涼香の行方

 康弘が本部のドアを開ける。

 部屋の中に入ると、神崎さんが消えていた。物音がするから、いないわけではないんだろう。

 康弘に手伝ってもらいながら椅子に座る。

 じくじくと滲むような痛みが発生して、俺は思わず足を押えて呻く。

「あいたたた……」

「湿布持ってくるか?」

「そうして貰えると助かるよ、すごく」

 コーヒーを片手に奥の簡易キッチンから現れた神崎さんが、ぎょっとした目でこちらを見る。コーヒーがカップの中で揺れ動き、数滴床にこぼれた。

「どうしたんだ、実里君。怪我をしたのか?」

「まあ……そんなところです」

 彼を見ると、何故だかあの書類の山を思い出した。

「そういえば。書類、見て貰えましたか?」

「ああ、なんとか。あまり反応は良くなかったが……いつだってそうなんだ」

 疲れが籠ったため息が、彼の口から出ていく。

 大変なんだろう、間違いなく。

 彼の苦労の上に、俺たちは生きている。本当にありがたい存在だ。

 俺が感謝を告げようと口を開いたのと、芦屋さんが二階から降りてくるのは同時だった。

「あら、帰ってたの」

「芦屋さん」

 神崎さんが僅かに唇をとがらせる。

「お前も先程来たばかりだろう」

「いやー、ほんとお騒がせしました」

 神崎さんに比べると、彼女と会うのは久しぶりな感じがする。少し感じが変わったのは気のせいだろうか。

「お久しぶりですね」

「そうね……弟妹の一人が熱出しちゃって。世話するためにやむを得ず有給消化よ」

「あらら」

「そしたら他の子にも熱移っちゃって、もう大変! これ以上休む訳にも行かないから、おばさんに任せてきちゃった」

 そういうと、彼女は手に持っている袋を掲げて、大袈裟な程に笑ってみせた。

「ちょうどいいわ、お土産もらったのよ。食べる?」

「いただきます!」

 疲労した脳はお土産という言葉にいち早く反応してしまった。食い意地が張っているようで、少し恥ずかしい。

 芦屋さんは笑みを一段と明るくして、すぐに準備を始めた。

 やがて、キッチンの奥から芦屋さんがやってきた。彼女の手にはお茶とせんべいの載ったお盆がある。

 ふと目線を下ろすと、弟妹に貰ったという紫のミサンガが、芦屋さんの腕ごとぐらぐら揺れていた。毎回のことだが、彼女はバランス感覚が悪いみたいだ。銃のエイムとか悪いんだろうなあ……。

 サバゲーで攻撃が当たらず、あたふたする様子が易々と目に浮かんだ。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 芦屋さんがお盆を机の上に置く。

「実里君、怪我をしているじゃない。見せてごらんなさい、手当するわ」

「わざわざすみません」

「いいのよいいのよ。ほら出して」

 お盆に載せられていた湿布が手際よく貼られていく。

「でーきたっ」

「助かりました。ありがとうございます」

 芦屋さんは口角をくっと上げて、にっこりと笑った。

 お土産のせんべいを手渡され、一口、また一口と齧る。醤油の味がきいていて、すごく美味しい。

 そういえば、と俺はポケットの中から二つの飴玉を取り出す。片方はバラバラになっていた。転けた時に割れたのだろうか。

 割れた方を口の中に入れる。ほどなくして、飴玉の残骸は溶けてなくなった。残りは明日に取っておこう。

 もう一枚せんべいに手を伸ばす。しばらくの間、お土産を片手に四人で談笑する。

 夕日が沈み出した頃、俺は少し不安に思って康弘に声をかけた。

「ねえ、涼香ってまだ帰ってきてないよね?」

 康弘は目を見開き、バツが悪そうに首をさすった。「……あー」

 康弘の大きな声に、大人二人が反応する。

「彼女は今朝からいなかったが、ずっと戻っていないのか」

「あら、永井君ってたしか、早朝から卯乃さんと家出たんじゃなかった?」

「あ、はい。そうっす」

 芦屋さんの声に、康弘が大きく頷く。動きがオーバーな時、彼は大抵焦っている。

 口元を手で覆いながら、ぶつぶつと行動を振り返りだした。

「たしか今朝は変な小屋まで行って、実里が現れて……」

「そのあと、俺たちだけで帰ったんだよね」

「それが大体昼前のことだ」

「うん」

「卯乃って確か朝から飯食ってないよな……」

「なんなら、昨日は晩御飯を抜いていたような気がするけど」

「マジかよ。空腹でぶっ倒れてんじゃね?」

 康弘は素早く立ち上がり、俺の腕を引いて玄関に向かった。

「ちょっと探してくる。いくぞ実里」

「うん!」

 神崎さんも立ち上がる。

「俺も行こう」

 その申し出に康弘は少し悩んだあと「いや、大丈夫っす。俺たちだけでなんとかなるから」と言って本部を出た。

「なんで? 助けて貰ったら良かったじゃないか」

 夕日で赤く染まり出した道を走りながら、俺は問いかける。

「……」

 三歩前分を行く康弘は答えない。

 俺は勘づいて、じとっと彼の後ろ姿を睨む。その視線にはありったけの疑念と不満を込めてやった。

「お前、さては涼香に何したか神崎さんにバレたくないんだな?」

「……それもある」

「じゃあ残りはなんなんだよ」

 問い詰めるように声を低くすると、康弘は口元を押えながらつぶやいた。

「罪悪感と使命感……」

 俺は面食らって、思わずじっと彼を見つめていた。未遂でこれだけ気にしているということは、本当に殴っていたらどうなっていたんだろう。

 ストレスって怖いなあ……と思いながら康弘に追いつくと、彼はばっとこちらを見て顔を真っ赤にした。

「悪いかよ」

「いや、うん。なんでも」

 俺たちは無言になって、黙々と目的地まで走る。

 特に示し合せた訳ではないけれど、俺たちの足の向かう先が別れることはなかった。

 ようやく目的地――例の小屋が見えてきた。

 俺たちは二人一緒に部屋の中へと突入する。涼香いるとしたら、最後に見たここだろう。

 しかし、俺たちの願いに反して中は無人だった。

「いない」 

 俺の一声のあと、康弘は盛大なため息をついた。

「マジか……」

 彼女がいるとしたら、ここ以外にどこがある?

 いろんな考えを巡らせてはみたが、何も思いつかない。

 一度、俺たちの運命を変えた七月十日から振り返ってみる。

 レーヴの操縦士に選ばれ、卯乃が一回戦目を勝利し、二回戦目で丸山が死に、そのあと柴田とコックピットで…… 

「……あ」

 稲妻のような天啓が身体中を駆け巡る。

 一つのひらめきが、確信に変わった。

 卯乃涼香は、明日操縦士として敵と戦う。

 彼女ならその前日、何をしようと思うだろうか。

 レーヴ越しに初めて神崎さんと出会った日、つまりは七月十九日に卯乃が放った言葉が蘇る。

 ――我々の死体を……

 彼女の表情に滲んでいた苦悩が、驚く程鮮明に思い出せた。

 いてもたってもいられなくなって、俺はポケットからスマホを取り出した。指で素早くナンバーを押し、電話をかける。

 三コール目で相手が電話に出た。

 もしもしという発言の隙も与えずに、俺は彼の名を呼ぶ。

「神崎さん」

 電話の向こう側で、彼は心配したような暗い声色で訊ねてきた。

『卯乃涼香は見つかったのか?』

「いいえまだです。でも、心当たりがありまして……」

 俺は困惑する康弘を横目で一瞥してから言った。

「操縦士の墓はどこにありますか?」



 指示されたのは、町内の人気の少ない地域だった。寂れた公園を右に曲がって真っ直ぐ歩いていくと、一つの真新しい墓石が見えた。その正面に、黒髪の少女が立っている。

「涼香」

 声をかけると、彼女はこちらを振り返った。

「やっぱり、ここにいた」

 涼香の真っ白な肌は、夕日に照らされて真っ赤だった。その色が、彼女の感情全てを覆い隠しているように思えた。

「永井君は?」

「他のところを探してる。また違ったら時間の無駄だろってさ」

「……心配かけてごめんなさい。すぐに戻るわ」

 涼香はそう言って、少し俯いた。鼻をすするような音が聞こえて、俺は目を見開く。夕日で見えずらいが、鼻の頭と目の周りが僅かに赤くなっていた。

「泣いていたの?」

 思いのほか、その声は大きくなった。

「全然」言いながら、涼香は目元を拭う。

 全然、なわけがなかった。言い逃れなんてできない。その瞳の奥から、また一つ涙が滲みだしているのだから。

「……収まるまで、もう少しここにいる?」

「そうして貰えると助かるわ、すごく」

「そっか」

 俺はその一言を最後に口を噤んだ。

 俺は康弘ほど口上手じゃない。だから、黙ってそばにいることしか出来ない。

 でも、本当にそれでいいのだろうか。

 俺が自殺を試みた時、涼香は俺に寄り添ってくれた。

 行動することで救われる人もいる。そんな僅かな希望にかけて、俺は口を開いた。

「……涼香」

「なによ」

「気分転換に少し、散歩しない?」

 涼香ははっと目を見開いて俺を見つめていた。瞳が潤んで、一粒の雫が頬を伝っていく。

 彼女は少し考えるように口元に手を添えて、小さくつぶやいた。

「散歩ではないけれど……行きたい場所があるの」

「どんな所?」

「誰にも見つからない、静かな場所」

 涼香は目線を俺から外して、どこか遠いところに向けた。彼女の視線の先を探ってみると、そこにはレーヴがいた。 

「レーヴの頭の上よ」

「頭の上?」

 コックピットじゃなくて?

 予想外の回答に、俺は目を白黒させた。

「初めてレーヴに乗った時、私がコックピットの中から顔を出したの、覚えている?」

「あそこから登って、頭上に行くってこと?」

「そこなら誰もいないでしょう」

 俺の驚きようが面白かったのか、涼香は少しだけ口角を上げた。そよ風のように柔らかくて、ほんの僅かな微笑みだった。

「イントラーダ」

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夢想機兵レーヴ 藤好 彩音 @AF66

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