私の知らないこと
第33話
ラグの上にうつ伏せで寝転がる少女。
涙で滲んだ視界でも、その少女が5人の誰かではないことは分かる。
袖で涙を拭い、恐る恐る尋ねた。
「……誰?」
「あたしは地縛霊だよ」
足を交互にバタバタと動かしながらそう答えた少女は、絶望している私と違ってとても気楽そうに見える。
着ている赤いパーカーのチャックが胸上まで下ろされていて、さらにうつ伏せで肘を立てている体勢のおかげで白い下着が窺える。普段の私ならそっと近付いて、下心を誤魔化しつつ身体に触れているけれど、今は消えてしまったみんなのことでそんな欲望はすぐに消え去った。
だからこの子のことよりも、みんなの行方が知りたい。
「……みんな、どこに行ったのか知ってる?」
「は?あんた何言ってんの?」
この返しに、私はどう答えればいいのだろうか。
試しに部屋をもう一度見渡してみても、みんなの姿はどこにもない。
「朝までみんないたと思うんだけど……」
「だからさ、何言ってんの?いるでしょ、ほら」
少女はそう言いながら私の後ろを指差す。
そっと振り向くと、私の真後ろに小麦肌の健康中学生が立っていて、心配そうな表情で私を見上げていた。
「泣いてるの?」
「瑠琉ちゃん!!」
右手にさっき買ってきた冷凍のサバがあった気がしたけど、そんなこと気にする余裕もなく思い切り瑠琉ちゃんを抱きしめた。
「ちょっと椎菜、どうしたの?」
「みんないなくなったかと思って」
「いるよ?」
そうは言うけれど、部屋にはうつ伏せの幽霊ちゃん以外は誰もいない。瑠琉ちゃんがキッチンの方から来たということはみんなもそっちに……?
瑠琉ちゃんを抱きしめたまま顔を上げキッチンの方を見てみると、冷蔵庫の前に置いた買い物袋の前に見慣れた背中があるのが分かる。
しゃがんでガサゴソと袋を漁るその子は、私に気付いて顔だけこっちに向けた。
「神よ、どうして泣かれているのですか?我が泣かしたやつをホーリーライトニングで浄化してやりますぞ」
「涼葉ちゃん……」
私が楽しみに買ってきたスルメイカの珍味を、何食わぬ顔で咥えている涼葉ちゃんを叱りたいけれど、今は出てきてくれた嬉しさでそんな気にはならない。
でも二人は一体どこに行っていたのだろうか?
腕の中にある温もりが名残惜しくもしぶしぶ離れ、じっと見上げてくる瑠琉ちゃんの頭を撫でながら訊いてみた。
「ねえ瑠琉ちゃん、どこ行ってたの?」
「涼葉とお風呂掃除してた」
たしかによく見ると玄関からじゃ見えなかった洗面所の奥には明かりが見える。
……絶望していた自分が恥ずかしい。
「他のみんなは?」
「七子はクローゼットの中。三夕は、今出てきた」
振り返ると、ソファには三夕ちゃんが定位置に座っていて、私を見て「おかえりなさい」と言って柔らかい笑みをくれる。
「ただいま、三夕ちゃん」
ギギっとクローゼットが開く音が聞こえ、見てみるとクローゼットの中から枕を抱きかかえた七子ちゃんが飛び出して来た。真下にいたうつ伏せ幽霊ちゃんを踏みつけて、苦しそうに床に顔を伏せるその子を気にせず私の方へ歩いて来る。
「多摩川さん、おかえりなさい」
「七子ちゃん……、ただいま!」
私の一番大好きな美少女幽霊ちゃんの優しい微笑みに気持ちが抑えきれなくて、枕ごとその小さな身体を抱きしめた。
「多摩川さん、苦しいので離れてください」
「だーめ、もう二度と離さないからー」
「……まあ、少しくらいなら」
認めてくれた嬉しさで、煩悩も平常通り稼働を開始した。
パジャマの裾からゆっくり右手を差し入れると、今まで躊躇っていた七子ちゃんへの直接のスキンシップにじわじわと理性も失くなっていく。
冷たくて華奢な背中は、パジャマの上から触れるよりもより細さと柔らかさを感じられ、横腹に触れた手をそっと上げると微かに骨の感触を感じられる。それをなぞるように指で撫でていると、服の裾が思い切り引っ張られ「椎菜、ごはん!!」と少々怒りのこもった声が聞こえてくる。
腕を解き離れると、七子ちゃんは恥ずかしそうに枕に顔を埋めて上目遣いで私を見上げていた。
「やっぱり多摩川さんは変態ですね」
……もう、夕食なんて良いから、このままベッドで七子ちゃんをぎゅーってしながら一緒に眠りたい。
でも後ろにいる食べ盛り幽霊ちゃんは許してくれず、七子ちゃんを見つめて動こうとしない私の手を無理やり引いて、キッチンまで連行していく。
洗い物だけじゃなく買ってきたものまで既に片付けられていて、涼葉ちゃんが瑠琉ちゃんから受け取ったサバを早速解凍し始める。
戦力外の瑠琉ちゃんにはテーブルで待機してもらい、涼葉ちゃんと二人でサバの塩焼きの調理に取り掛かった。
三人で夕食を食べたあとは、相変わらず消えなくなった瑠琉ちゃんが三夕ちゃんに抱かれながらバラエティー番組を眺め、涼葉ちゃんに洗い物を任せている間に私は風呂の準備のためクローゼット横にある衣類ケースへ向かう。
すると、そこでずっと忘れていた存在に気付く。
暇そうに仰向けになっていた少女は、ベッドに足を乗せてバタバタと動かし、頭のすぐ傍に立つ私の両脚に手を伸ばし掴んできた。
「椎菜姉さんよお、ちょいとあたしを放置しすぎじゃない?」
「ごめんごめん」
ひとまず風呂に入るのを中断して、脚を掴まれたままその場にしゃがんでみる。
上目遣いで私を見てくるその子は、今は逆さまだから分かりにくいけれど、おそらく地縛霊ちゃん史上最年長。そう思う理由が、パーカー越しでも分かる胸元の膨らみと、物怖じしない態度が子供っぽさを感じさせないから。
とりあえず、いつも通りの質問から始めた。
「君の名前は?」
「あたしは
「いくつか訊いても良い?」
「16だ。高校1年」
予想通りではあったものの、みんなとそこまで離れてはいない。
ラグの上に広がる髪を拾い集め、指で梳きながら質問を続けた。
「どこの地縛霊ちゃん?」
「見たら分かると思うけど」
「ラグ?」
「うん」
「どうして死んじゃったのか訊いても良い?」
「あたし寒がりでさ。真冬に暖房を最大まで上げてラグの上で寛いでたんだけど、そのまま寝ちゃって、気が付いたら暖房壊れて凍死したってわけ」
普通そこで目が覚めるはずでは……?
深く追求するのをやめようと思い前髪が散らばったおでこを優しく撫でていると、続けて話してくれた。
「義理の姉に薬盛られたみたいで、霊体で目覚めたら服着てなかったんだよ。だから椎菜姉さんやみんなの前に出てくんのが遅くなったってわけ」
……この話しはこれ以上訊いてはいけない。
それよりパーカーもスウェットも見覚えがある気がする。それに実家から持ってきたはずの白い下着が最近見当たらなかった。つまり、この子が着ているのって……。
「私の着てる、よね?」
「返して欲しいとか言わないよね?あたしに全裸になれっての?」
ぜひなってほしい。
けど、さすがに寒がり幽霊ちゃんから衣服を剥ぎ取るなんて真似はできないから、仕方なく「それあげるよ」と告げて風呂の準備のためその場を立つ。
脚から手を放してくれて、衣類ケースから着替えを出し風呂に向かおうとすると、雪ちゃんが小さな声でボソッと独り言を呟いた。
「あたしで地縛霊が5人目か。賑やかで良いなこの家は」
すぐにその言葉の違和感に気付けず、心にも留めないまま風呂場へと向かった。
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