待つ者 帰れぬ者
柴田の一言で、レーヴがゆっくりと前に歩み出した。柴田の表情に苦痛が滲む。
「……ッ」
小林が怯えた声をあげた。
「柴田さん!」
「だいじょーぶ……核がないなら、突っ切っちゃった方が早いんだもん」
刀はどんどんと深く突き刺さっていく。俺は自分の無力さに唇を噛んだ。
ようやく、オルダーとの距離が数メートルになる。トロンボーンを構えて、唇を震わせた。
パリッと力強い音が鳴り響く。丸山ほどではないにしろ、柴田も大きな痛みを背負ったはずだ。それなのに、彼女は叫びもせず攻撃を続ける。
一体、この少女のどこにこんな強さが潜んでいるのだろう。
俺はその純粋な生命力に、強く圧倒される。
彼女の心には、一切の迷いもないように見える。でも、肝心の核がどこにあるのかは見当もつかないようだった。
悩みながら、ベルを移動させる。初めは腹部に、段々と胸部に。その時、明らかに感触の違う場所があった。頭部だ。丸山の核があった場所と同じ、頭部。
――ここに核がある
確信をはらんだ空気がコックピットに漂う。
絶え間ない音波の攻撃が、オルダーの頭を刺激する。
でも、これでは核を破壊するのに時間がかかる。音波が核に届くかさえ分からない。
柴田もそれを感じとったらしい。
やがて思いついたように笑みを浮かべ、音波での攻撃を辞めた。
ゆっくりと手を移動させて、トロンボーンの伸びる部分――スライド管を引き抜いた。先端から細い刃が伸びている。細いとはいえ、レーヴと比べたらなだけで、実際はとんでもなく大きくて太い。
――これならやれる!
構えて、真っ直ぐに頭を狙う。
運命の瞬間がやってきた。
レーヴの持つ刃がオルダーの機体に接触する。
その瞬間、装甲を貫く大きな音が
「……え?」
柴田の持つトロンボーンの刃は、確実に頭に刺さっている。割れ目から、緑色の液体がドロドロと漏れてていた。核をやれたのだ。
――じゃあ、もう一方の音は?
視界の端で、桃色の光の脈が点滅を始めた。
いつの間にかオルダーの刀は腹から引き抜かれ、スライドを持つレーヴの分厚い右手に刺さっていた。そこから、桃色の液体が垂れ流しになっている。
「……まさか!」
腹でもなく、頭でもなく。
柴田の核は、右手の中にあったのだ。
彼女は自身の右手のひらを見つめている。手は小刻みに震えていた。
瞳の中から段々と光が消えて、虚ろになっていく。
コックピット内部の光が消えるのと同時に、柴田の体が人形のように椅子から倒れた。
「柴田!」
レーヴはもう動かない。
それはオルダーも同じだった。
恋心を燃やして、一心に戦ったオトメ。
結果は相討ちに終わったけれど、彼女の想いは、夢は、しっかりと果たされた。
卯乃がお得意の仏頂面で言った。
「ところで……何か、質問はある?」
浜田が不服そうな顔になる。
「切り替え早いな……で、今回も同じオルダーなんは、なんか理由あるん?」
「ええ」
彼女の視線が遠くに行く。そこにあるのは、倒れて動かないオルダーの頭だ。人間ならば、その奥に脳が隠されている。
「オルダーは私たちを学習する。戦い方、武器、癖など、もろもろの物を。オルダーはその中で、次に有効な機体を選んでやってくる。奴にはそれが分かるの」
「つまりはどういう事や?」
「今回は前回勝利した点を考慮して、あのタイプのオルダーがやってきたのよ」
俺は彼女が今日の初めに見せた表情が腑に落ちた。
強いはず。それなのに、あの嫌そうな表情をしたのは、既に実力がオルダーに学習されているから。
学習されると、負ける可能性が高くなる。だから、再び戦うのが嫌だったんだ。
「さて、今回の質問タイムは終わり。次回の戦いはモニターの通りだから。次の操縦士に立候補するか、考えておいて」
モニターを見る。
『七月 二十八日 二十時』
次は八日後――土曜日だ。土曜日は部活がない曜日のため、私服での戦闘になるだろう。しかも、夜間での戦いだ。
「怖気付いて来ないなんてやめてよ。誰かが来て核を起動させなきゃ、オルダーが操縦士を探して町をぶち壊すから」
小さい悲鳴がまだらに上がった。そんなの、想像するだけで恐ろしい。
「じゃあ、さようなら」
卯乃は短く退出の呪文を唱えて、姿を消した。
次に浜田、小林が消える。
残ったのは俺と康弘と柴田の亡骸だった。康弘が俺を見る。俺はやるせなくなって俯いた。
「フーガ」
先に康弘が消えて、俺もそれに続いた。
床が変わる。着いたみたいだ。
俺はため息をついて、ゆっくりと顔を上げた。その時――
「……え?」
俺は自分の家ではなく、なぜか学校の廊下に立っていることに気がついた。人の気配のひとつもない。窓から見える夕日の滲む空が、床に反射してきらめいていた。
耳に入ってくるのは、壮大な音楽。吹奏楽部の演奏だ。
導かれるように近寄ると、音楽室に集まった部員たちが、一心に楽器を鳴らしているのが見えた。
パートごとの音のズレがなく、ひとつのまとまった音になっている。まるで、全部がソロのようだ。
――たしか、ウチの高校の吹奏楽って強かったんだっけ?
そんな強豪校の吹奏楽で、エースの実力を持っていた柴田は本当に凄かったのだろう。
光り輝くたくさんの楽器。その中で、特に目に止まったのがトロンボーンだった。スライドが勢いよく突き上げられる。その動作の一つ一つに、命の喜びを感じた。
本来なら、あの中に柴田がいたんだなあ……
ついそんな感傷に浸ってしまう。
やがて音楽が途切れた。休憩に入ったようだ。俺はつい物陰に隠れる。女子部員たちの声がした。
「ねえ、知ってる? 柴田、もう吹部に来ないなんて噂があるんだよ」
「うっそぉ、あんなに音楽好きなのに?」
「じゃあなんで一年のトロンボーンに、付きっきりで指導すんのよ。しかも、ソロまで降りたんだよ! どう考えても替えを作ってるでしょ」
「考えすぎだってえ」
「でも、無遅刻無欠席だったのに、最近は休むし……それに、前に好きって言ってた人、行方不明でしょ。それで――」
「えー、柴田そんな弱くないでしょ」
最近休みがちなエースと、最近行方不明になった想い人。噂。ソロ。考えすぎ。弱くない。
何気ない言葉の数々に、息が詰まった。
俺は耐えられずに学校を走り去った。階段を駆け下りて、走り続けて、あの海沿いの道に辿り着いた。
息せき切って、地面にしゃがみこむ。耳鳴りが酷かった。熱中症のように体がだるい。心臓が早鐘を打って止まらない。もう死んでしまうんじゃないかと疑うほどだ。
いるんだ、何も知らない人が。
俺たちの帰りを待つ人が。
彼女たちの声が蘇る。
嘘だと言って、当たり前のように明日を信じている。
柴田の行方不明が知らされた時、正式な訃報を聞いた時、彼女たちはどう思うんだろう。
汗がこぼれ落ちる。フラフラと立ち上がりながら、前を見た。
俺たちは地球の為に、尊い命を一つ、また一つと殺している。これって、そういうことだ。大多数のために、少数の命を削る。俺はその少数側に回ってしまった。
――ああ、怖い。
とてつもない恐怖が俺を襲う。
なのに、少数に選ばれたことへの誇りのようなものさえ感じている。
なんなんだよ。レーヴの操縦士に選ばれてから、おかしいぞ、俺。
恐怖と恍惚が、荒波のように交互に襲ってくる。
――一体、どっちが本当の俺なんだ?
「すまない」
急に冷たいものを当てられたような気分だった。凛とした声に体がビクッと震え、思わず振り返る。
「少しいいか」
声の主は俺の目を見てそう言った。深淵のように暗い一対の瞳が俺を絡めとる。動けない。
その全てに見覚えがあった。オールバックの黒髪、凛とした顔つき、ピンと伸びた背筋。名前は、そう――
彼は名刺を差し出した。
「俺は『巨大機兵特別捜査機関』の責任者、神崎信之介だ。この町に突然現れた巨大機兵の捜査及び制御を行っている。そこで、だ」
俺の心臓が、また、どくんと跳ねる。その言葉を聞いた瞬間、身体中が鉛みたいに重くなった。
「君は、久米川実里君で間違いないな?」
三度目のオルダー襲来
柴田桃花――相討ち
操縦士残数――五
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