相談

 フーガに誘われ辿り着いたのは、GRI本部の目の前だった。涼香が先陣を切って扉を開く。

「三人とも!」

 玄関から神崎さんと芦屋さんが出迎えてくれた。神崎さんは特に悲しそうに顔を歪めて、俺たちを部屋へと招き入れた。

「君たち……今日はもう寝てしまった方がいい。考える時間が長いほど、疲れてしまう」

 忘れられるものなら、忘れてしまいたい。

 初めて見た。大切な仲間の、無惨な死体を。この目で、この体のすぐ側で。

「それでは、お言葉に甘えて」

 涼香がぺこりと頭を下げて、二階に上がる。俺たちもそれについて行く。ベッドに入って、静かに目を閉じた。

 しかし時間帯もあってか、案の定途中で目が覚めた。時計が指すのは午後六時ちょうど。窓の外を見ると、まだまだ空は赤い夕日に包まれていた。

「うっ……」咄嗟に口を押えて吐き気をこらえる。今、赤はダメだ。あのオルダーを思い出してしまう。

「起きたの?」

 俺は仕切りの向こうに意識を向けた。間違いなく涼香の声がした。視線を隣に移すと、康弘はまだ寝ている。うなされているみたいだ。

 思い切って、返事をした。

「ああ……起きてるよ」

 涼香は素っ気ない返事をした。「そう」

 そっちが先に訊ねてきたのに、それだけ?

 俺は少しムカついたが、黙ってため息をついた。今は仲間割れしている場合じゃない。残りの核は三つしかないんだから。

 しばらく無言のまま時が過ぎる。 

 俺はずっと言葉を探していた。

「たしか……想像力が隠されたレーヴの機能なんだよね」

 つぶやくような俺の声を、涼香が優しい声で肯定する。

「ええ、そうね」

「もしもこの事実が最初の時点でわかっていたなら、皆生きていたのかな」

 オルダーが即死するような巨大ビームを放てたり、痛みを遮断したり。そんな想像で、勝ち抜けていたのではないか。

 どうなんだ、と俺は再度仕切りを見つめた。

「そうはならないわ」

 彼女はそう言って、笑うような息を吐く。

「当たり前だけど、この世界には想像力が豊かな人間とそうでない人間がいる。今回は彼女がたまたま前者だったからよかったけれど、他のメンバーがそうだったかはわからない」

「それすらも運なのか……」

「ええ」

 与えられた宝石も、戦う相手も、自分も。全てが神様に決められている。あまりの虚無感に、俺は俯いた。

「こんなことを言っては悪いけれど……思考力のメーターは覚えてる? あれが低い人は総じて想像力も低い。思考考える力あっての想像だから」

 俺は小さく頷いた。彼女は少し間を開けて、気まずそうに声を震わせる。

「だから……丸山君は真面目すぎるから、わかっても困惑するだけだったと思うわ」

「あー……」

 俺は思わず苦笑する。

 思い返してみれば、彼の戦いは現実の範疇はんちゅうを超えないものだった。

 懐かしい仲間のことを思い出したおかげか、俺の体を包んでいた絶望や虚無感が少しだけ楽になる。

「反対に柴田さんはそれに近いことが出来ていた」

「武器の変形ってこと?」

「そうね。でも恐らく、いえ確実に、彼女はそこ止まりよ」

 柴田の戦いを思い返す。あれも想像の力。気づく要素はいくらでもあったのだ。

 涼香が悩ましい声を漏らす。

「浜田君は……そうね、この高みへと辿り着けたかも。彼にはヒーローのビジョンがあるから」

「というと?」

「テレビや漫画のヒーローに憧れて、「これやれへんのかな?」って試しにやってみたら……という具合に」

「やりそうだなあ」

 解像度の高い想像に、俺は吹き出した。つられて涼香も笑っている。

 ひとしきり笑って、何だか寂しくなってしまった。懐かしい仲間に、もう一度会えたらいいのに。

「寂しい?」

 涼香が俺の心を見透かしたかのように訊ねる。

「まあね」

 また二人して黙りこくる。けれど、この沈黙は苦じゃなかった。

 昨日の夜よりもずっと、気持ちが楽になれた気がする。

「じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ」

 向こうからベッドが軋む音が聞こえる。俺も寝転んだが、一向に眠気はやってこない。このまま明日が来るのを待つのは嫌だった。

 結局一時間ほど耐えたあと、俺は音を立てないようにそっとハシゴを降りた。

 一階では、椅子に座った神崎さんがタバコをふかしていた。灰皿の上には何本もタバコの吸殻が落ちている。

 気配に気がついたのか、彼はゆっくりとこちらを振り返る。目が会った瞬間、その表情に淡い焦りが浮かんだ。起きてくるとは思わなかったのだろう。

 彼の視線は一度灰皿に向かったあと、また俺の目に戻った。

「……おはよう、もう大丈夫なのか」

「はい。芦屋さんは?」

「帰った、ついさっき」

 言いながら、灰皿にタバコを押し付ける。独特な煙の匂いが鼻についた。彼にバレないように、そっと顔をしかめる。

「……すまない、窓を開けよう」

「はい」

 彼は窓を全開にしていく。その手が何度か鍵を開けるのに手こずっていて、俺は少し吹き出してしまった。いくらなんでも焦りすぎだ。

 一段落して、俺たちは向かい合って座る。

 しばらくの沈黙のあと、彼がおもむろに口を開いた。

「覚えているか、俺が前にした質問」

 前にした質問。しばらく振り返ってみて、思い当たる節を見つけた。

「何か困ったことはないか、ってやつですか」

「その件は解決したか?」

 静かに首をふる。彼は心配そうに眉を落とした。

 小さな沈黙のあと、俺は机の下で手を組んだ。

「今、少し相談してもいいでしょうか」

「勿論だ」

 神崎さんは灰皿とタバコの箱を左へ遠ざける。その行動を意味もなく見届けたあと、決心して口を開いた。

 いざ言おうとすると、怖くなって声にならない。心臓が皮膚の内側で早鐘を打つのがわかった。

 落ち着け、大丈夫だ俺。この人は、簡単に人を見放す薄情な人間じゃない。わかってるだろ?

 自分で自分を叱ってみると、気分が落ち着いた。

「えっと……もの凄く変な事を言うんですけど」

「何でもこい」

 彼が俺を見つめている。その瞳に滲む純粋な心配と優しさにあてられて、俺はとうとう言ってしまった。

「レーヴに乗ってから俺、頭がおかしいんです」

「おかしい?」

「レーヴの事を考えると、変になるんです。死んでしまいそうなほど怖い時もあれば、逆に死にたいほどアレに魅了される時もあります」

「……」

「最近は、後者の度が過ぎているんです」

 俺は七月二十八日の夜のことを思い出す。俺は壊れた町を見て、確かにこう言いかけた。

 ――一度壊れたら、もう同じだ。町なんて構うなよ、敵を倒せ。殺してしまえ。

 もしもあのまま全てぶちまけていたら、涼香が止めてくれなかったら。最悪の場合、被害はもっと広がっていたかもしれない。

 母親に対しても、酷いことを考えた。

 あの時の俺を支配していたのは、行きすぎだ恍惚だった。初めのうちは軽かった感情が、外部に害を犯すようになってきたのだ。

 それが、俺はたまらなく怖い。

 俺の言葉を遮ったあとの安心用を見る限り、涼香は気づいていたのだろう、俺の異常さに。

「そのおかしさは、例えば……」

 俺は言葉を探しながら続ける。

「例えば、まるで人格が二つに別れてしまったみたいなんです。神崎さんは、どう思いますか?」

 彼は俯いた。今、どんな表情をしているのだろう。

 怖い。やっぱり、言うべきではなかったかもしれない。俺も俯いて、組んだ手を見つめていた。汗が滲んでくる。息が苦しい。

「実里君」

 彼の低い声が耳にはいる。俺は無意識に体を縮めた。

「いつから?」

 俺はふっと顔を上げて彼を見た。息苦しいのが、ふっと弛緩して楽になる。 

「……信じてくれるんですか?」

「勿論だ。俺は君たちの助けになりたい。その為にここにいる」

 俺は感激のあまり言葉が出てこなかった。その代わりに涙ばかりが溢れてくる。

 ずっと怖かった。

 自分が自分でなくなる感覚は、恐ろしくて、不快で、心細くて。

 俺は涙を拭いながら答えた。「……レーヴに乗って、二度目。丸山が死んだ時からです」

「一度目は?」

「喜びと興奮だけでした」

「恐怖は二回目からか」

 神崎さんは懐からメモとペンを取りだし、何か書き出した。

「次の襲来はいつになる?」

「九日です」

「そうか」

 文字を書き終えたあと、パタンとメモを閉じる。

「……わかった。こちらでもどうにか調べておこう。教えてくれてありがとう」

 神崎さんは微笑んで席を立つ。大きく伸びたあと、玄関へと歩いた。去り際に俺の髪をくしゃくしゃと撫で、「芦屋に相談してくる。明日には帰るさ」と言い残し出ていった。

 俺は見捨てられなかった安堵と喜びで、しばらく動けなかった。

「うお、実里? 何やってんだよ」

 目覚めた康弘が降りてきて、ようやく体が動くようになった。時刻は八時半。一時間以上ボーッとしていたらしい。

「いや、なんでもない」

「ならいいけどよぉ」

 間延びした言い方で康弘が笑う。

「八日後かあ……残り三つだぜ、信じられるか?」

「いや、全然だよ」

 康弘が頭をかきながら俺の隣に座る。

「どうにかして、終わらせられないもんかねえ」

「終わらせるって?」

「そりゃあ、世界の終わりが来る前にオルダーが消滅するとか。もしくはレーヴが消えるのか?」

「なんで」

「核がどっかいけばこっちのもんだろ」

「確かに」

 その考えには至らなかった。俺は素直に感心する。

「でも、どうやったら終わるんだろう。涼香はわかるのかな?」

「涼香って……お前ほんと卯乃と仲良いのな。あいつ、俺とは全然うちとけようとしないのに」

「そうかな」

「そうだぜ。卯乃と仲良いのはお前くらいだって」

 俺は生返事を返す。康弘は少し不服そうに唇をとがらせた。

 よく考えてみれば、俺の中で戦いの終わりとは操縦士の全滅だけだった。

 だから考えたこともなかったのだ。世界が終わることもなく、操縦士が生きている状態での終わり方は。

 そんなこと、できるのか?

 もしもそれが出来たなら、俺たちはそこに賭けるしかないのか。

 隣の康弘が何か言っている。けれど、今はそれどころじゃない。回らない頭で考えながら、俺は窓を見つめていた。

 その向こうには、青くも赤くもない、ただ真っ黒な夜空が広がっているだけだった。

  

 

 オルダー五度目の襲来

 浜田黄壱――出血死

 小林瑠璃――即死

 操縦士残数――三

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