すれ違いを超えて
八月八日。オルダー襲来を前日に控えた朝がやってきた。
目を覚まして辺りを見渡すが、康弘も涼香もいなかった。どうやら、俺が最後らしい。
大きな欠伸をしながら一階に降りる。
全く、康弘のやつ。起きたなら俺も起こしてくれたっていいのに。
いじけていたらハシゴから足を滑らせて、床に落ちかけた。反射的にハシゴを強く握って耐える。唐突な恐怖で眠気も冷めた。
慎重な手つきで床まで降りて、振り向きざまに「おはよう」と声をかける。
「あれ」
しかし、一階にも二人はいなかった。一体どこに行ったんだろう。
その時、タイミングよく扉が開く音がした。
訪問者――神崎さんと目が合う。
「おはよう」
「おはようございます」
彼は玄関の靴箱を見たあと、「置いていかれたのか?」と首を傾げた。
「え?」
「靴がない。二人ともだ」
「それは……置いていかれたのかも」
「今起きたのか」
「ええ、はい」
会話が一段落する。彼は靴を脱いで部屋に入ってきた。荷物を机に置き、首筋を摩っている。
すると突然、神崎さんは神妙な顔つきになって、俺の頭を両手で挟んだ。俺が困惑している間に、髪をいじって隙間から皮膚を覗き込んでいる。
――状況が理解できない……
諦めて真顔で空虚を見つめていると、神崎さんが吹き出した。
「す、すまない……芦屋に『頭に傷跡がないか確認しろ』と言われていてな」
頼むからそんな顔しないでくれ、と笑いを堪えながら言われる。
頭に傷跡。その理由は十中八九、俺の悩みに関することだろう。
「手術跡ってことですか?」
「ああ、そういうことだ」
再び頭皮を見られたあと、彼はため息をついた。
「やはり原因は不明だな……脳を弄られた形跡もない以上、やはりレーヴに乗ったことによる後遺症か?」
「なんだか嫌な響きですね、後遺症って」
「今はまだ、そうでないことを祈るしかないな」
俺は机に置かれた荷物を見つめる。
凄い量の書類だ。これも全部レーヴに関することだろうか。一番上の文章にサッと目を通す。
『対巨大機兵緊急避難時における避難場所と物資の確保について』
最初の漢字ラッシュの段階で、脳みそが理解を拒否した。気を取り直して、と二枚目の題名に目を通す。
『
この町の名前だ。次の文字も読もうとして、文字に顔を近づける。
「気になるか?」
神崎さんの一言に、俺の背筋がしゃんと伸びた。
「ああ、いえ、そういう訳じゃ」
俺は紙をめくる手を離す。
「それは俺が書いた物だ。今日中に上に提出する。今から最終確認だ。最終確認の、最終確認の、最終確認の、だが……」
「多くないですか?」
「こうまでしないと、門前払いだ」
「それって、上の人は読む気あるんですか?」
彼は曖昧に肩をすくめる。
この人は今から、この文字の羅列を読み込まなくてはいけない。邪魔をするのも嫌だし、散歩してこようか。
俺は踵を返し、玄関を出る。
「少し散歩に行きますね」
「わかった。危ないことはするなよ」
「はーい」
俺はそろそろ見慣れた殺風景を横目に、大きく伸びをする。ここは俺が何をしようと静かで、何もない。
目線の先に広がるのは道路とガードレール、その奥の雑木林。俺の家付近に比べて車通りも少ないから、車道のど真ん中を歩いても誰も咎めない。
俺は鼻歌を歌いながら道を歩く。緩やかな坂道をくだり、森がなくなったと同時に畑が見えてきた。俺の足はどこまで行くのだろう。
ぼんやりした頭で歩いていると、商店街に出た。相変わらずガランとしている。そのシャッターまみれの店の中に、幼い時によく行っていた駄菓子屋を見つけた。
懐かしい、と近くに寄ってみる。店主のおばあさんが、目を虚ろにして体を揺らしていた。眠たいのだろう。真っ白な髪としわしわな肌から想像するに、もう営業する体力もないのだ。
「そういや、これ昔好きだったっけ」
俺はそう言って、丸い飴玉を手に取る。サイダー味の白色の球体が、透明の袋から姿を見せていた。しゅわしゅわと口の中で消えていく感覚が楽しかったのを覚えている。
ふとポケットに手を突っ込むと、百円玉が入っていた。ちょうどいい、と俺は飴を二つ手に取って、カウンターの上にお金を置いた。
「……お金、置いておきますよ」
起こさないよう静かにその場を離れた時、僅かに人の話し声が聞こえた。
俺は声のするほうをじっと見つめ、訝しみながら近寄る。どうしても様子を見たかった。絶対に、その声に聞き覚えがあったからだ。
駄菓子屋の二軒向こうにある小路を通って、進んでいく。湿気の多い石畳で、独特の雰囲気がある。ここからでは出口が小さく見える、とても長い道だ。どれだけ大きな声を出しているんだ、と俺は少し呆れる。
――でも確か、ここを進んだら……
小路を抜けた先に広がるのは、道路と森だった。レーヴが居る場所。そして俺たちが出会い、たくさんの仲間を失った場所だ。思わず右側の空を見上げた。少し離れた所に、レーヴの機体が見える。
GRIはレーヴの反対側にある。恐らくこの道路を左に進んだら、俺がさっき通ってきた道に繋がるだろう。
ふと地面を見ると、土に三足の足跡が残っていた。それをたどって右へ歩くと、近づく声と共に一つの家が見えてきた。
それは廃れた小屋のようで、生活感がまるでなかった。二足の足跡はまっすぐその小屋に続いている。もう一足は大きく逸れていたので、きっと関係ないんだろう。
俺はその家の扉を開き、中を覗いてみる。
「だから、何回も言ってるだろ。お前は何を企んでる。あいつで何をしたいんだ!」
「あなたに関係ないわ。いちいち首を突っ込まないでもらえるかしら」
「無理に決まってる。あいつは俺の幼なじみだ、放っておけるわけない!」
中にいたのは、やはり涼香と康弘だった。俺の事で口論になっているらしい。でもなんで?
やがて激昂した康弘は、腕を大きく振り上げる。その拳は一直線に涼香へと向かっていた。
――あの康弘が、暴力を。
その事実が俺の全身を電撃のように駆け抜けた。
俺はたまらず扉へと飛び出した。
「やめろ!」
俺の声に反応したのか、彼の拳は涼香に当たる寸前で軌道を変え、すぐそばの壁に激突した。
荒い呼吸だけがこの場を支配する。
康弘がゆっくりと、こちらを振り返る。
目が会った瞬間、彼はこちらに走り出した。俺の脇を通り抜け、外へ逃げてしまう。
「あっ……康弘、待って!」
俺は康弘を追いかけようと、大きく体の向きを変える。二、三歩前に出たところで、戸惑いながら涼香に目を向けた。
涼香は顎で外を指し、促すように俺を見る。
「早く追いかけてあげたら?」
俺は少し間を開けて言う。
「それじゃあ、君はどうなるの?」
いや、言うまでもなく一人になってしまうのだけれど。でも何となく、聞いてしまった。
涼香は驚いたように目を見開く。そのまますぐに目を伏せて、暗く俯いた。
「……行って」
もう話しかけて欲しくないみたいだ。俺は諦めて康弘を追いかける。
道を左に曲がって、彼の後ろ姿を追いかけた。
「待てよ、康弘!」
いくら叫んでも、彼は止まらない。涼香を気にして立ち止まったぶん、差が大きい。どんどん距離が遠のいていく。
道路のど真ん中で行われる真夏の追いかけっこは、運動不足にはかなりキツイ。どう足掻いても追いつけない。
どうすれば、彼は止まってくれるだろう。
少し考えたあと、俺は一つの賭けに出た。
「うわあっ!」
わざとらしく大声を上げながら、アスファルトの上に盛大にコケる。バタンっと大きな音が鳴った。
意図せず右足をグネってしまって、俺は呻く。そんなつもりじゃなかったのに。
しかし、その甲斐あってか康弘が立ち止まる。
地面にうずくまる俺の姿を、じっと見ていた。
その表情に浮かんでいるのは苦痛と不安。ここを揺さぶれば、戻ってきてくれるかもしれない。
「康弘……っ!」捨てられた子犬のように、か細い声で名前を呼んだ。
相手を揺さぶる間に、足の痛みがどんどんと増してくる。これは、まずいかも。グネった右足を押え、痛みに声を上げていると、遠くから足音が近寄ってきた。
顔を上げると、そこには心配そうに顔を歪める康弘がいた。
康弘は諦めたように俺に手を差し出す。
「……捕まえた」
俺はなんだか嬉しくなって、差し出された手を取りながら微笑んだ。
「ありがとう、康弘」
立ち上がった拍子に右足の痛みが主張してきて、俺は息を詰まらせる。
「……大丈夫か、実里」
「ああ、うん。平気だよ」
実際は全く平気じゃなかったが、俺は虚勢を貼った。だが、康弘にはバレバレのようだ。彼は黙って俺に肩を貸してくれた。
ありがたく頂戴しながら、来た道を帰っていく。
「……何があったんだよ」
康弘はバツが悪そうに唇を噛む。俺が再び名前を呼ぶと、消え入るような声で答えた。
「聞いてたんだ、『終わらせる方法』を」
「『終わらせる方法』って、どうして急に――」
「考えてもみろ」
康弘は苦々しい声で言った。
「残りは俺と、あいつと実里しかいないんだ」
康弘はうわ言のようにつぶやいた。
「はやく終わらせないと……お前が死ぬだろ」
最後に告げられた言葉に、俺は目を見開く。
「俺の、ために……?」
「当たり前だ」
康弘はこれまでで一番力強い声で断言した。
「俺はいつだって実里が一番の
最後の言葉が、グッと胸に突き刺さる。
俺は半信半疑で訊ねた。
「……本当に?」
「誰が嘘つくんだよ、こんな時に」
思わず康弘から目を逸らす。
そんなまさか、と思わずにはいられなかった。
康弘と俺は昔から仲が良かった。子どもの頃は、お互いが友達であることが誇らしかったくらいだ。
やがて時が経つと、俺の性格は少し陰り、気がつけば康弘との関係に少しの距離ができていた。
康弘は昔と変わらず気さくで人当たりの良い奴だった。クラスでも人気で常に周りに人がいた。
変わってしまったのは俺だけだった。
康弘はどんどん遠く成長していくのに。
だから俺は疑ってしまったのだ。
あいつにはもう、俺に変わる
だったら俺は幼なじみとして、それを邪魔するわけにはいかなかった。
人前では極力喋らないようにしたし、休みの日に会う頻度も減っていた。俺のせいで彼の価値を下げる訳にはいかない。彼も何も言わなかったから、内心安堵していると思っていた。
それなのに、康弘にとってはずっと、俺が一番の友人だったなんて。
「それは、俺の台詞だよ」
康弘が俺を見て目を見張る。
「俺だって……康弘は俺にとって、一番の親友だ」
康弘の足が止まる。彼は目に涙を浮かべながら、くしゃっと笑った。
「……なんだそれ、俺たちずっとすれ違ってたんだな」
なぜだか俺の視界も滲んできた。
自分たちに死が迫って、ようやく思いが通じただなんて、遅すぎる。これだけ一緒に生きてきたのに、馬鹿みたいだ。
「……そういやさ」
ぽつり、ぽつりと昔の思い出が康弘の口をついてでる。俺もそれに呼応するように会話を続けた。微笑みがこぼれ、胸の内から喜びが溢れだしてくる。康弘も、ここ最近で一番幸せそうに笑っていた。
足をかばいながら帰るGRI本部までの道のりは、驚く程に晴れやかな心地だった。
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