雄島

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

雄島

 座席シートを倒されて、自分の確保ペースが少ない。窓を見つめて、釈然としない気持ちに距離を置く。

 新幹線は長いトンネルを通過中で、外は暗闇だった。

 自分の寝不足な顔が映る。父親に似てきてしまった。

 隣席の友達は暇つぶしに質問してくる。


「優弥って旅行したことある?」


 俺は回答に詰まった。

 友達の何気ないやりとりの隙間に、平凡と離れた鬱屈が心越しに見てくる。沈黙が続けば空気が重くなるから、思い出していたようなフリをして返した。


「福井かな」

「え、福井? それ言えよ」

「なんでだよ。一々言わないし」


 友達の木林は声が高くなる。

 俺たちは福井を目指して旅行している。あわら市に転勤した友達へ会いに行く名目で、東尋坊や福井恐竜博物館に行く。

 俺と木林と海崎は、三列のシートに寄りかかっていた。


「親が行きたいって」


 なぜか言い訳みたいに口走ってしまう。ここに居ない親に対しての反抗を友達に示していた。そんな態度を木林は受け流す。


「タイミングよかったんじゃね」

「まあね」


 新幹線内のアナウンスが金沢に到着すると告げる。次に降りるため、木林は通路側の友達を起こした。肩を揺すられて不機嫌そうな海崎は、コーヒーを飲んでいる。

 俺は彼のひそめた眉に嫌な記憶が引っかかった。父親は起こされるのが嫌いで、逆ギレをしてきたことがある。福井に旅行来た時もそうだった。

 舌打ちして貧乏揺すりをする。父親の機嫌が悪いサインだ。雄島に向かう道中、先頭を走る車に対して返しようのない怒りを募らせている。対象の車は、周りの景色を眺めるような鈍行だった。その日、俺を連れて父親は福井まで足を伸ばして旅行に来ていた。東尋坊を舞台にしたドラマが世間で流行し、父親も虜になって"聖地巡礼"している。

 父親の爆弾を起爆させるのは、母親の余計な一言だった。


「どこかで休憩する?」


 心配する振りをしたがるから、ウソっぽさを見抜かれる。

 父親は怒りの捌け口を見つけたように怒鳴った。


「どこに休憩するとこがあるとか?! おまえあたまおかしいやろ!!」

「お父さん。そんな怒らんといて」

「お前がおかしいこと言うからやろうが!! あーも、何のために運転しとるんやろ。お前らみたいなバカ腐れに、休みつぶしたよ?」

「……」


 雄島の駐車場でUターンした。父親の行動はすでに確定していて、俺たちの期待なんて聞き入れるつもりがない。目当てのところについても、景色を眺めることさえ咎めてしまった。

 車は葬式のような沈黙さで、自宅まで帰ってしまう。観光地は一度も降りることがなかった。

 家に着いた父親は疲れてソファーで眠る。母親は「あんたもあんな男になるんやろうね」と恨みを晴らすように目を合わさず当てこすりした。

 せめて何か言えばよかった。母親の一言にコメントできない。俺は採用されないからと思って声を上げることができなかった。

 嫌な記憶は不意に湧き上がって、気持ちを不快にさせる。ひどい態度を取りたくなったり、ものを壊したくなるから、導火線に触れない様にしたかった。

 アナウンスが福井に到着したと告げる。

 俺は父親と同じように逆上するのだろうか。

 新幹線から降りると恐竜のイラストが描かれていた。2回目の福井駅は、過去の生き物たちを壁に残していた。エスカレーターを降りて越前そばの匂いがして腹がすく。キャリーバックを引きながら、後ろの友達に気を配ってみた。

 後ろの友達がキャリーバックをカラカラ回しながら着いてきた。長丁場の移動が口を重くして、また切り出すのに勇気がいるのはなぜだろう。

 友だちの一人は、指定席の窓側で長旅の疲労を癒やすようにいびきをかいていた。歩き出した足がぼやけた意識を呼び戻したように、発言する。


「恐竜?」

「福井って恐竜が有名なん?」


 彼らはキョロキョロと見回しながら改札を抜ける。


「いや、どうだったか……」ティラノサウルスの骨が左側から出迎えてくる。「記憶にない」

「来たことあるやろ?」

「と言っても子供のときだから、忘れてる所あるよ」


 友達と話して駅から出る。自販機にカイリューがプリントされていて、二匹が空を泳いでいる。


「おいこれなんや。ゲームフリークやってんな」

「何をだよ」


 自分のボケに突っ込んでくれたから、彼らも普段の調子を取り戻してきた。旅が俺の気持ちを高揚させる。

 レンタカーを借りるため、アプリで場所を確認している友達。彼が先頭を歩く。友達の髪に寝癖がついていた。中学から後ろまで気が回らない。

 契約を交わして運転する。最初に俺がハンドルを握った。

 ホテルに直行し、荷物を預けて、友達の働く場所まで向かう。

 職場から出た友達は、ジャケットを脱いで速歩きで来た。ホテル近くの居酒屋に立ち寄り、4人でお酒を飲んだ。


「年末は帰って来るの」

「忙しいから無理かも。毎年集まってたのも出来なくなるかも」

「ああ。優弥も東京に行ったし」

「群馬な。しかも、来年だから」

「え? 田舎じゃん」

「うるせえよ。木林のとこ福岡でも田舎のくせに」

「大橋に引っ越したから」

「まあ便利なところだな」

「行ってねえからわかんねえな」

「そういえば、ヌリカベ先生仕事辞めたよ」

「嘘!?」

「持病だって」

「あんなにダルかったのに、マジかー」

「歳だ」


 学生時代の話で場を回しながら、退屈さを共有する。一人が潰れてからお開きになり、ホテルまで連れていく。


「明日もあるから解散しよう」

「木林これ明日いけるのか」

「おれ連れ戻すわ」

「ありがとう」


 2人ずつで部屋が別れ、明日の支度をした。酔が全身を火照らせて、憂うつさが抜けている。さんざん話したのに、のどの調子は悪くなかった。

 寝転んで友達がベットを横切る。


「明日の運転もよろしく」

「昼からの行動だし良いよ」

「助かる」

「だってねえじゃん」

「必要ねえから取らねえの」


 スマホを充電してアラームを登録する。海崎の声で集中を遮られ、顔を離す。


「優弥、家は平気なのか」

「何が?」

「父親の介護」

「……木林から聞いた?」

「みんな知ってる」


 目を瞑ってみる。深呼吸して『大丈夫』と嘘つけるまで落ち着かせた。


「大丈夫」

「何かできることあるか」

「何かあったら、実家に残るべきだろ」

「いや、そうは思わない。それは好きにしていいんじゃね」


 なぜか歯ぎしりしてしまった。

 自分のことを共感されたくない。


「なんでわざわざ持ち出したの」

「だって、なんか福井に着いてから元気ねえし。なんかあったちゃろか」

「ないない。何もない」

「仕事のこと?」

「そんなところ」

「ふーん。そうか」


 すぐに寝息を立てた。友達に心配されて居心地が悪かった。自分の知らない弱みが、学生時代の時を経て露点しているもの。感謝できない自分は、薄情なのだろう。



 2日目。

 自分がまた運転することになった。最初の目的は東尋坊。そのあとは小林に交代する。

 途中の崖から陸地に乗り上げようとする海と、削られた角の並ぶ景色が出てきた。渋滞も目立つようになり、会話も徐々に萎んでいく。


「俺は魚くいたい」

「食いたい」


 東尋坊商店街で検索する。海鮮丼や土産やが並ぶ商店街を発見し、その通りで食事を取ることにした。

 到着し、鍵を木林に譲る。

 東尋坊に近づけば足場が悪くなり、目的地付近は転げないように海の流れと石の切り裂き部を鑑賞した。

 旅行客が多く、年齢問わず男女が遊びに来ている。時間帯によっては東尋坊商店街にある階段を下りて、外観を一望できるようだ。


「東尋坊の岩は溶岩が冷えてできた割れ目だって」

「それウィキペディア見ただろ」

「うるせえな。ウィキペディア見るのは犯罪なのかよ」

「犯罪だよ」

「犯罪じゃねえよ」


 接近できる箇所まで歩いて、度胸試しをした。その後、商店街の場所で飲食店に入り、海鮮丼を注文した。

 観光客が列になっていたが、土産を選んでいたらに迅速に呼ばれる。

 注文した海鮮丼の魚身は、艷やかな脂が乗っている。箸でつかむと解けそうなほど柔らかい。一口で溶け出し、旨みが残り続けている。米で中和すると、その交わりに頬が緩む。


「うっま!」

「うま」

「うまあ!」


 食事を終わらせ、4人が車に戻った。木林は近くの地図を閲覧すると「雄島」と発言する。


「行く?」

「いくか」


 同調も対抗もせず、俺は流れに任せた。

 雄島に近づくと、ちょうど列ができていた。前方の車は鈍行している。隣に運転しているのは木林。後ろの2人は自分の世界にこもるよう、窓やスマホに付き合っていた。俺も波が過ぎ去るのを待つように、スマホに縋る。世間の悍ましいニュースや動物のかわいい映像が同時に流れてきて、その目まぐるしさがただ癒された。考えるチカラを奪っていれば、父親の舌打ちが聞こえなくなる。

 耐えろ。耐えろ。

 父親の怒声と母親の申し訳なさそうな縮こまりが脳で明滅する。


「着いた!」


 木林はいつの間にか運転を終え、車から出た。それに続いて、自分も車から降りる。

 空は太い雲に塞がれている。白色の景色にバイカーの集団の黒が一点混じっていた。それを遮断するように親子連れが横切る。彼らの先に孤島があった。

 雄島。

 俺はつい自分の気持ちをそのまま出した。


「あははは! さみー! 寒すぎー!!」


 4人で雄島に架かる橋を渡る。荒れた海の風が俺たちの両肩をぶつけるように吹き付ける。身体を小さくして、雄島まで歩いていく。渡る瞬間は遠くに見えたのに、雄島は大きな自然体を見せてくる。

 雄島に上陸する。鳥居の先に階段があり、首をあげた。


「なげー……」

「なあ、優弥」

「何?」

「また海鮮丼くいたいんやけど」

「わかる!!!」


 その後、ソースカツ丼を食べたり博物館を回った。旅行を終えて、実家に帰る。


 玄関を開けて、隣の部屋に父親がいた。

 ベットに寝転んで、くだのついた腕を放置している。瞳はあきらめたような目つき。


「ただいま」


 父親の元気は闘病生活の果てに枯れた。

 もう俺と喧嘩することもできない。

 その時、彼の腕が骨と皮しかなく、脆弱な生き物なんだと理解できた。


「雄島、寒かったよ」


 俺は引っ越すための準備に戻る。

 家に帰宅して日常の中にいても、まだあの寒さが肌に懐かしく染みている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雄島 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ