第2章 わたしの世界?⑥
裏庭に出ると、濃密な緑の香りがわたしの胸を満たした。
「さて、と」
わたしたちは緑のアーチを抜け、レンガで囲ってある小さな畑の前にやってきていた。
「ねぇ、今日は何するの?」
わたしは睡に訊ねる。
「今日はハーブチンキを作るわ」
「チンキ?」
聞いたことのない言葉にわたしは首を傾げた。
「ハーブをお酒につけて、エキスを出すの。そしたらお薬としてつかえるのよ。――これはカレンデュラ。抗炎症や抗菌」
そう言って睡はオレンジ色の大きなたんぽぽに似た花を摘み始めた。
「へぇー。ラベンダーとかは眠れないときに嗅ぐといいっていうのは知ってたけど、他にもあるんだ」
「もちろん。あそこのヤロウには止血効果があるし、こっちのティーツリーには殺菌作用と……ゴキブリ除けにも使えるわよ」
「ごきっ……。睡ってそういうの、どこで覚えたの?やっぱり本?」
黒い悪魔の名前に鳥肌を立てながら、わたしは常々疑問に思っていたことを尋ねてみた。
「もちろん本もだけど……最初はママが教えてくれたわ」
ママ、という言葉をまるで宝物のように口にした睡は歌うように続ける。
「ママはね、とってもすごい魔女だったのよ。なんでも知っててたくさんの魔法が使えた」
「へぇ……すごい人だったんだね」
睡の母に対する言葉はすべて過去形だった。やっぱり亡くなってしまったのだろうか?
「そうよ。――でも、ママは魔女狩りにあっていなくなってしまった」
一転して言葉のトーンが暗くなり、ハーブの香りが濃くなった。
「あの男、あの男から逃げるためにママはいなくなった。そう、きっとそう。 ……だから、だから私はママよりすごい魔女になってママを助けてあげるの!!」
……睡の様子がおかしい。
こちらを見ているようで、輝く大きな瞳はどこを見ているのかわからない。
ぶるぶると震える手の中で、強く握りしめられたハーブがぐにゃりと曲がっている。
「睡? 睡!?」
「そうよ、あいつのせいだ、あいつさえいなければママは」
わたしはぶつぶつと何かを呟き続ける睡の肩を揺さぶり、名前を呼んだ。
「しっかりして!ねぇ、睡!?」
必死で叫んでいても、睡はこちらを見ない。
「どうしたの!?」
わたしの声を聞きつけたのか、バクさんがこちらにやってきた。
バクさんは涙目になっているわたしと様子のおかしい睡を交互に見て、険しい顔をした。
「
「え?」
バクさんに突然強い口調で名前を呼ばれて、わたしは思わず固まった。
けれどバクさんはわたしではなく睡の腕を強い力で引いた。
(りい? 睡じゃなく? どういうこと……?)
ビクッ、と体を震わせて、睡は夢からさめたような表情でバクさんを見た。
「いい加減にしなさい! ……里依紗ちゃんが困ってるよ」
バクさんが強い口調で睡をとがめると、ハッとしたような顔でわたしを見た。
大きな瞳がわたしをしっかり見ていることにわたしはひどく安堵して、力がぬける。
「よかったぁ……」
へなへなとへたり込むわたしと険しい表情のバクさんを見比べて、睡はばつがわるそうにして謝罪した。
「……ごめんなさい、りいちゃん……
うつむいた睡の背中をバクさんはバシッとたたく。
「とりあえず手を洗ってきなさい。――話はそれから」
ハーブを強い力で握りしめたせいで草の汁でべたべたになった睡の手をみやってバクさんが言った。
「里依紗ちゃん、ごめんね。ちょっとあの子の様子見てあげなきゃいけないから、今日は帰ってもらえるかな」
申し訳なさそうに、けれどそれ以上説明するつもりはないと暗に言っているバクさんにわたしはこくりと頷いた。
「はい……」
「ごめんね。いつかちゃんと説明するから」
わたしはその言葉にうなずくことしかできなかった。
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