第32話
「おはようございまーす」
仕事場に到着しバックヤードに入ると、奥から春日部さんがひょっこり現れ何故か深く溜息を吐く。
「……なにかありました?」
恐る恐る訊くと、眉間に皺を作りながらバッグヤードの奥を右手親指で差した。
「あれ、どう思う?」
嫌な予感がしつつバックヤードの奥に入って行く。
入り口から入ってすぐの所にスタッフの休憩スペースがあるはずが、そこにはデスクや椅子を埋め尽くすほどの段ボールが乱雑に積み重ねられていた。
さらにその奥にある更衣スペースに目を向けると、見上げるほど箱が積まれた数台の台車がロッカーの前まで強引に押し込まれていて、入る隙間を探すのもやっと。
……なにがあったらこうなるの!?
「これ誰が発注したんですか?」
「熊谷さん。店長が金曜からずっと休んでるからって代わりに任されたらしいよ。まとめ買い商品の見直しをしないで、テキトーに自動発注で済ませてたんじゃない?夜勤忙しいの分かるけど、いい加減にやんないでほしいよね。片付けるのうちらなんだしこれだとお客さんにも……」
愚痴が止む気配のない春日部さんを一旦スルーしてなんとか入れるスペースまで行き、男のいない隙を見計らい通路で着替えることに決める。
売り場に出てから、春日部さんに発注ミスの責任として一人でレジをやらされていた熊谷さんがいつも以上に死にそうな顔でレジを打っていた。
入り口付近までお客さんが並んでいたため、挨拶をする暇もなくレジに入る。そして定時になると、並んでいるのにも関わらず熊谷さんが上がってしまう。
バックヤードから春日部さんが出てきてくれる気配もなく、今度は私が死にそうになりながら果てしなくレジを打ち続ける。
社員だけどたった2カ月半の私に、この仕打ちはあまりにも耐え難い。
仕事場に着く前まであんなに幸せな気分だったのに、まさかこんな地獄が待ち受けているなんて……。
空いて来た頃にふとレジの時計を見ると、12時ちょうど。
そのタイミングでバックヤードから春日部さんと昼のスタッフが出てきて、レジを打ってないくせに春日部さんは疲れた様子で愚痴を言いつつレジを締めていた。
……早く帰りたい。
平間さんは混み具合を見て気を使ったのか買い物をせず出て行ったし、今の疲れきった私に必要な癒しが欠乏している。
春日部さんが帰ってから昼休憩に入ったが、バックヤードは片付け終えて無いようで、更衣スペースだけが空けられていた。
外は雨が降り出したようで、バックヤードはしっとりと湿度を感じ、尚更食欲が湧かない。
ひとまず誰もいない事務所に入り、店長の席に腰掛けぼーっとしてみる。
七子ちゃん、瑠琉ちゃん、三夕ちゃん、沙李奈ちゃん、涼葉ちゃん……。
家で待っているみんなのことを思い浮かべながら、デスクに突っ伏す。
私のいない間って、五人は何をしてるのだろう。
七子ちゃんは今頃は消えてるだろうし、瑠琉ちゃんは涼葉ちゃんといつも通りじゃれ合っていて、一度だけ三夕ちゃんが沙李奈ちゃんをソファで抱き締めてるのを見たことがあるから二人はきっと今もそうしてるのかな。
早く帰ってみんなをぎゅーってしたい。
そんなことをずっと考えていると、いつの間にか休憩時間が終わっていた。
夕方に退勤して外に出るとまだ雨が降っていて、鞄から折り畳み傘を取り出して広げた。軒下から出たところで偶然買い物に来ようとしていた平間さんと遭遇し、せっかくだからと一緒にスーパーへ向けて歩き出す。
疲れのせいか平間さんがいつも以上に可愛く見えてしまい、感情のままに手を握った。私を労わってか嫌がる素振りを見せず握り返してくれて、にこりと笑顔を向けながら「お疲れ様です、多摩川さん」と暖かい言葉を掛けてくれる。
……今すぐ平間さんを抱き締めたい。
理性に正直な足は歩くことをやめ、歩道の真ん中で立ち止まる。
平間さんも立ち止まり私の顔を不思議そうに窺う。
「多摩川さん?」
「あの、平間さん。……私と付き合って」
「ごめんなさい」
あっさり振られたことで理性が戻り、握った手をそっと放して歩き出した。
「こっちこそいきなりごめんね」
「いえいえ。多摩川さんもそろそろ私を諦めて他に良い人探せばいいのに」
「分かってるけど。……見つかるかなぁ」
「そんなに私のこと好きなんですか?」
「たまに来る女子バレー部のポニテの子も可愛いかな」
「女子バレー部の半分くらいポニテですけどね。女子大生以外でいないんですか?」
女子大生以外……。
私は仕事中は女子大生のお客さんばかり目で追っているから、それ以外という選択肢が思い浮かばない。
スーパーに入り、それぞれの買い物のため一度そこで別れる。
買うものを確かめるためスマホを出し画面を付けると、ロック画面にメモを張り付けていたことに気付く。
”るるとすずはのパン、みんなのチョコ、忘れずに”
女子大生以外、いっぱいいるじゃん。
平間さんのことも余程好きだからか、私は平間さんを目の前にするとどうしてもみんなのことを頭の隅に追いやってしまうらしい。
早く帰って、ぎゅーってしなきゃ。
先に瑠琉ちゃんと涼葉ちゃん用にと向かったパン売り場で、六つ入りのロールパンを3つカゴに入れていると平間さんが気付いてやってくる。
「そんなに食べるんですか?」
「食べ盛りの子が増えちゃって」
「一人暮らしですよね?」
「そうだよ~」
「……?」
そろそろ、平間さんに話して良い頃かもしれない。
そうすることで平間さんを諦めることが出来るかもしれないし、地縛霊ちゃんたちを忘れるなんてことも無くなると思うから。
「家に地縛霊が5人もいるんだけど、そのうち2人が食べ盛りで」
「……多摩川さん、正気ですか?」
数歩下がった平間さんは、どこか怖がっているような眼差しで私の目をじっと見ていた。後悔しかけて近付こうとすると平間さんは逃げるように後ろへ下がる。
「私、幽霊とか苦手なんで。……すみません」
そう言い残して、平間さんは足早にその場を去ってしまった。
……今日って私、厄日?
家を出てからずっと、良くないことばかり起きている気がする。
カゴの中に入れたパンに触れたことでなんとか立ち直り、買い物を再開した。
家に帰って来て、玄関の扉に鍵を差す。
みんな何してるのかなと耳を澄ましながらゆっくり鍵を回すが、中からいつもの騒がしい気配は感じない。
「みんなただいまぁ~」
扉を開けて中に入り帰宅を伝えた。
外はまだ明るいからか部屋の照明は付いておらず、薄暗い台所の向こうにはカーテンが閉まっているのか暗いの部屋が窺える。
いつもなら瑠琉ちゃんか涼葉ちゃんが出迎えてくれるのに、今日は物音ひとつない。
買い物袋を冷蔵庫の傍にわざと音を立てるように大袈裟に置いてみたけれど、部屋に誰かがいる気配もなく静まり返ったまま。
まさか、みんながいなくなったなんてことは……。
嫌な予感が過り、急いで部屋へと入った。
薄暗い部屋には気配ひとつなく、恐る恐る照明を付ける。
ベッドには七子ちゃんはいない。ソファにもテーブルにも誰もいない。
起きてしまった現実に思考も止まり身体の力も消え失せて、その場に膝から崩れ落ちた。
「私、今日死ぬのかな」
出掛ける前はあんなに幸せだったのにどうして……。
こんな結末、信じたくない。
涙が顔を伝って床に落ちた瞬間、クローゼットの陰から声が聞こえた。
「あんたまで死なれちゃ困るよ」
そこには、クローゼットの前の床でうつ伏せに寝転がる見たことの無い少女がいて、呆れたような表情でじっと私のことを見つめていた。
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