少女は音女を夢に見る
二日連続で入る、コックピットの中。
流石にもうこの景色に対する高揚感は消えうせた。これが慣れと言うやつだろう。
「さて、オルダー襲来まで残り一分。誰が行く?」
卯乃は端的にそう言った。操縦士たちが顔を見合わせる。
「誰かしらは行かないと駄目なのだけれど」
何度もそう呼びかけるが、誰も手をあげない。当たり前だ。前操縦士が惨い死に方を遂げたのに、「やれます!」と勇気をもてる人間はいないだろう。
柴田も俯いている。
一分はとても短かった。タイムリミットは直ぐにやってくる。強いはずの卯乃が、嫌そうに目を細め「仕方ない。私がやる」と自身の文字に触れた。席が動き、移動を始める。
やはり、思考力のメーターが高い。初めから九割を超えている。操縦席が移動し、卯乃の席が二等辺の頂点で停止した。
例の足音が聞こえた。遠くの方から、オルダーの大きな機体が現れる。オルダーは、深く落ち着いた緑色をしていた。
俺は思わず声をあげる。
「……あれって!」
その機体を見た瞬間、柴田は目を大きく見開いた。
あのフォルム、見覚えがある。柴田にとっては、永遠に忘れられない仇だろう。
――今回のオルダーは、前回と同じだった。
彼女はポケットからするすると紐状のリボンを取りだした。首に巻き、不揃いな蝶結びを作る。深く暗い、真っ赤なリボン。一度見ただけなら、その正体をつい見逃してしまいそうだ。
「卯乃ちゃん、ごめん。私がやります。やらせてください」
卯乃は少し悲しそうに眉を下げる。どういう表情なんだろう。
直ぐに表情を戻し、あの質問を投げかける。
「柴田さんは、レーヴにどんな夢を懸ける?」
「……私は」
自分の想いを確かめるように、彼女は言った。
「丸山君の仇を討ちたい」
浜田が驚いたように呟く。
「丸山? えらい仲間思いの子やな……」
そうじゃない。そんな生易しい感情で、柴田は戦いに挑むのではない。
その事実を、俺だけが知っている。
俺は否定したくてたまらなくなった。でも、言えない。俺が言うことじゃないのは分かりきっていた。
柴田は乾いた笑いを吐き出した。
「私が言いたいのは、そーゆーのじゃなくて」
彼女が俺を見た。唯一、その心を知っている俺を。
その表情に、絶望や怒りはなかった。
水のように清らかな顔で、首元のリボンに触れる。
「私はどこまで行っても、音楽をこよなく愛する、多感で純情な女の子……乙女。そう、
彼女は幸せそうに微笑みながら、強い言葉で断言した。
「だから、私真っ直ぐぶつかるよ。自分が仇を討ちたいって思ったんだから、その気持ちを大事にしたいの」
その場にいる多くのメンバーは、言葉の意味がわからず困惑している様子だった。この子急にどうしたんだ? という思いがひしひしと伝わってくる。
柴田は顔の向きを切りかえ、卯乃と向かい合う。
「私が懸けるのは、そういう夢です」
卯乃が目を閉じて、開く。その簡単な動作が、凄く長く感じるだけでなく、謎の気品に溢れていた。
「どうぞ」
「ありがとう、卯乃ちゃん」
柴田の手が刻まれた彼女の文字に触れる。指と指の間から、桃色の光が漏れでている。席がまた動き、中央が柴田になる。髪と瞳、そしてレーヴの姿も桃色に変わった。
レーヴの分厚い手には、ピンクゴールドのトロンボーンが握られていた。
「いくよっ、レーヴ モード ペツォッタイト!」
思考力の初期メーターは七十。丸山の時よりも高い。
今回のオルダーは、初めから刀を手にしていた。
こちらに走ってくるオルダーに向けて、レーヴはトロンボーンを真っ直ぐに構える。
卯乃や丸山のモードは、物理的に攻撃を行っていた。どちらも近距離型。柴田のレーヴは、どんな戦い方をするのだろう。
オルダーとの距離は段々と縮まる。モニターの左下に、オルダーとの距離が表示されていることに気がついた。残り百メートルをきっている。
まだ、柴田は動かない。
痺れを切らした康弘がうろたえる。
「柴田、はやくしないとやばいんじゃ――」
「まだ」
彼女は視線も体も動かさず、ただそう口にした。ものすごく真剣に、オルダーを見ている。
「あと、少し……そう、もっと……」
向かってくるオルダーをあやす様に、つぶやき続ける。
残り三十メートル。
「来た!」
トロンボーンのベルから、大きな音が鳴る。オルダーが後方へ吹っ飛んだ。よく見ると、装甲に僅かなヒビが入っている。
しばらく考えて、俺はこの武器の戦い方に気づく。
「音波か……!」
まず、マウスピースに当てた唇をふるわせて、音を作る。次に、音が空気を震わせてオルダーに素早く届く。その強大な音波が敵を倒す。これが、レーヴ初の遠距離型の武器。
「よし、もう掴んだ。これなら多分、五百メートル先でも届くよ!」
「ご、五百メートル……!?」
「勘だけどね!」
メンバーの驚く声に気づかず、柴田は楽しそうに目を輝かせている。本当に音楽が好きなんだろう。
いや、見るべきはそこじゃない。
俺は胸の中で興奮が復活するのを感じる。
オルダーをレーヴに近づかせることなく、相手の核を壊すことが出来る。かなり強いぞ、このモード!
「もう……いっちょ!」
柴田の掛け声とともに、もう一発音波が放たれる。先程よりも大きな音、大きな振動だ。
オルダーに近づく隙を与えない。
今度こそ、勝てるのでは?
きっと、この場にいる誰もがそう確信していた。
それなのに、現実は常に俺たちの斜め上を超えてゆく。
地面に倒れているオルダーが、刀を握った腕を前に突き出した。
「……アイツ、一体何を?」
俺は卯乃の顔を伺う。諦めたような、悔しさを抱いているような、不思議な表情だった。また何かあるのか?
その時、刀が伸びた。その刃が、レーヴの腹を貫く。メーターは六十に下がる。
「きゃあああッ!」悲痛な絶叫が耳をつんざく。
柴田は咄嗟に刃を掴んだ。
必死に機体から引き抜こうともがいても、刀は抜けない。
彼女は汗を垂れ流しながら、視線を全方向に回す。
しばらく考え込むようにオルダーの刀を見つめたあと、柴田の顔色が変わった。
思考力のメーターは、何故か上がっていく一方だ。ついに八十に到達する。まるで解決策を探すために、全思考、全細胞を働かせているようだ。
「卯乃ちゃん……私の核が……どこにあるか、わかりませんか?」
柴田は卯乃の方を振り返りもしなかった。二人の間に真剣な声色が響く。
「それを言うのは面白みがないでしょう」
何故か卯乃は躍起な口調で言った。人の命がかかっているのに、何が面白みがない、だよ。俺の中で、苛立ちが募る。やっぱり、卯乃涼香という人間がわからない。
そう思っているのは、浜田も同じだったらしい。
席を立ち上がり、二等辺の反対側に座っていた卯乃に掴みかかった。大きな怒号が飛ぶ。
「ええ加減にせえよ、我! 知ってるんなら答えろや、人が死ぬかもしれへんのやぞ!」
「ひとつ言うとするなら」
自分よりもデカイ男に胸ぐらを掴まれてなお、冷静沈着に卯乃は口を開く。
「あなたの核は、腹付近にはない」
柴田はそこで、初めて振り向いた。卯乃と浜田を見て微笑む。
「ありがと……カンペキだよ!」
グッドサインをし、モニターへと向き直った。
「ごめんねレーヴ。ちょっとだけ我慢してちょーだいなっ!」
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