を外し、それを、自らの足元ではなく、エレナとの中間地点の地面に、全力で叩きつけた。
次の瞬間、世界から、音が消えた。
フレアは、炸裂した。それは、爆発ではなかった。光の、暴力的な洪水。数千度の高熱で燃焼するマグネシウムが、闇を消し飛ばし、擬似的な、小さな「太陽」を、神社の境内に出現させた。
「アアアアアアアアアアアッッ!!」
エレナ・アマリが、生まれて初めて、絶叫した。
それは、もはや、人間の悲鳴ではなかった。光によって、その存在そのものを焼かれた、異形の生命体の、断末魔の叫びだった。
彼女は、両腕で顔を覆うが、遅い。その完璧な白いスーツは、強い光に当たった部分から、まるでデジタルノイズが走るように、黒く焼け焦げていく。むき出しになった皮膚は、瞬時に水ぶくれとなり、崩れていく。彼女の身体の輪郭が、激しく揺らめき、安定を失ったホログラムのように、明滅を始めた。
擬似太陽の、圧倒的な光の中で、タケシは見た。
エレナの身体そのものが、あの不完全な影のように、ぐにゃりと歪むのを。
タケシは、空中に投げ出した小包を、落下してくるところで、見事にキャッチすると、一瞬の躊躇もなく、背後の神社の塀へと駆け上った。そして、身を翻し、暗い住宅地の路地へと、その姿を消した。
数秒後、フレアの光が、燃え尽きた。
境内には、再び、静寂が戻る。
後に残されたのは、膝から崩れ落ち、ぜいぜいと、苦悶の息を吐く、エレナ・アマリの姿だけだった。彼女の顔には、もはや、女神の微笑みも、支配者の余裕もなかった。そこにあるのは、傷つけられた獣の、純粋な、そして底知れぬ「怒り」と「憎悪」だけだった。
彼女は、ゆっくりと顔を上げた。その紫水晶の瞳は、タケシが消えた闇を、決して許さないと誓うように、赤黒く、燃えていた。
論理は、覆された。
計算は、狂わされた。
女神は、地に堕ちた。
そして、戦争は、今、ただの生存競争から、個人的な復讐戦へと、その姿を変えようとしていた。
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